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路上ライブで立ち止まったことはありますか?

路上ライブで立ち止まるのってなんだか勇気がいりませんか?素敵だな、もっと聴きたいなと思っても、なかなか条件が重ならないと立ち止まるまでに至りません。

例えば、その時一緒にいた友人が気にも留めていなかったとか、人が誰も立ち止まっていなくて恥ずかしいとか、そもそも用事があるから時間がないとか。様々な理由からなかなか立ち止まれません。

でも、その時立ち止まらなければ一生その人に、その音楽に出会えないかもしれません。


ある日、私はアルバイトの帰りに、駅前でとっても澄んだきれいな歌声を聴きました。その日のアルバイトはすごく忙しく、その歌声は私の疲れを一瞬で溶かすようでした。その歌声の先を辿ると、いつもは誰も演奏なんかしていない変な場所で、路上ライブをしている人がいました。しかし、そこには誰一人立ち止まっておらず、勇気が出なかった私はゆっくりとその前を通り過ぎてしまいました。

すこし歩いてから、今立ち止まらなければこの人に、この歌声に一生出会えないかもしれない、そう思いました。そこで、ちょっとコンビニで飲み物を買ってから引き返して、路上ライブの人の前に立ち止まりました。

1曲歌い終わると、路上ライブの人はすぐにチラシをもってこちらに来ました。私の住んでいる町からは新幹線で3時間くらいかかる、遠い町から来たようでした。ああ、だからこんな変なところで演奏してるのかと思いました。2曲、3曲とどんどん新しい曲を歌っていって、私はその曲のどれも好きでした。1人立ち止まると立ち止まりやすくなるのか、観客が1人、2人と増えていき、最後には4人になりました。1時間くらいたってライブが終わる時にもその4人は聴き続けていて、最後にはみんなで写真を撮ってお別れしました。

立ち止まったおかげで、私はその路上ライブの人のTwitterやInstagram、YouTubeのチャンネルを知りました。その人は遠い町で活動していたので、ライブは見に行けませんでしたが、どこでどんな活動をしているのか知れるようになりました。

半年後のある日、Twitterで、路上ライブの人が私の町にまた来ることを知りました。しかし私はちょうどその日にアルバイトがあって、行けそうにありませんでした。ところが偶然、ライブの一週間前になってシフトの時間が変わって、路上ライブを聴きに行けることになりました。運命でした。

路上ライブの人を探すと、今度はよく人が演奏している場所で歌っていました。路上ライブの人は私を見て、「初めてじゃないですよね?」と声を掛けました。「遠いからあまり来れないんですけど、また会えただけ、ここに来てよかったです。」

半年前に演奏していた変な場所よりも、今回はもっと人通りが多い場所で、路上ライブの人の前を、1秒に10人くらいは通り過ぎました。そんなにたくさんの人がこの澄きとおった素敵な声を聴いているのに、立ち止まるのはそのうちのごくごく一部でした。立ち止まらない人の中には、そもそも歌声に惹きつけられない人もいれば、用事がある人もいて、勇気が無くて立ち止まれない人もいたのでしょう。

そんな中でたくさんの条件が重なって、立ち止まる人たちがいます。たぶん0.001%以下の確立だったのだと思います。

私はその日1000円で、5曲入ったCDを買いました。サインと、「りゅんさん、ありがとう。。又会えますように。」というメッセージの書かれたCDです。CDは全部で6枚ありましたが、会うたびに1枚ずつ買うことにしました。


世の中には本当にたくさんの人たちがいて、1人1人惹きつけられるものも、選択肢も、そこでする選択も違います。弾き語りで立ち止まるということは、それを表しているのではないかと思います。たくさんの人が路上ライブの人の前を通り過ぎるけれど、その音楽に惹きつけられるのはその一部で、そこから立ち止まる人はまたそのごくごく一部です。たくさんの条件が重なって、立ち止まるという選択をしなければ、一生その人に、その音楽に出会えないかもしれません。たくさんの選択をする中で、偶然その選択が重なって人と人が出会います。出会う人とは出会うべくして出会っているのです。大なり小なりその人を惹きつける何かが重なっていたのです。路上ライブの人の前に立ち止まるという選択も、そのうちの一つです。ちょっと勇気を出して立ち止まってみると、素敵な出会いが待っているかもしれません。

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