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私のひだりをかえして・・・ 第二話   「完結長編小説」

 始まりの記憶

2013年11月13日


 あれは今から5年半ほど前の事。私はクラスで一番後ろの座り慣れた席の窓際で、

(高校とかほんとだるい、次の時間って持久走じゃね? こんな寒い日に延々と走らされるとか、頭おかしいわ)

なんて思いながら結露で白くなった窓ガラスに「だっりぃー! (だるい!)」と書き、いつもの様にネットサーフィンをしていた。

 無料漫画も殆ど読んでしまったし、ロングの髪で隠れるのをいいことにワイヤレスイヤホンをして毎日映画を見ているのだが、最近の映画は本当につまらない。私は一般女子がキュンキュンするような恋愛もの作品が大嫌いで、内臓ブチマケル系のスプラッター物が大好きだ。恋愛物が嫌いなわけは、

(男なんて所詮ヤリたいだけで頭の中は常にピンク色。出会い系サイトに制服姿の写真を載せておけば、こちらが学生だと判った途端に値段を釣りあげてもホイホイ寄ってくる。ほんの15分くらいボーっと身体をあずけていれば3万円くらいすぐに手に入る、そんな汚いオトコどもに純愛だの惚れたの晴れたの・・・笑わせる)

現実を私が身をもって理解しているからだ。おかげでダサいスクールバッグなんて使わずに超高級ブランドのお洒落なバッグを使えているし、化粧ポーチの中も高級コスメで溢(あふ)れそうだ。

シモベの様に扱っている、傍から見れば仲良しの女友達だってちょっと金回りをよくしてやれば「お嬢様」なんてチヤホヤしてくれる。

 バレンタインデーには女の子たちから山のようなチョコが届くし、ホワイトデーなんて誰にもあげていないのにお菓子やらぬいぐるみやら、机の上もその周りも大賑わい。男女共に親衛隊のような組織が勝手に作られて、私は首を縦に振るか横に振るかだけ。時折笑顔を作ってやれば机の中から下駄箱まで、訳の分からない勘違いしたオトコどもからの封筒でいっぱいになる。

そんな封筒の中にも私が唯一ちゃんと目を通して返事するものが、女の子からのお手紙だ。女の子からのファンレターやラブレターは汚らわしいイモのようなオトコどものそれとは異なり、少なからず学校にいる時の私の姿に純粋に思いをはせてくれている。

これらはたまらなく愛おしいので、丁寧にお返事を書いてかわいい封筒に入れシールを貼ってお返事している。私が直接手渡すようにしているのだが、中には喜びのあまり泣き崩れる子もいて本当にかわいい。そのような子は純粋無垢で美しい、私の寵愛を受け入れるにふさわしい存在なのだ。

とはいえ汚らわしいイモどもとの恋に恋する時間を楽しんでいる女の子たちのことを悪く言うつもりもないし、私の方を向きなさいなんて傲慢な事も思わない。

 純愛を楽しんでいると勘違いしているであろうあの子だってこの子だってイモどもの前では性欲処理用の単なる勘違いしているメス豚に成り下がっているだけであって、「自分が愛されているから」なんて思っている勘違いを教えてあげるなんていうつもりもない。

オトコという種族はいろいろな女とヤリたいだけで、高校純愛生活を楽しんでいる女の子たちも飽きられたら捨てられるのを分かっていない。私からすれば

(金にもならない男に何で無料奉仕してやるのか、意味が分からない)

そんな感じだ。

 ならば私好みの美形男子同士が繰り広げる純愛ラブストーリーを読んでキュンキュンしたり、純粋に私の事を好きになってくれる女の子たちとお話している方が何倍も癒されるし、自分自身が心も身体も綺麗でいられる。だからこそ不潔でイヤらしく、私たち女を好奇の目でじろじろ見てくる汚らわしいイモどもに分けてやる愛情なんてこれっぽっちも無い。イモは15分という時間を与えてあげる見返りに、等価交換の法則であり絶対に私を裏切る事の無いお金を運んでくればそれでいいし、それだけの存在なのだ・・・


