イソップ童話の”酸っぱい葡萄”について
酸っぱい葡萄と甘い葡萄なら、実は酸っぱい葡萄の方が好きなたつやです。
(酸味がすきなんですよね、、、)
今回は、イソップ童話に登場する「酸っぱい葡萄」について、この寓話からの教訓と人生への示唆について考えようと思います。
この「酸っぱい葡萄」の話は、キツネが高い木に実った美味しそうな葡萄を見つけます。でも、キツネが手を伸ばしても葡萄に届かず、結局「葡萄は酸っぱいに違いない」とあきらめるという内容なんです。
一見ただのお話ですが、これって現実でも起こってるような、人生への影響すらも考えられるお話なんですよ。
まず、葡萄は手の届かないところにあることについて。
キツネが葡萄に手を伸ばしても届かなかったように、人生には手の届かない目標や夢がありますよね。
でも、それが酸っぱいから諦めたのではなくて、手の届かないから諦めたんです。
キツネが「葡萄は酸っぱいに違いない」と自分に言い訳をしてあきらめる様子は、自分に都合の悪い現実を受け入れず、言い訳をしているだけってことなんです。
もしかしたら、手が届かないから諦めるんじゃなくて、努力や挑戦をすることで、新たな可能性や成長が生まれたかもしれません。
キツネが葡萄の酸っぱさに焦点を当てて自分の行動に言い訳をしている。
でも、本当に大切なのは葡萄の味わいや喜びを楽しむことですよね。それは、食べてみないとわかりません。
人生でも、目標達成や成功に固執するのではなく、日々の喜びや成長を見つけることが大切です。結果に至るまでも、十分大切な要素ってことなんだと思います。
食べる前から、味を決めつけて自分の行動に言い訳をするなってことが、この話の極論だと僕は受け取りました(笑)
ということで、本日のまとめです。
イソップ童話の「酸っぱい葡萄」は、酸っぱい葡萄に関する物語ですが、その中には人生の深い教訓と示唆が込められていると思ってます。
この寓話から学び、手の届かない夢への挑戦をためらわず、喜びと成長を追求する人生を歩んでいきましょう。
そんなメッセージが込められてるといいなと思って、今回この話を紹介させていただきました!
同じように、イソップ童話には深イイ話が多いので、また紹介します!
ご拝読いただき、ありがとうございました。
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