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令和五年七月二日 神明神社(しんめいじんじゃ) 和歌山県和歌山市


産土神(うぶすながみ)様である。実家のあった場所から3、4分のところに鎮座する。実家には高校までいたため、こちらの神社は馴染みの深いものであったが、小さい頃、境内で遊んだ記憶と夏祭りの思い出が大半を占める。銀玉鉄砲の撃ち合い、石段を使っての「グリコ」、あと母が教えてくれた、多分、母自身が子供の頃に遊んだのであろう見慣れない遊び・・。松の幹を「○○出てこーい」と動物などの名を繰り返し呼びながら叩く。すると表皮が剥がれ、それが期待した動物に見えたら成功。そんな遊び。

お祭りに関しては、御朱印を頂く際に神社の方に聞いてみた。お祭り自体は継続されているらしいが、もう屋台が出る縁日などはないらしい。あの頃、この辺りは、市場や百貨店などもあり、そこそこ賑わっていたが、今は和歌山市自体も過疎だと聞く。小さい子供たちも少ないのだろう。

さて神明神社。御祭神は、天照皇大神。社伝に、古くは吹上の山に鎮座させられ、天正十三年(1585)豊臣秀吉来り、「当国平安利運長久のためなればとて表指の鎬矢に願書を添えてぞ納めける」とあるらしい。「吹上」とは地区名で、これを冠する小学校もある。ただ当時はすでに「山」ではなかったので、随分昔に切り崩されて平地になったのかも知れない。



石段を上り参道を進むと、左手前に、白馬像が祀られる「神馬舎」。その奥に朱の鳥居が並ぶ「稲荷神社」、さらに向こうに「豊受皇大神」、「猿田彦神社」が鎮座する。


境内右手に、「金刀比羅神社(こんぴらじんじゃ/右)」と天「満神社(てんまんじんじゃ/左)」。


境内最奥に鎮座する、左より「天照皇大神」、「楠珺神社(なんくんしゃ)」、「恵比須神社」。


よく遊ばせてもらった参道周辺。

幼い頃の記憶にはなかった「皇産霊神社」。「みむすびじんじゃ」と読む。


次にお参りできるのはいつのことか。



龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 61

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