サッカーとは。

最近、引退シーズンに差し掛かり各大学の選手のブログを見る機会を多く見かける。
もちろん、山田の戦友、知っている選手、試合でやったことあるなぁという選手。
みんなそれぞれ色があって面白い。中には感動するブログも多くある。
そういうことで選手を知ってもらうのも一つの手だと思う。学だったり、松木だったり、一慶だったり、自分のフォローしているスペインでサッカーしている選手だったり、大学の先輩だったり、自分の考え方を文章にしているのは素直にカッコいいと思ったし、考え方だったり、生き方に共感できる部分、尊敬する部分沢山あって刺激を受けた。だから自分もこのタイミングでnoteを始めようと思った。

小さい頃から自分の感情や出来事をノートに書くのが好きだった。高校一年生の頃から毎日欠かさず、今日あった出来事から何を学んだか日記をつけている。ただ面白いから続けてるだけ。ルールなんてない。
自分の思ったことをただ5行くらい書くだけ。
よく他人に頭おかしいねと言われる自分。
バカだとか癖が強いだとかクレイジーだねと言われる。頭おかしい時もあるし、真面目な時もある、色んな自分がいる。型にはまった自分というのが自分の場合ない。だから、色んな自分が存在しているんだと思う。それが性格っていうやつか?
自分の文章はいい意味で成長していないと思う。文章力も7年も書けば上手くなるとか、書いてることがまともになるだとか、何を言いたいのかハッキリさせれるとかそういう常識が自分の中にはないのだ。だから、グッチャグッチャになっている。この文も意味わかんなくなると思う。
でもそんなもんどうでもいい。自分の自由なんだし。
それを含めての菊池流帆であるからどうでもいい。

正直に言う。俺は上手かった。俺のドリブルは誰にも止めれなかった。スルーパスも上手かった。7番.10番キャラ。小学でも中学でもその番号をつけていた。無双していた。今とは真逆。
まあ、完全に井の中の蛙、大海を知らずだっただけ。小学、中学とぬくぬくとサッカーしてきた。
岩手県釜石市というど田舎で。

真剣な話。中学2年の時。東日本大震災が起きた。
地震が起きて山に逃げた。山におとうが迎えに来た。
1ヶ月近い停電、市内の崩壊、食べ物もない、風呂も入れない。ロウソク一本、極寒の中、眠ってしまった。気付いたら朝。学校なんてあるわけないし、何をしようかと思いとりあえずサッカーボールを片手に外に出て、ボールを蹴った。

大好きだったサッカーもやめようと思った。
やめようと思ったというかサッカーを続ける術がなかった。グラウンドも仮設住宅になり、公園も仮設住宅になり、その前にこんな状況なのにサッカーをしていいのかと子供のくせにそんなことを思っていたわけだ。練習もできるわけはないんだし、震災で無気力になってしまっていたし、精神的にもきつかったから。

でも、サッカーの神様は俺にサッカーを続けさせてくれた。
キングカズさんはじめ、岡田武史さん、名波監督、福西崇史さん、小笠原満男さんというレジェンドの方々が釜石市を訪れてくれてサッカー教室を開いてくれてた。サッカー用具や服などの支援物資もたくさんもらった。たくさんの人の協力があり、練習頻度は少なかったけど、市内に一つしかなくなったグラウンドを借りて使わせてもらった。
でも、本当に自分がもらったものはそんなもんじゃない。 

夢、希望、勇気、愛。 

計り知れないものをいただいたのだ。小さい頃からの憧れの選手と一緒にサッカーをして、自分も素直にそうなりたいと感じた。自分がサッカーをできているのはこういう支えがあったからこそなんだと思う。

いつも楽しみがあった。正月にはあんこ餅を食べながらこたつに入って選手権を見ていた。
岩手県の盛岡商業、遠野高校。どっちかに入って選手権に出れたらいいなぁと思っていた。近いから遠野高校にでも行こうと思っていた。
ある日、庭でサッカーしていたらおとうが軽トラでホームセンターに行くぞと誘われた。助手席に座っていたらいきなり

