見出し画像

生きるとは

自分の人生。振り返ってみると意外に今まで思い通りに進んできた。
高校でも大学でも自分の目標は全て達成された。
試合に出たいも高校選抜に入りたいも大学で新人賞を取りたいもユニバーシアードに出たいもプロになりたいも。
全て達成してきた。
けど、1つ達成できないことが起きた。
それは大卒で海外に出ることだった。
本当は海外に出たかった。
それが大学1年目からの目標だったから。
でもそれだけなぜか達成できなかった。
おかしい。

熱意が足りなかった、実力が足りなかった、考えられる要因はたくさんある。
だが違う。
俺は自分で道を選べると思っていた。
こっちの道、あっちの道、どっちに行こうか。
無数の道に見える。それを選択して生きている。
そっちに行ったら成功するよ、そっちに行ったら失敗するよ。そっちの道は険しいよ、そっちの道は楽だよ。
でも、行ってみないとわかんなくね?
やってみないとわからない。
人生にマップなんて存在しない。
ゴールなんて記されてないし、まずそれこそがあるかわからない。
行ってみたら行き止まり。怪物が待っているのかもしれない。でも分かったことがある。

どの道に行っても正解だと。

どこから行こうがゴールへと辿り着く。 


大卒に海外に出ることが一番手っ取り早いと思った。でも、その道には行けなかった。
でもそのおかげでレノファ山口という素晴らしいチームに加入しプレーさせてもらえるチャンスをいただいた。それが一番の幸せだと気づけた。

まず凄いと呼ばれる人って発想が違う。
頭の作りというか考えが違う。
そういう人って

俺は成功できるってなんの根拠もなしに言えちゃう。

それが本当に現実になってる。

自分に自信があるのか、はたまたハッタリなのか、
わからない。
けど、本当に成功できるって思ってるんだと思う。
脳の成功スイッチがオンになっている。
自分が夢を描いたら夢はもう叶ったのと同じ。
だって自分にできることだから、それをしたいって夢になる。

必ず神様が道を造ってくれてその道に導いてくれる。その道で一所懸命やる。

だから俺はこれから山口という舞台で一所懸命にやらなければ次の道は造られないと思っている。

いろんな選択をして生きていた。そう思っていた。
小さい頃からなんのスポーツをしようか、中学ではサッカーをやめてテニスをしようとしていた、高校もどこにしようか、大学はどうしようか。
でもそれは選択という形ではなく、導かれていた。
山口に加入できたのもそうだと思う。

でも思った。
成功ってなに?
お金持ちになること?有名になること?
成功の定義ってなんだ。
「計画などが上手くいき目標が達成できたことや社会的に一定以上の地位を得たこと」
「普通には困難な目的が成し遂げられること」
らしい。うーんなんか違う。

自分の指す成功とは日本代表になることだと思っていた。ならば、日本代表になったら成功?って聞かれたら成功とは俺は言えないと自信を持って言える。
高校の時の成功の定義は「試合に出ること」だった。
大学の時の成功の定義は「全日本に入ること」だった。
どっちも達成されて成功だね、と言われるかもだが成功したとは思えなかったし、満足なんてなかった。
だから、日本代表になっても成功なんて言えるわけないのだ。日本代表になったからサッカー人生が終わるわけではないし、それがゴールだとは思えない。
でも今、自分自身は成功していると感じている。それにこれからも成功すると思って生きている。
人生が終わるその時まで俺は胸を張って俺の人生は成功したと言える。その自信はある。その矛盾はなんなのか。でも他人から見たら俺は成功してないと言われるかもしれないし、成功していると言われるかもしれない。


リチャード・ブランソン(バージン・グループの創業者)
「本当の成功とはどれくらい幸せかどうか」 

ビル・ゲイツ(有名な人)
「成功の物差しは身近な人がどれだけ幸せかで自分を愛してくれるかどうか」 

ディーパック・チャプラ(医師、作家)
「人生における成功は幸せが継続的に広がっていくこと、価値ある目標を次々と達成していくこと」 

マークキューバン(投資家)
「私にとって成功の定義とは朝、笑顔で起きて今日もいい一日になるだろうと思うこと。お金がなかった頃も幸せだったし、成功していると感じていた」

