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超絶ラッキーボーイ

おれは子供としてなにかを成せてきたのだろうか。最近はすごくそれを考えてしまう。
若々しかったおとうとおかあが歳をとってもう50になるんだ。
シワも増えてきて、歳をとったんだなって思う。
ちょっとさみしい気持ちもある。
いつも頼りきりで好き放題やって、迷惑ばかりかけてほんとに申し訳ないと思う。
やはり、1番に感謝するべき人は家族だ。
俺はこの家族の元へ生まれてきて本当に幸せだ。
感謝って言ってもなにを感謝と言えばいいのか。
プロになって、これからもっと上にいってやることが恩返しなのか。ありがとうと伝えることなのか。
果たして正解はわからない。
親が死んでしまったら俺はどうすればいいんだ。
俺はまだ本当の意味で自立なんてできていない。
人としてそして男としてまだまだ半人前。
お父さんが働いていなくたって、俺がおかあと妹を食わせていくんだっていう覚悟を持っているか?
俺はまだ甘えている。
大学までずっと好きなことやらせてもらって、高校も大学も私立でお金を払ってもらって俺はなにか恩返しと呼べるものをできたのだろうか。


両親はなんも望んじゃいない。
俺がなにかを与えようとしても何もいらないと言う。
日々の生活がものすごく幸せだという。
1日をものすごく楽しそうに生きている。
そんな両親を心から尊敬するし、俺もそうなりたいと思う。

釜石に帰った際、ありがたいことに岩手日報さんから新聞の記事の取材を受けさせていただいた。
俺は両親がいるとやりづらいから1人で受けていた。
そして、自分への質問を終えて両親に話を聞きたいと言われた。

お子さんが青森山田に行きたいと言った時、どうお考えでしたか。

俺は席を外そうと思った。でも、聞きたいと思った。だから、恥ずかしいけど一緒に聞くことになった。



『 まず、息子が青森山田に行きたいと言った時、俺はバカだと思った。こいつは何を勘違いしているんだと。
当時の息子のレベルを知っていたからこそこいつは何バカなことを言っているんだと思いました。
誰よりも走れない、岩手レベルでも通用しない。内陸の中学生にはいつもボコスコやられてバカにされてたお前が何を言いだすんだと。
最初はそう息子に言いました。絶対ダメだと。
でも、それでも息子がセレクションだけでもいいから受けさせてくれと言いました。
あまりにもしつこかったからわかったと。
セレクションに行って現実を見て息子には諦めてもらおうと思いました。
そして、2人でセレクションに向かいました。
息子のプレーする姿を見てもう一瞬でわかりました、このチームは1番レベルの低いチームだなと。
それにその中でも息子は1番下手。
もう絶対に受からないと思いました。
セレクションが終わって息子に言いました。
お前今日1番下手くそだったよ、絶対落ちたよ。
息子はうん、わかったと言いました。
結果は不合格。良かったと思いました。これで息子は諦めてくれるだろうと。
しかし、息子は言いました。
青森山田でやらせてくださいと。
俺は言いました。
お前は青森山田にボール拾いにでも行く気か?
セレクションで不合格って言われていらないって言われてるのにいく意味なんてないだろ?
私立でお金がかかるのを知っているのか?

息子は落ち込んでいました。色々考えたと思います。
でも、またすぐに
お願いです、青森山田でやらせてください。
と言ってきました。
さすがの俺も考えました。
そして、ゆうこ(おかあ)と夜にビールを飲みながら話し合いました。
どうする?と。
このまま行っても山田では試合に出れないだろうし、3年間球拾いだぞ。流帆ななんか勘違いをしているぞと。
ゆうこと相談しました。そして、結論が出ました。
色々考えた末

やりたいようにやらせてあげようと思いました。
もし、これで流帆を山田に行かせなくて成人を迎えた時、流帆がおれこんな人生つまんないよ、あの時、山田に行ってたらなんて後悔はさせたくないよねって。
チャレンジさせてあげようって。親のエゴで行かせないことはできるけどそれは流帆にとって良くないことだよねって。

中学のコーチにも青森山田には行っても無理だとかおとなしく遠野に行けばいんだからとかこの親子は何を勘違いして青森山田に行くって言ってるんだという雰囲気でした。しかし、否定的な意見が多い中で流帆のことをいつも気にかけてくれるコーチだけがこう言ったんです。
行かせたらいんじゃないのって。

そして、息子にもいいよと言いました。
期待はせずに送り出してあげようと。
そして、無事に一般生として合格して青森山田に入学しました。

そして、入学式を迎えました。一般で入った息子は、サッカー部のみんなとはクラスは違う、寮はみんなとは違う。
そんな状態だったのでとても不安で、親である自分が心を折られそうでした。
そして半年が過ぎ、夏の帰省で息子が帰ってきました。
練習はきつくないか?サッカーは楽しいか?
息子は言いました。
全然きつくないよ、すごい楽しいよ!
家族のおかげでサッカーができてます、感謝してます。ありがとうございます。
半年でこんなにも変わるのか、青森山田の育成はとてもすごいなと思いました。
でも、思いました。あのヘナヘナで全く走れない流帆が天下の青森山田の練習がきつくないはずないだろと。おかしいなと。