青森山田

というワードがポンと出てきた。青森山田といえばあの緑のとこかと。未だに謎なんだが、なぜあそこで青森山田というワードが出てきたのか。そこから、青森山田が妙に気になり始めた。調べてみたら、部員100人以上。全国常連校。
そこから俺は挑戦してみたいなと思った。だから、おとうにいった。そしたら、無理に決まってるだろと。うん、確かに。YESと言われせる要素なし。でもそこだけは諦められなかった、セレクションだけでも受けさせてくれと。諦めない姿勢だけ一丁前。そんな僕ちんは夏に青森山田のグランドへと舞い降りた。結果は不合格。うん、当たり前。6チームくらいあったけど1番レベルの低いところでやってたからね。終わった、わいの挑戦は終わった。悔しかった。
そんな俺を見ておとうに言われた。

「それでも男かと。悔しいなら見返せ」

周りから言われた。いや、無理だって、もったいないとか、高校3年無駄になるから遠野いけとか。
俺は思ったうるせえと。やってやると。入学GOサインは出た。俺は頭を丸めた。やってやるの覚悟と同時に。
強豪高は絶対走る。技術では勝負できる!なら、スタミナだと毎朝5時に起きて友達と走り、学校が終わってからも走る。朝すれ違う人におはようございますと大きな声で挨拶しながらそれはもう走り続けた。

そして雪が降っている中、俺は青森山田に来たんだ。
1年目から7番、10番をつけてJリーグに入るという目標をぶら下げて、蹴球僧のような頭をして。

一般生は特待生より1週間か2週間後くらいに練習に参加する。入寮して、次の日。練習メニューは10㎞走。勝利を確信した。やってきてよかったと心の底から思った。バンとスタートがなる。40人くらいが一斉に走り出す。よっしゃ、1番にゴールしてアピール開始。
走り出して気付いてしまった。ちょ、まてよ早すぎるだろと。おれは気づいたらビリ2でゴールした。そこから一周走が始まり、一本も入れない。また走り、またビリ。もう嫌だった。そして、やっと1週間が経ちボールを触らせてもらった。ボール回し、得意分野きた。全部取られる、一生鬼。そして、ゲーム。サイドハーフで全部抜いてやると思った。幸いなことにマッチアップは学だった。特待生の中でもエリートクラスの小笠原学。これはきたと思った。
全部取られた。いや、一回だけ抜いた。一回外して、クロスをあげようと思ったら体をぶつけられてエリア外まで吹っ飛ばされた。周り見ろとか、守備やれとか文句を言われた。怖かった。萎縮してた。あれ、なんか違うと思った。生きてる世界が違うんだと思った。実力もやってきた環境もサッカーに懸けてる想いも覚悟もこいつらには到底かないっこないんだと思った、フィールドテストもビリから4番目。技術もない、足も遅い、垂直ジャンプも40、アジリティーもない、キックも飛ばない、スタミナもない。本当に底辺、1番下の選手。完全なる井の中の蛙、大海を知らずだった。泣きじゃくった、布団にくるまり泣きまくった。坊主で細くて、陸上部と言われていた。そのくせに1番走れないという意味わかんないことになっていた。そしてカテゴリー分け。

期待も裏切らず、Dチーム。1番下。

Dチームのコーチにポジションどこだと言われた。サイドハーフです、って言った。でも、弱気になっていた、だから、口から出まかせでセンターバックもできますって言ってみた。本当は2、3回しかセンターバックでやったことはない。それをやったとは言えないけど、わかったと言われて俺は少しでかかったからという理由付けだと思うけど、次の日からセンターバックになった。全部ファールする、全部裏取られる、ヘディングは全部いく、ボールは全部取られる。本当にそんな感じ。