自分にとっての成功は、、

「幸せであるかどうか」だった。

だから、今もこれからも幸せである自信があるから成功すると言えるんだ。自分にとっての成功は価値ある目標を達成してそれが永遠に続くことなんだ。サッカーでの成功が自分の成功の定義ではない。
 でもそれは自分にとっての成功。
だから、他人に成功とか失敗とか評価される必要はない。
人はみんな違うから、成功の定義はみんな違ってみんないい。
だから、成功って言葉はすごく曖昧な言葉であり、一概に一緒ではないなぁと思った。

俺は人を嫌いになることはない。
でも前も話したが許せないことはある。
頑張っている人の足を引っ張ること。
そんな大人や人間は残念だがたくさんいる。
大学でもいたし、これまでの人生でもいた。
俺が自分のトレーニングしていたら、
お前そんなことやっても一生成功できないぞ。
お前なんかがプロでやっていけるわけないだろと。
いつも自信を剥ぎ取ろうとしてくる。
まずは否定から入る、試合には勝てないと言う。
なんであなたに占いをされないといけないんだ。
俺の人生は俺が決めるんだよ。と思ってる。
自分のことには目を向けないで他人の批判ばっか、悪口ばっかり。
出てくる言葉はネガティブばかり。
なぜそういう言葉が出てくるのか。
そんな人間には素直になりたくない。
でも、そういう人と出逢うことは当たり前なのだ。
なぜならそういう人に出逢わないと自分の成長はないからだ。自分に悔しさや反骨心などを芽生えさせてくれる大切な存在だ。

でも、なんで悪口とか愚痴って作られたんだろうか。
誰が作ったんだろうか。
それは大人だと思う。大人を見て子供は育つのだから。
自分の範疇で子供を限定させる。
お前には無理だからやめなさいと子供のやりたいことを潰す。
ほんとお前って子はなにもできないよなと言ったり。
子供はチャレンジできなくなる。そうして、他の子ががんばっているのを邪魔したくなって悪口を言う。
俺には無理だよと限界を作り、自分の本当に好きなことをできなくなる。
赤ちゃんにパパ、ママと教えてその言葉を発するようにその言葉を知らなければその言葉をしゃべることはないのだから。
そんなことを言ってる自分も高校時代悪口を多く言っていた。後輩には優しくしてあげれなかったし、自分の意味わかんないプライドの高さで殻に閉じこもっていたし。本当にそこは後悔している。もっと仲間を後輩を先輩を先生を大切にするべきだった。


今のおとうは仏のように優しいし、とても大好きだし、めっちゃすごいと思ってる。ゲイではない。
でも昔はひどかったというかこわかった。
いつも試合に見にきて、プレーが悪かったら永遠に怒られる。ああだこうだ、こうしろああしろと。
おとうの目を気にしてサッカーをしてた。おとうを満足させるためにサッカーをしていた時もあった。
今もそうだが人の目を気にしてサッカーすると100%自分の場合失敗することに気づいた。そうではなく、自分がサッカーを楽しむだけにフォーカスすると身体の調子もいい。
でも、あの怖かったおとうは変わり果てた。こんなに人間は変わるものかというくらい変わった。
俺のことをいつも褒めてくれる、自信を持たしてくれる、そして腐った時に怒ってくれる。
お前は日本代表になれるぞといつも言ってくれる。
般若のような顔していたおとうがいまは千手観音像のような顔をしている。
おとうを例に出したのは悪かったごめんね。
おとうのことをとやかく言うつもりはない。おとうはおとうの人生だ。俺の人生ではない。
やっぱり子供ができると自分の思い通りに育ってほしいと思うんだろうな。サッカーをさせたいとか野球をさせたいとか、こんな性格になってほしい、こんなことをしてほしくはないと。
でも悪いが俺は俺の思い通りに生きるぜ。
たとえ、家族であろうが俺のやりたいことを邪魔することはできない。
俺の考えはおとうの考えではないし、それをおとうはいまは理解してくれている。
なんていったって