2005年4月14日

 私が小学校1年生の時に両親は離婚し、私はお母さんに引き取られることになった。2年ほど母子家庭の生活が続いたある日、学校から帰ると玄関に男の人の靴があった。

(お客さんかな、お仕事の邪魔をしてはいけない)

思い小さな声で

『ただいま』

言って静かに2階に上がろうとした時、

『麗、帰ったの? ちょうど良かった、こっちにいらっしゃい』

リビングに呼ばれた。私は

『はーい』

返事をして部屋のベッドの上にランドセルを放り投げるようにポイと投げ、急いで階段を降りた。

リビングの扉を開けると、そこにはスラッとしたスーツ姿の爽やかな男性がおり、わざわざ私の左側にやってきて話しかけてくれた。

『麗ちゃんだね、はじめまして。僕はお母さんにとても仲良くしてもらっている霧生院和晴といいます。お母さんに似てかわいらしい素敵な女の子だね、仲良くしてくれたら嬉しいな』

しゃがんで私の目線に合わせ、ニッコリ微笑んでぺこりと頭を下げた。

どうやら母から、私の右耳は生まれつきほとんど聞こえないという事まで伝えられていたらしい。さりげなくではあるが、少し声も張ってくれたようだ。

 家に男性が来ることなんて家庭訪問の先生くらいしかなかったので私も慌てたが、

『は、はじめまして! 麗です、いつもお母さんがお世話になってます!』

どこかで聞きかじったような挨拶を咄嗟に口にした。

『あはは! お母さんが言う通り、君は礼儀正しく素直だね。どうぞよろしくね』

白く、まるで女の人の手ではないかと見まごう美しい手を私の方に向け彼は握手を求めた。

 前のお父さんがお母さんを叩いたり蹴ったりする暴力男だったのに対し、見るからに真逆で、爽やかで笑顔の優しい表情とその細く長い指に私も安心し、

『はい、よろしくおねがいします!』

両手で大きな手を握り返した。

霧生院さんが買ってくれたという高級そうで、見ただけで美味しそうなイチゴのショートケーキを3人で食べ、穏やかな時間を過ごしている内に、

『もうこんな時間だ。千歳さん、長居してしまって申し訳ない。麗ちゃん、またね!』

男性はパリッとしたジャケットを羽織りなおし、ピカピカの靴で帰っていった。その夜ウキウキしながらカレーを作っているお母さんの横でポテトサラダ用の茹でたジャガイモをつぶしていると、

『お母さんね・・・女としてやり直そうと思うの。もちろん麗が納得してくれたらの話だけどね。あなたにもお父さんが居た方がいいと思うし、すごく優しくて麗を大切にしてくれるのよ。女の人に暴力なんて絶対振るわない人だし、どう思う?』

お母さんに訊かれた私は、

『霧生院さん、すごく優しかった! あんな優しいお父さんだったら麗も嬉しいよ!』

私は素直に答えた。

 霧生院さんは度々遊びに来るようになり、お休みの日には公園で一緒にボール遊びをしたり、動物園や遊園地に私たち親子を連れて行ってくれたり、私の中ではすっかり「優しく素敵なお父さん」になっていった。

お泊りしてくれる時はエプロンを着けて、ビーフシチューや大きなエビフライなどお店で食べるくらい美味しいお料理を作ってくれたり、食後は一緒に洗い物をした後にワッフルを焼いてくれたりと、私の中で百点満点のお父さんぶりだった。

 それから1年後、お母さんは真っ白なウエディングドレスを着て霧生院さんは真っ白なタキシードに身を包んだ。都内で開かれた結婚披露宴は、500人ほどの規模の盛大なものだった。そして私もすごく綺麗な衣装を着せてもらって緊張しながらも、2人におめでとうの花束を渡すセレモニーで役目を果たした。お母さんの今まで見た事の無い幸せそうな表情に、私もお母さんも花束を持ったまま嬉しくて涙を流したのを覚えている。