ガムシャラ、泥臭い。ガツガツ。

あだ名はがっつき丸。

諦めない気持ち、闘争心、根性。

自分にはこれしかなかった。特待生のみんなにも先輩にも到底かないっこないレベルだった。だから、ヘディングと一対一の練習を毎日した。サイドハーフならすぐ諦めがついたけど、センターバックではやれると思った。試合に出れると思った。絶対に負けたくないと思った。あの頃の自信はなんなのかわからないがそう思ってた。
毎日が充実してた。サッカーが死ぬほど大好きだった。そして、夏くらいにCチームに上がった。俺のレベルじゃ無理だった。先輩も怖かった。コーチングもできない。怯えていた、全部ファールしていた。本当によくわからない。いや、むしろファールするしか止められなかった。しっかりすぐにまた落ちた。そのまま1年目が終わってしまった。1番辛かったのは、プレミアの試合で俺は駐車場係だった。親は近いから見に来るんだけど、駐車場で親の顔を見るたびに本当にごめんと思っていたし、ほんとに悔しかった。悲しかった出来事もあった、自主練していたらお前が練習しても上手くなんねーよって先輩に言われた。悔しいというか今もその言葉だけは忘れられないってことはめっちゃ傷ついた、頑張っている人を馬鹿にすることは絶対にやめようと思った、そういう人間にはならないと心に誓った、見返してやろうと思えた。でかい目標を立てて来た理想の自分と現実の自分とのギャップ。親に申し訳なかった。親には絶対、3年生になったらレギュラー取るから!って言ってたけど、レギュラーになることだけが全てじゃないし、山田で学ぶことは多いからって多分親も俺が出ることは半分期待して半分は無理だと思ってたんだと思う。
2年になって、学年が上がったからCチームに上がった。後輩も入ってきて、俺よりでかいやつ、有望とされて入ってきたやつはもうその時点でBチームだった。同期のみんなもBチームにほとんどいたし、Aチームで出ている選手も5人ほどいた。でも、やるという選択肢しかなかった。とにかくヘディング、一対一。夏に一度、Bチームに上がった。ほんと地獄のようだった。俺のミスで一回一回止められるわ、全部取られる、めっちゃ文句を言われる、コーチングが1番できなかったからその部分を攻められた。ほんとに毎日が鬱だった。練習に行きたくなかった。俺がいるとプリンスメンバーの練習の効率が悪くなるから俺はAチームの紅白戦のメンバーがいないからいつもそっちに回された。Aチームのメンバーさんとやらせてもらうことはとても光栄なことだった。Bチームのコーチに挙げ句の果てに全部ファールすることから

「プロレスラー」

というあだ名を頂き程なくしてしっかり落ちた。プリンスもプレミアも一度も絡むことなく2年が過ぎた。自分らの代の新人戦も入らなかった。とうとうあと1年。来年からスタメンだという位置にはいなかった。
自分でもわかっていた。親には今年は絶対出るからと言って、岩手を後にして青森に帰ってきた。
雪中サッカーが始まった。地獄の始まり。
雪中サッカーだけは得意だった。めっちゃきついとかのレベル超えてたけど。そして、2月の東北新人戦があった。30人。入るか入らないかほんとにギリギリのラインだった。
俺は9番で入った。え、なんで。
9番の選手がたまたま怪我をして、そこに31番目の選手として入れてくれたらしい。死ぬほど嬉しかった。そこから、なぜかわからないけど東北新人戦の初戦で俺を使ってくれた。親にはメンバーには入ったけど出るかわからないと言ってたけど見にきてくれた。初めて青森山田のユニフォームに袖を通した。武者震いした。