人間は優しさも強さも愛も自由も大切なものはすでに自分の中にあるから。

人間はそういうものをすべてもって生まれてきている。
成長するというのは得ていくことじゃない。捨てていくことだから。
俺は透明な状態で生まれたわけじゃないぜ。自分の色は決まってるんだぜ。人それぞれに生まれ持ったものは違うんだと思う。
成長していくとはいろんなことを学んで身につけていくことだと思っていた。
けど、そういう感じではなく余計なもの、いらないものを取り払い、堂々と自分の感性で、湧き出る感情でやりたいことを最高に楽しむことなのではないか。

俺の人生はどうするか生まれる前から決めてきたから。

どうするかは自分しか答えを知らないんだと思う。家族だって、親友だって、恩師だって、尊敬する兄貴にも分からないことなんだ。自分しか分からない答えを捜し求めて歩くんだ。未だにその答えは分かっていない。わかることがあるのかもわからない。
でも確かなことは一つある。

自分の好きなことを思い切り楽しむということ。

ただ大好きなサッカーを今まで自分の思うようにやってきた。サッカーをしてきて人間性、社会性、たくさんのものを知れた。
そのたくさんの経験は自分の財産だ。
その中でどうしていくかは自分次第。これはいいね、これは違うね、今日の正解が明日には違う答えになっている。そんなことは多くある。これはこうだと思っていたことが次には違うのが当たり前。諸行無常。面白い。


今だから言うけど大学の授業なんて面白くもなんともなかった。いやそんなことを言ったら申し訳ないが小さい頃から勉強なんて面白くもなんともなかった。公文に通わされて勉強をしていたが、勉強なんて正直好きじゃない。唯一、好きだったのは漢字くらい。でも、勉強しろなんて言われてた。社会に出たら方程式なんか出てこないし、化学の質量の求め方なんて出てこないんだよ。
大学来て、保健体育の先生にもなりたくないのに教職を取ってセカンドキャリアがどうだこうだって、そんなん興味ないし、ピンと来ない。俺はサッカーをしにきたわけだし、先生になんて1ミリもなりたくないし、セカンドキャリアでもしかして先生やるかもよなんてのはどうでもいい。とにかく今を生きたい。サッカーを楽しんだ先にまた道が造られていくと思うから。そん時に考えればいいと思ってる。セカンドキャリアを考えながらサッカーをしないといけないみたいな風習が最近はあるらしいけど俺は興味のきの字もない。セカンドキャリアを否定しているわけではない、考えたければ考えればいいのだ。サッカーバカにはなるな、文武両道しろなんてそんなの他の人はそうすればいいだけだし、俺は別にサッカーバカになるななんて決められる必要もないし、文武両道したいならそれをしたい奴がすればいい。
勉強は好きな子がやればいいんだと思ってる。科学が好きな人は科学者になれるんだし、本当に勉強が好きな子は東大にもいけるんだから。
親には申し訳ない。公文も通わせてもらって、でも俺、勉強好きじゃないんだ。高校も大学も行かせてもらって、でも勉強は好きになれなかったよ。ごめんなさい。
要望を言うならもっと夢の叶え方とか勇気の与え方とかどうしたら人のために生きれるかの授業をしてほしかった。そういう教育であってほしかった。
将来、自分がそういう授業をできるようにありたいなぁと感じた。
 悪いが俺には勉強は必要のないことだった。
弁護士にはなれないし、公務員にはなれない。
ただサッカー選手はなれる。
それが自分の好きなことだったからだ。
もし本気で弁護士になろうと思えば、小さい頃からバリバリ勉強して苦しくても努力して勉強して、いい大学入ってそして弁護士に、、


なれないんだよ。
なんでって、俺にとって勉強は苦しいことだから。
勉強することを批判しているわけではない。勉強は大切なことだ。勉強が好きで頑張ってる人はその道で成功するのだから。ただ、自分は勉強では成功できないそれだけ。苦しいと感じることは必ず成功しない。
自分がサッカーをやってきた中で苦しいとか辛いとか思ったことはない。大変なことは多かったがそれも楽しかった。辛い思いをして努力をしたなんて思ってない。ただサッカーが大好きで大好きでそれを一所懸命やってたらその道に神様が寄んでくれた。
だから、勘違いはされたくない。
自分にとって苦労したこととか苦しい経験っていうのはない。失敗という言葉も自分の中ではない。
どこに行こうとどの道を選ぼうが成功になるのだから。でも、苦しいと感じることで成功することなんてない。
もし自分がプロになれなくて社会人になっていても成功と感じると思う。その道を俺は後悔することはない。こっちにいっておけばよかった、あっちにいっておけばよかったなんて、そっちの道に行こうがその人はまたそんなことを言い出す人生なんだよ。
だから、

