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令和六年一月六日 雑記

新年。今年は万年筆で字を綺麗に書くことができるようになろうと思う。

そんなことはさておき、年末二十八日はお焚き上げと八方除・交通安全祈願に寒川神社へ。年が明けて三日は自宅の氏神様である山田(やまた)神社に初詣、四日は会社の氏神様である代々木八幡宮に参拝した。


山田神社
代々木八幡宮


そして本日は、辰年なので龍のたくさんいるところに行こうと思い、五龍が坐す「田無神社」をボニーと共に目指す。ほぼ二年ぶり、二度目の参拝である。三が日が過ぎたにもかかわらず大安のこともあってか、鳥居に至るまでの歩道にまで本殿参拝客が溢れ返っていた。本殿・金龍参拝待ちは優に一時間は超えそうであったため諦め、白龍、赤龍、青龍、黒龍その他境内社に参拝をした。



去年までは行ったことのない神社への参拝を目標にしてきたが、今年からは過去参拝した神社にもお礼参りを兼ねて再訪しようと考えている。以前にも書いたかも知れないが、参拝をする際、掲載するための写真撮影に縛られている気がしていたので、再度参拝する際は、撮影は最小限に留め、もっと神様を、神社を、自然を感じる時間にしたい。余談ではあるが、同じような理由で昨年の子供の運動会は一切撮影をしなかった。ファインダーを通すと見ているようで見ていない気がして、自分の目で見ることを優先した。


いつも正月はだらだらと取り留めもなく書いているので、今年もだらだらと終わろうと思う。

「命」という漢字は言うまでもなく「いのち」という意味であるが、「めい」と読むと「命を賭けて果たすべきこと」となる。個人的には「命」とは神から与えられ、それに自らが同意した「役割」だと思っている。(「いのち」を表す英語の「life」が、同時に「生活・人生」を意味することとはかなり異なる)だからこれを勝手に「反故」する自死はよろしくないとされる、のではないか。ここまでは何とか理解する。しかし、災害や事故、また殺人になどよる不慮の死も、約束した「役割」なのかと考えるところで、いつも思考停止してしまう・・。

本年もよろしくお願い申し上げます。

龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 72



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