下手くそだから、ビルドアップはできない。コーチングもできない。ヘディングと球際と気持ちしかない。そんな選手が俺。

監督はそれでいいと言った。
だけどそれで必ず日本一になれと言ってくれた。
初戦の日、神様が味方してくれたように雪が降った。俺の得意のフィールド。ヘディングをたくさんした、点も決めれた。親は泣いていたよね。
たまたまが重なって、スタメンになった。そこから、プレミアもインターハイも出させてもらった。
オウンゴールもした、最終ラインで取られて失点もした、たくさんのミスで周りに迷惑をかけてきた。ほんとは他の選手の方が良かったかもしれない。のくせに、すぐ調子にのり監督の言うことを無視したり、天狗になったり、それで何回も怒られた。それでも愛を持って指導してくれた。
3年後、俺がコタツに座ってあんこ餅を食べることはなかった。とうとう自分が選手権という舞台に立ってしまった。あの時の景色は忘れられない。人生で1番嬉しかった瞬間。初戦で負けてしまったけど、優秀選手に入り、高校選抜に入らしてもらった。信じられなかった、まさか自分が高校選抜に入れるなんてと。夢のようだった。
まさかの日本一の下手くそな男が日本一のジャイアントキリングを起こしてしまった。
3年間ほんとにサッカー漬け。
青森山田の3年間はほんとに宝物。辛い、苦しいなんて全てぶっ飛ぶくらい楽しかった。
教育実習にも行かせてもらった。みんなサッカーが大好きでいつもボールを蹴ってサッカーに命をかけてた。そんな生徒を見て俺も元気をもらえた。一緒にサッカーできてよかった。選手権頑張ってほしい。

そこから大学4年が過ぎた。
やっぱり関西の土地柄か面白い人が多い。ボケ、ツッコミがしっかりできる人が多い。
おもんない人もいるけど、それがそれでまた面白いんだよ。
大阪体育大学は良い意味でフレンドリーで和気藹々としている。
クセが強い。うるさい。
個性が強い。最高だ。
関西選抜も最高にクレイジー楽しかった。
全日本でもほんとに素晴らしい方々とサッカーをできたし、刺激をもらっている今も。これからまた対戦できるように努力していく。
そして最後のインカレほんと優勝して大学サッカーを締めにかかりたい。

そして、多くの人に支えられ、たくさんの協力があり、プロサッカー選手というスタートラインに立たせてもらうことができた。

自分の人生がどうとかそういうことを言うつもりはないし、みんなみんな色んな道を通ってきたと思うし、人それぞれにストーリーがあるから人生は面白い。
サッカーが大好き。それはもうずっとずっと変わらない。一つ道が違えばこの道にはならなかったかもしれないし、どうなるかは分からなかった。自分にとってサッカーが全てだ。サッカーをしていなかったらこんなに素晴らしい仲間には巡り合ってはいないし、自分の性格も、いやなにもかもが今のようにはなっていないのだから。サッカーの力によって変われたのだ。
小さい頃からサッカー選手になりたいってみんな言うし、自分もそうだった。すごい素敵なことだと思う、そういう子がもっと増えたらいいと思う。なれると思うから道が造られていく。できないなんて無理だなんてその人ができないだけで自分にはすごい可能性が秘められているのではないのかと思って生きてきた。親は親であり、友達は友達であり、周りは周り、俺ではない。

自分の信じたことを正解にする。

自分の心にはいつも

釜石

があった。
地元はみんな家族みたいに温かい。
みんな釜石初のJリーガーになってくれと期待してくれた。
東日本大震災で小学校の恩師が亡くなった。いつも俺のドリブルを褒めてくれて、自信を持たせてくれたんだ。亡くなったと聞いた時は本当に悲しかった。
けど、絶対天国で見守ってくれてると思う。
今年の夏には、小学校からずっと仲が良かった友達が病気で亡くなってしまった。ずっと一緒にサッカーをしたり、遊んだりしていた友だった。夏に葬式に出て、彼のためにも絶対やってやると誓った。1日を全力で生きないといけないと心に刻んだ。
この報告を聞いて喜んでくれるといいな。
震災で大変な人が多くいたのは見てきたし、友達にもたくさんいた。まだ完全に復興なんてできていない。未だに大変な人も多くいる。
だから、自分がその震災の復興のためになにかをできる人間になる。釜石に生まれてきた人間として釜石のために何かを与えれる人間になる。