上に行く奴は上に行くし、下に行く奴は下に行く。

だから俺は上に行く。
自分の答えは自分にしか分からないんだよ。本当は自分がどうすればいいかなんてわかってるんだと思う。それをやるかやらないかの話。
他人がくれるのはヒントだけ。本当の答えは自分で探すしかないと思っている。

俺は世界のキクチリューホになりたい。

日本でも海外でも有名になりたい、有名になれば人に与えれる影響力が何倍にもなるから。
海外に行っても、Oh!Ryuho!what's up?
Oh!very crazy!
っていう会話をしたいし、ずっと小さい頃から有名になりたいと思ってた。ただ、有名になりたい。みんなに自分を知ってもらいたい。
有名になりたいっていうのはだめだと思ってた。
いつもお世話になっている人に欲は良くないことだと教わった。だから、有名にはならないでひっそりと暮らした方がいいと思ってた。
でも俺は違うんじゃないかと思った。欲はガソリンだ、自分の動くエネルギーになる。自分のやりたいことを我慢するのは違うと思うし、欲がなければ成功なんてしない。俺はこうなりたい、ああなりたいって。
思わなければカタチにはならないし、現実にはならない。

俺がプロになれたのは見れば分かると思う。
観てて気持ちいいくらいに下手くそなのだ。
大学界で一番のハメどころにされた。相手チームは俺が持つとスアレス並のプレスをかけてくる。相手の応援席からも4番のところではめろやらそこ下手くそだから行けるぞと何度も言われたし、あいつ頭おかしいぞといつも言われた。たぶん、大学界で一番言われた。その自信はある。
昔は自分でも嫌だった。下手くそがコンプレックスでそれを周りから指摘されるのも嫌だったし、自分でも下手くそっていう事実を直視しなかった。劣等感もあったし、ほんとに嫌だった。
それにヘディングしておっしゃーとか言うし、気合い系だからかよくわからんがめちゃくちゃ野次られた。野次られがすごいねん。時にひどい時には死ねとかも言われた。最初は落ち込んでた。さすがに傷つくわボケナス。と思ったね。笑
でも、そんな野次りは当たり前だ。
それで逆に燃えた。かかってこいと。
俺は気付いたんだ。
下手くそだからこそプロになれたのだ。
だからヘディングと球際と絶対負けたくないっていう気持ちは誰にも負けない自信があるし、それで1番になるためにずっとやってきた。
日本一の雑草魂を俺は持っている。誰がなんと言おうと、それは俺だ。そこしかないから。
下手くそで良かったと思ってる。
過去は変えられない、未来は変えられるというけど過去だって変えられる。
普通、自分がサッカーが下手で失敗したり苦しいことがあったらそれが嫌で嫌な過去になる。けど、俺の場合はそうならない。下手くそだからラッキーなんだよ。下手くそっていう過去があったから成長できたし、自分の過去は今のために全てが必要な経験なのだから。捉え方を変えたら人生は驚くべきほど見方は変わる。

でも、この先、俺は壁にぶち当たる。下手くそは自分の最大の長所でもあり、最大の短所でもある。
俺はもっと上手くならないといけない。だから上手くなろうと思う。
そんな簡単に上手くなんねーよって言われるかもしれない。だったら大学時代になってるだろと。
知らない。上手くなる。
学ぶんだそれをこれから。遅くなんてない。
自分の捉え方次第だ。伸び代は人の何倍もある。
俺バケモンなんぞこれ。って思ってる。
生きていると晴れの日も雨の日だってある。良い天気か悪い天気かを決めるのは自分なんだよ。だから、雨だろうが曇りだろうが自分の都合の良いように思考を変えていけばいいだけだから。上手くなろうと思えば本当に上手くなるから。日本一上手いセンターバックをこれから俺は目指す。うおーー、楽しみ。