その後の新婚旅行は「ハワイに行く」と聞いていたが「私は学校があるから」と諦めていたところ、

『もちろん麗ちゃんも一緒だよ、学校なんて休んだって勉強は僕が教えてあげるから』

私も一緒にハワイに連れて行ってくれたのだった。

 現地では何を話しているのか分からないほど早口の英語だったが、霧生院さんはまるで私たちと普通に話しているかのような流暢な英語で現地の方と話をしていたので、私が途中でお腹が痛くなった時もすぐにお医者さんに連れて行ってくれたし、滞在中何も困ることなく夢のように幸せな時間はあっという間に過ぎていった。

 日本に帰ってきてから私は正式に「古谷麗」から「霧生院麗」に名前が変わったが、彼の人柄もさることながらこの格好いい苗字に周囲の友達はすぐに馴染んでくれたし、お母さんが働かなくて良くなり家に居てくれることで家庭はいつもポカポカだった。

何より変わったのは生活水準で、隣の大きな空き地にそれに負けないくらいの大きな3階建てのお家を建てて引っ越し、「お庭にプールがある」というテレビでしか見た事の無い生活を送ることになった。お父さん、お母さん、私と1部屋ずつ今までと比べたら2倍くらいあるような大きな部屋がそれぞれあり、廊下にはすごく高そうな絵画が飾られ、玄関は大理石。お母さんと2人で暮らしている時はぎゅうぎゅうに詰め込んでいた靴入れも、何足入るのか分からないくらい大きく広いシューズクローゼットで、もう靴をぺしゃんこにして詰め込まなくてもいいようになった。玄関正面の大きな花瓶には綺麗なお花がすごく沢山入っており、4日に1回はお花屋さんが来て新しいお花に交換してくれる。お洋服もベッドも勉強机も全部新品で、私に負けないくらい大きなパンダのぬいぐるみがベッドの横で私を守ってくれるように座っており、まるでお姫様のよう。

 親友の美並には、この嬉しくも驚くべき生活スタイルの変化について顔を合わす度に細かく伝えていた。

彼女は私の話を嫌な顔することなくいつもニコニコと聞いてくれていたのだが、今となってはそれが「単なる自慢話」だと受け取られていたのであろうことに少々反省をしている。

(私が逆の立場なら、自然と距離を置いてしまうだろう・・・)

とはいえ女の子の共通の話題と言えば、新しいファッションについてだ。お洋服に目覚めはじめた年ごろだったので、「手持ちの服でどんなコーディネートをするか、次はどんなアイテムが欲しいのか」などという話でいつも盛り上がっていた。今までの生活には無かったこれらの華やかな変化を、私は聞いてほしくて仕方なかったのだ。そんな話をしながらも1年間で7センチも背が伸びたので、子どもっぽい服がだんだんと着られなくなり、大人っぽい形のものが着られるような体型に変わってきた。身体の急激な成長により、新しいデザインのお洋服を買って貰う度に、今まで着ていた物は必然的に「全とっかえ」に近い状態になってしまっていたのだった。

 新しいお父さんはお仕事でよく外国に行っては

『麗ちゃん、海の向こうはね・・・』

土産話と共に現地の珍しいお土産を買ってきてくれて、本当に夢のような生活を送っていた。お父さんは出張が多かったのでお休みの日も不規則で、私が学校のある平日に家にいる事もあったが

『千歳さん、麗ちゃんが学校から帰ってきたら一緒に楽しく過ごしておくから、お友達と温泉でも行っておいで』

お母さんが自由になる時間も作ってくれる、とても素敵なお父さん。

私が学校から帰っても一緒に宿題を見てくれてゲームもしてくれ、お風呂も一緒、歯磨きも一緒と幸せすぎる生活を過ごしていた。

 お母さんは友人との温泉旅行や学校の組合などでちょこちょこお泊りに行く場合があった。その時でも私とお父さんは幸せな日々を送っていたのだが、お母さんが居ない時にはお父さんが必ず私のベッドに入って来ては・・・。