日本代表になる。

海外のビッククラブでやる。

自分の二大目標。
馬鹿げた奴だなと。そんなんどうでもいい。
やると言ったらやる、なれると思ったらなれる。
できないという選択肢はない。やれる理由はたくさんある。

自分はそうなると決めて生きている。

上を見たら現状におれよりすごい人はたくさんいる。俺のこれから見ていく景色は簡単な世界ではないかもしれないし、意外とそんなことないなって思うかもしれない。どうなるかなんてわからないけどそんなこと考えることじゃない。たくさんのことを経験して日本代表になった人、海外でプレーしている選手。たくさんいる。だからこそ自分にも可能性はあるわけでお前には無理だなんて決められる意味はわからない。自分もその1人になれるはず。目標を声にして言うのは恥ずかしくない。人の目を気にしすぎてた頃もあった。でも、自分の人生は自分のもの、100年もない人生で他人の人生を生きてる暇はないと思った。その目標が叶うかなんて決めるのは他人じゃなくて自分だろ。どこからスタートしようが関係ない。サッカーを職業にする以上、1番上を目指してやるのは当たり前。その可能性がありながら妥協して生きていくのは俺は違うと思う。満足なんてない。

人生に正解はないと思ってる。でも正解があるのかもしれない。自分の考えが正しいとなんて思ってないし、押し付けようともおもってない。人間はみんな違うし、それでいい。だからこそ、その人の色が出る。俺は弱い人間だし、バカだと自覚しているでもそれこそが神様から与えられたもの。それで全力で勝負するしかない。

ここからが本当のスタート。
親、地元のみんな、友達、今まで教えて下さった指導者、先輩、後輩、数えきれない人に支えられて生きてきたし、これからもそう。感謝していると言ってもその感謝する方法はなんなのか。その答えは正直分からない。いつもありがとうと伝えることなのか有名になって結果を出すことなのか、いつもありがとうと感じることなのか。今の俺じゃ答えは見つかりそうにない…。でも、答えを与えられていないからこそみんなと協力して、自分で探す喜びがある。
いつか死んでしまう。自分は自分の人生に何をもたらしたかったのか。自問自答する時期が来る。他人のためになにかをもたらせる人生だったのか。自分の人生はなんのためにあったのか。それをハッキリとは今のところはわからない。今を全力で生きることしかできない。その先に答えはあるのか。それすらもわからない。考えたところでおれの頭じゃわからないから。でもやるしかない。それが菊池流帆という人間なのだから。

自分が腐っていた時、1番尊敬している男に言われたことがある。

「人に夢を与えること、人に勇気を与えること、人のためになること、人を助けることが出来なければ何をやっても成功しないよ。今できることを全力でやれ」

震えた。俺は到底この男にかなわないなと思った。いつかその男を超えたい。だから俺は人のためになにかを与えれる人間になりたいと思う。そう生きなければならないと心に軸を据えている。

雑草。下手くそ。調子乗り。なんでもいい。
ただ自分の好きなことは負けたくない。
絶対絶対日本一のセンターバックになってやるんだ。こんちくしょう。
自分の人生のテーマは

「どこからでも這い上がる」

そんな気がする。

生まれてきた時から出航している船はまだまだ長い道のりを進むことになる。嵐も荒波もある。

でも必ず流れる「帆」はゴールへと辿り着く。


これからもずっとサッカーを楽しむ。

大好きでいたい。

小さい頃からの気持ちを忘れずにいたい。

子供の時のように全力でボールを追いかけたいと思う。


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菊池流帆

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コメント1件

素晴らしいかったです。
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