プロの世界に行ったら、戦いだ。
チームの選手にも相手にも勝たなくてはいけない。それは仕方ないし、当たり前のことだ。
勝負の世界はそうなのだから。そうじゃなければ、自分のいう日本代表にもなれない。
でも。人としてあいつのあそこはだめだとか弱い所を見つけるのではなく、良いところを見て褒めたり、そこを活かしあえる人生ならこの世界はhappyじゃないか。もし、勉強が得意ならそれを活かして仕事をするべきだし、周りの人に教えてあげるべきだ。もし、喋るのが上手ければ営業とかそれを活かせる職業に就けばいいと思う。
光栄なことに自分はサッカー選手になれた。
そうであるなら自分はどうあるべきか。
それは、自分がそうされたようにサッカーの魅力を伝えること、プロサッカー選手になりたいって思わせる子供を増やせるようにすること、そして、夢、勇気や希望を与えれる選手になること、愛される選手になること。
その使命を自分は神様から与えられていると思っている。
人は使命通りに生きれば幸せになれるし、道を間違うことはない。
その使命とは

ワクワクすることをする。それに尽きる。

人に何を言われようが関係なく、これがしたくて生きてる、これをするために生まれてきた。そう感じられるものが使命だと思う。
俺はものすごいワクワクしている。
これからの未来に対してすごい希望を持っている。
たくさん挑戦して、殴られて、転ばされて、それでも立ち上がる。
自分を信じて進むしかない、それが正解になるのだから。
自分に苦しいとか辛いという文字は存在しない。
俺はいろんなものを捨てた。
負けたら悔しい。ならばもっと練習して上手くなる。
俺はできるって自分にずっと言い聞かせてるし、将来の夢はレアル・マドリードだ。
日本で1番になってやる。
毎日毎日サッカーが大好きでただボールを蹴ってるだけで幸せで楽しい。
それらは小さい時できていた自分で大人になればなるほどできないものなんだと思う。その気持ちを忘れたくはない。



人間は思考の中で生きている。
できると思ったらできるし、無理だと思ったら無理なんだ。自分の枠の中で生きている。
俺はだからなんでもできると思っている。
それで別に自分の思い通りにならなくてもいいんだよ。
でも、でかい夢を追いかけてる奴といつも他人の人生にああだこうだいう奴とどっちが輝いて見えるかってそんなの誰もが分かること。

泥臭くてもダサくても俺は夢を追い続けてそれを達成していく人生を選んで生まれてきたんだ。

もっと視野を広げないといけない。地元を離れ、青森でサッカーをして大阪に出てきてよかった。
俺が釜石の中で留まっていたら今の自分の考え方にはならない。広い世界を知らないと井の中の蛙になる。
セブンイレブン、スターバックスを俺は高校に出るまで知らなかった。いや、スターバックスは大学の時に知った。
なぜ知らなかったか?それは自分のところにはないからだ。あるわけがないのにわかるわけなんてない。人間は自分の狭い常識の中で生きている。凄い人に会わないと凄くはなれない。本物を知らないと本物にはなれない。そうやって世界を知らないといけない。だからもっともっとでかい世界に出て本物、超一流を知らないといけない。必ず上には上がいる。それは世の中の常だ。