自分にはサッカーノートがありました。
そのサッカーノートは15歳の誕生日に母から頂いたものです。それを自分は帰省の時も書くためにカバンにしまっていました。そのサッカーノートをおかあに見られてしまったのです。笑

ゆうこが流帆が走っている隙にノートを見つけて、一階にいる俺に見せてきたのです。
ここ見てここ!!ゆうこは泣いていました。
それは、
特待生や先輩にバカにされる。
ボールを受けるのが怖い。
自分は弱い、苦しいなどの自己否定。
そして、この部分に自分は胸を痛めました。
今日は自主練をしていたら先輩からおい、お前自主練なんていいからボール拾いしろよ、お前が自主練しても上手くなんねーよとバカにされ、周りの先輩からも笑われた。なんでだよ、Dチームだったら練習しちゃダメなのか。どうしたらいいんだ。悔しい、涙が止まらない。絶対強くなって見返す。
この部分を見て涙が出てきてしまいました。

親としては息子は大変な思いをしながらやっているんだなぁという少し切ない気持ちになりました。
だけどそれ以上にこんなにも苦しい思いをしながら息子は楽しいです、ありがとうございますと自分を偽ってやっている姿に感動しました。
そして、ゆうこと夜に話し合いました。
ゆうこ、俺はもう頑張れとかもっとやれとか言わないよ。だってあんだけ頑張ってるんだもん。
青森山田に行っただけでいいじゃん。すごい成長させてもらっているよ。レギュラーになんなくたっていいよ。もうなにも言わないであげよう。
息子の成長を感じただけでもう満足でした。
青森山田に行っただけでもうよかったと思いました。
だから、それ以降は息子にレギュラーをとれよとかもっと頑張れとかは言ったことはないと思います。

そこから2年生の時も全く試合に絡めず、時が過ぎて行きました。そして、2年生の冬の帰省で彼は来年絶対レギュラー獲るからと新幹線に乗る前に捨て台詞を吐いていきました。またなにをいってるんだ、もういいのにと思っていました。

そして、3年生になる前の2月に東北新人戦で初めてメンバーに入れさせてもらいもしかしたら試合に出れるかもと言われました。
おおすごいなと、まあどうせ試合には出ないだろうと期待はせずに仙台に行きました。
選手入場のとき、ひょろっと息子が現れました。
こいつ、なにしてるんだと。間違って入ってきたんじゃねーだろうなと思いました。
もともと下手くそなのは知っていて、その日は雪が多く降ったこともあり相手がボールを蹴ってくるのをたくさんヘディングをして、点まで決めてくれました。
ゆうこと2人で泣きました。
こんなに嬉しかった日はなかったと思います。
それから、サニックス杯やプレミアリーグ、インターハイ、選手権にまで出させてもらって優秀選手などにも選ばさせてもらって息子には多くのことを教えてもらい、そして夢を与えてもらいました。


自分は親の役目を間違っていました。
大人は自分の範疇で物事を決めてしまいます。
自分の枠の中で生きています。だからお前には無理だと勝手に決めつけてしまっていました。子供の可能性を決めつけてしまっていました。
でも、息子には夢は叶うということを教えてもらいました。やればできるんだと。
まさか親である自分が息子に夢や勇気をもらうとは思いませんでした。
どうしても現実があれだったもので絶対無理だとか行っても無駄だとか思っていました。
でも、絶対なんてないんだなと。
挑戦することの大切さを教えてもらいました。
少年や青年は夢を持って挑戦するべきだと思います。
やりたいことを精一杯やらせてあげるのが親の務めだなと。それを応援してあげるのが親だなと。
これからも自分のやりたいように自分らしく生きていってほしいし、1番近くで応援しています』




親の前では泣きたくなかった。
だけど、肝心の親は泣いてるんだ。
泣きそうになった。
ふざけんな、俺のサッカーノート見やがって。

おとうは言ってたね。
あれほど否定してしまったけど、それで折れるくらいなら本当に好きじゃないってことだからねって。

俺は絶対に成功する。
なにがなんでも成功してやる。
家族のために大切な人のために。
やってやる。

恩返しする方法の正解なんてわからない。
だけど、決めた。

家族に世界を見せてやること。
世界のフットボールの頂点で自分がプレーしているところを見せてやる。
日本を背負って、戦うところを見せてやる。

ありがとう。本当に世界一の幸せ者だ。
感謝しかない。
まかせとけ。自分の言ったことは守るから。
どんなことでも跳ね除けてやる。

超絶ラッキーボーイ
勘違いが生んだJリーガー



うるせえ。
たしかにここまできたのは運が良かったからだけど。
その通り。笑

おとうおかあがんばっからね。本当にありがとう。
毎日を全力で生きます。

顔晴ります。

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