当時私も無知だったし、何をされているのか始めは分からなかった。

小学校4年生では無理もない。「エロいこと」に多感な男子たちは平気でそんな動画を、スマホで見るようになっていた頃だが、私はとても見る気がしなかった。

そもそも知りたいと思えるような恋もまだしておらず、興味が湧かない。しかも暴力的な前の父を思うと「現場」を見ることに、恐怖感があったのだ。いずれ避けて通れない気がする「男女のこと」への抵抗や不安は持っていても、向き合って学ぶという姿勢になるにはまだまだ幼かった。

 そんなイメージと乖離しているお父さんの仕草は、私を不思議と安心させるものですらあった。本来は人前で服を脱いでしまうことも、頭の中では警報が鳴るはずなのに、いつもの優しい顔が目の前にあるだけでお風呂に入る時と変わらない安らぎで脱いでしまう。何をするのか次第に分かってきて、痛かったり恥ずかしかったりもするけれど、それを大好きなお父さんの前で悟られないように毎回努力している。

でも、やっぱり表情に出ているのか、お父さんにはこんな風に教えられた。

『麗ちゃん、お母さんは同じ女性として君に教えることが恥ずかしいんだよ。仕方ない、そこはお母さんの為に分かってあげよう! でも、立派なレディーになる為には知っておかなければならないことなんだよ。学校の先生も恥ずかしがって教えてくれないからね、海外では君くらいの年頃の女の子にはこういうことをちゃんと父親が教えるのは当たり前の事なのさ。最初の内だけちょっと痛いかもしれないけれど、お父さんが優しく教えてあげるから安心してね。日本人はこういうことを恥ずかしがって教えないから、お母さんにも内緒にしてあげてね。大好きだよ、麗ちゃん』

 そういうものだと思っていた、だっていつもあんなに優しいお父さんだもの。確かに最初は痛かったけれど、お父さんはすごく優しく教えてくれたし

『麗ちゃん、痛かったかい? よく我慢できたね、君はどんなお友達よりも素敵なレディーになれるんだよ』

って温かく抱きしめてくれたもの。そして終わった後は朝まで一緒に横で寝てくれて、朝は私よりも早く起きてフレンチトーストと目玉焼きと私の大好きな赤いウインナーをオレンジジュースと一緒に準備してくれていた。

 美並とは相変わらず、毎日のように放課後の公園で待ち合わせをして遊んでいたけれど、このことを相談するには少し勇気が要った。いろいろな変化が一度に起こりすぎたし、幼い自分にはどう伝えようか、そもそも話して良いことなのか、不安だったのだ。

いつものブランコ2人乗り。ここで私の口から出たのは、美並のお父さんに対する気持ちを聞き出す言葉だった。

『美並は、お父さんのこと、好き?』

『うん、好きだよ』

(なんだ、やっぱり普通なんだ)

ブランコの勢いに身を任せ、風の音に気持ちを紛らわせるようにして訊いてみた。

『お父さんって、何か教えてくれたりする?』

『え? 小さい頃は自転車の乗り方とか教えてくれたけど、今は勉強も「先生に聞きなさい」って。麗ちゃんは?』

『・・・』

(海外では普通なのに、美並も隠すように言われているのかな・・・)

『ゴメン、聞こえなかった。もう1回、左に話して』

『あ、そうだったね。う、ち、は、何も、教えてくれないよー!』

『それって、フツー?』

『うん。フツーだと思うよ。麗ちゃんのお父さんは勉強とか教えてくれるんでしょ、いいよね・・・どうかしたの?』

『ううん、何でもないよ』

結局、誰にも相談できないまま、一瞬開きかけた私の心の扉は一生固く閉ざされることになった。

お父さんからの「教育」も受け入れる日々が続くのだった。

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