今までやってきたことで後悔していること、もっとたくさんやっとけばよかったっていうこと人間にはたくさんあると思う。4年目の前期、全く試合に出れなかった。プロになる大事な時期で焦っていたし、まじで普通にふざけんなと思っていたし、なんでだよってすごい思っていた。監督の言うことも全部無視してたし、もうサッカーなんてやめたらいい思って自分勝手にやってた。1年から試合に出させてもらって全日本にも入れさせてもらって3年間なにをしても試合に出れた。その中でいきなり出れなくなって素直さとか謙虚さとかを全て忘れてサッカーしていた。俺は強いとかできるとか驕っていた。Jリーグなんてどこでもいけるわなんて思ってた。でもどこからもこなかった。当たり前だ。腐っていたし、自分を大切にしていなかった。自分にベクトルを向けずに言い訳を作り、自分から逃げていたことがあった。
でもそれでいい。人間はその瞬間その瞬間でその出来事を学ばなければいけないことになっているから。その過程を歩まなければいけないことになっているから。人間は絶対成功するようになっているから。だから、今の自分にふさわしい出来事が起きてそれをどう捉えるかが大切なんだと気付いた。そこでこれまでにはないたくさんのことを学べたのだから。
俺はたくさんの人にもっと大人になれとか真面目になってくれとか言われてきたけどなんでそうならなきゃならないの?って思ってた。なんで貴方達に性格を決められて生きていかないとだめなの?って。俺が大人になるべき時は自分がそうなりたいと思った時でいい。だから、今はそうはなりたくない。そうなるべき時は決まってるから。個性っていうのはすごい大事なんだ。みんな違う個性があるからいい。真面目な性格は真面目でいんだし、ふざけるのが好きならふざけてればいい、静かなのが好きなら静かでいい。無理に変えようとするから、変えられるのを強いられるから成功しない、それは本当の自分じゃないから。
人間が一番怖いのは、自分が言ったことをできなかった時。批判や周りの目が怖い。ほら言った通りだ、お前なんかにできるわけないだろって言われる。
でもどうでもよくね。他人の人生に首を突っ込めるほど人間は完璧じゃないし、そいつは自分じゃないんだからできないだけだけ。だから、俺はやる。
日本代表になる。
海外のビッククラブでプレーする。

絶対、有言実行する。

あの男に言われた。

「俺は人生で一番大事な事は愛だと思う。もちろん恋愛も含まれるが、自分に携わる人達、自分の目の前にいる人に対して愛をもって接する事だと思う。
愛のある行動、挨拶、言動、思いやり。
あたりまえの事だけどそこに愛があるのか、ないのかによって全然影響力が変わってくるんだよ。愛をもらった人達は心から喜んでくれて、幸せな気持ちになり、その感謝の心が自分に帰って来る。
その感謝の心が多ければ多いほど自分は幸せになる。いつでも、どこでもあたりまえのように愛のある接し方が出きるように行動しようね。俺もまだまだ進行形だよ。
地位も、名誉も、お金も実は自分で得る物ではないんだよ。与えられるものなんだよ。その人の行動した生き方で決まるものなんだよ。全ての人達に愛され皆が与えてくれるものなんだよ。俺の人生自分の努力ではなくて、自分が出会えた人達が素晴らしかったから今があるってね。自分の努力など何一つないよ。だから毎日みんなに、感謝して生きてるよ」

俺は弱い、バカだ、未熟者だ。
その男にそう言ったんだ。それでいいんだと。
それを気付くことが1番大事だと。悪いと思うことを毎日磨きかけていくことで成長に繋がる。
将来のことなんて考えなくていい。今を楽しく生きろ。自分を信じて自分らしさを存分に出せと。
携帯の画面を見て部屋で泣いた。
そんな偉大な男と出逢えて俺は本当に幸せだ。決して人と比べることはしないがいつまでもその男の存在はでかくていつまでも敵うことがないと思う。でも、その男に近づきたい。一生かけてもその男に近づけるように努力する。

出逢いは必然なんだと思う。
今までに出逢えた人は出逢うべくして出逢った人。
自分にいろんな気付きを与えてくれ、支えてくれる。そして、幸せをもらえる。自分の存在意義を教えてくれる。反面教師にもなることもある。
自分1人では生きていけない。神様が人は支え合いながら生きていくようにこの人生に送り出したから。
素晴らしい人に囲まれて生きていることに感謝しかない。
幸せなんて一瞬でなれる。本当はもう幸せなのだから。それに気付けば幸せなのだから。
どんな生き方も尊いし、正解な生き方なんてない。正解なんて追い求めなくていいのかもしれない、だってそんなの一生かけてもわかんなそうだもん。
だからこそ自分の満足いく生き方、楽しいなっていう生き方をしたい。
今生きている世界は自分が作り出しているのだから。

今回も長くなりました。自分の思ったことを全て書きました。おとうは多少頭がキレるけど、俺は全くそれを引き継げませんでした。だからごめんなさい。ぐちゃぐちゃですね。
でもこれが自分のスタイルです。
大学サッカーが終わり、あとひとつだけ。
後輩達に伝えたいことがある。

自分が入りたい、やりたいと言って入ったサッカー部だ。それなら、全力でサッカーにぶつかってほしい。
自分のやりたいことをやることは大切だし、自分の欲求に素直になることは大事なこと。それは本人の自由だ。だからそれについてはなにも言わない。
でも、環境に流され周りに流され自分のやるべきことを忘れて親への感謝や周りへの感謝を忘れてわがままに生きるのは違う。
大学生にでもなれば現実に直面するのは分かる。到底、実力が及ばない選手がいることはもちろん諦めてしまう気持ちは物凄く分かる。自分も高校時代にうんとそれを経験したから。
でも、それを言い訳にサッカーを適当にやらないでほほしい。レギュラーを目指せなんて言わないし、Aチームに入れなんても言わない。でも、一つでも上のカテゴリーでやってみたいとか自分を成長させたいという気持ちを持ってやってほしい。それがこの先に繋がるから。大阪体育大学という大学に入って、サッカーから遠ざかっていく選手をたくさん見てきた。練習はめんどくさいやら、早く辞めたいなど。小さい頃のあのサッカーが好きという純粋な気持ちをもう一度だけ思い出してほしいし、なんのためにこの大学に入りたかったのか、プロになりたいやレギュラーになりたい、レベルの高い所に身を置きたい、先生になりたかっただけでただサッカーしてきたから入った、それでもいい。だからこそ、大好きなサッカーを嫌いになってほしくないし、言い訳を作って自分から逃げてほしくない。サッカーがつまらない、環境がこうだから嫌だ。そんな言葉を聞きたくはないし、使ってほしくない。環境が悪いのかもしれない、指導者が悪いのかもしれない、周りが悪いのかもしれない。でも、他人を変えることはできない、自分が変わるしかない。誰のためにサッカーやってるんだ?自分が好きで始めたサッカーじゃないか。指導者のためにやってるわけじゃないだろ?辞めたいなら辞めればいい、やるのならやり切れ。中途半端にはやらないでほしい。まずは自分のために自分の思う限りの全力でサッカーにぶつかって欲しい。俺みたいな下手くそでもプロになれるんだから俺より技術のある選手、頭のいい選手がたくさんいるんだから自分の可能性にもっと自信を持っていいし、チャレンジしてほしい。自分の可能性に蓋をしないでほしい。可能性は無限大なのだから。
大学サッカーは下手くそが這い上がっていける場所、無名な選手でも有名になれる場所なんだよ。平等なんだよ。
高校時代にすごい有名な選手だっていたし、バケモノみたいな選手もいた。けど、結局、試合に出てないとかサッカー部を辞めたりするんだよ。逆にこいつどこの高校だよとかコツコツやってきて4年目で化けたりする選手が多い。
なにがいいたいかというと自分次第で物事は変わる。
自分という人間をどこまで高めれるかが大学サッカーなんだと思う。だから、人のせいや環境のせいにした瞬間にダサい男に成り下がる。自分にスポットを当て自分の捉え方を変えて取り組んでほしい。
プロになることが成功じゃないし、レギュラーになれることが成功じゃない。それを成功の基準とするのはおかしい。サッカーよりも大切なことがあるのだから。人としてどれだけ高められるかが人生では1番大切なことだと思うから。本気でプロになりたくて今まで本気でぶつかってきて、でもプロの道を諦めてしまった大親友がいた。プロの道を諦めてしまうことが1番辛いんだって言ってた。なぜなら今までの自分を全て否定することになってしまうから。でも、彼もそうだが人生はどの道に行こうが必ず成功する。彼の生き方にはとてつもなくパワーをもらった。だからこそもしサッカーでプロを目指すならとことん目指して一所懸命にやってほしい。それでプロになれようがなれまいが神様が自分にふさわしい道を用意してくれるから。
家族は自分が遊んでいる時も妥協している時も遠く離れた息子は頑張っているんだって思っているんだよ。そんな家族の気持ちを裏切らないように4年間という長いようであっという間に過ぎていく時間を大切にしてください。
先輩面してごめんなさい。自分にも適当にやっている頃があったり、監督の愚痴を言ったりしている時があったから伝えました。
大阪体育大学で関わってくれた後輩達、選抜関係で関わってくれた後輩達、あまり高校時代には関われなくて申し訳ない青森山田の後輩達、そして、俺と出逢ってくれた後輩達。本当にありがとう。
俺は後輩が大好きです。成功を祈っている。
ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?