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鷹・泉圭輔、誹謗中傷に「家から出るのも怖くなった」 心の支えはファンの励まし

試合後からSNS上では逆転弾を浴びた泉に対して心無い誹謗中傷が飛び交った。泉自身もこの言葉の数々を目にしており、当時の心中を「あの日、自分のせいで負けてしまって、バッシングというか、嫌でも誹謗中傷が目に入ってきた。あの試合から1週間くらいは家から出るのも怖かった」と明かす。

▶︎「家から出るのも怖かった」

記事タイトルにもなっているけども、こういう「率直な思い」を、ありのままに吐露したのは、凄く意味があることだなと思った。

昨今のプロ野球界では誹謗中傷がおおやけに取り沙汰されることが増えてきた。それだけでなく、法的措置を検討するケースを目にする機会も増えてきた。

ゆえに「当たり前化」とでも言うべきなのか、誹謗中傷というワードが軽く扱われることに関しても、どこかで危惧している自分が居たように思う。

そういう中で「家から出るのも怖い」と言った言葉は、グッと心に突き刺さるナニカを感じたんだよね、僕としては。

ありのままの心情を包み隠さずに言うことは勇気が要ったと思う。だからこそ、もっと取り上げられて欲しい。

一時の感情を発散するために、個人に向かって、心無い言葉を浴びせかける。その前に、機械越しに、同じ人間が居るんだってことを、思い出せるためにも。


「それ以上にたくさんファンの方々から励ましの言葉、慰めていただく言葉をたくさんいただいた。温かい言葉が立ち直るきっかけになった」
「励ましていただいたからこそ、あの経験から成長した自分を見せないといけない。ああいう経験を2度としないためにも、来年は今年以上に頑張らないといけない」

泉選手の素晴らしいところは、誹謗中傷のメッセージに心をとらわれるのではなく、あたたかいメッセージで心を満たした部分。

人間の性質として「マイナスの痛みはプラスの喜びと比べて倍以上のエネルギーがある」なんて言われたりする。

つまり、あたたかいメッセージよりも冷たいメッセージを受け取った方が、より記憶に残って、それに心が支配されたりする。実体験として共感する方も多いのではないかな。

そんな本能にあらがって、自分のパフォーマンスを最大限発揮する一助として、メッセージの取捨選択をはかった。ココにプロとしての矜持を僕は感じたな。


誹謗中傷の無い世の中が理想だと思うけれど、現実問題、ゼロにすることは難しいはず。

そう考えた時「自分に浴びせかけられる言葉にどう向き合うべきか」っていうのは、情報化社会の現代において、大切なことなんだろうとも思う。

極端な言い方をすれば、100人の方にマイナスな言葉を言われていたとしても、1人の方にプラスの言葉を言われているのなら、その1人の声を大切にする。

その方が、自分らしく生きられたり、幸せを感じやすいんじゃないかなって、僕は思う。

もちろん、傷の舐め合いになったり、自分に都合の良い人の話しか聞かない、ってことになると、それはそれで問題だから、その上で、ってことなんだけども。


そこまで書いて、一つ思い出したことがある。

100人中100人に伝わるように話そうと思ったら、100人全員の記憶に残らない、無難な話しか出来なくなってしまう

そんなことを小泉進次郎さんが語っておられた。僕もその考え方を全面的に支持したい。

みんながみんな、自分のことを愛してくれるなんて世界も気持ち悪い。それと同じで、みんながみんな、自分のことを嫌うなんてことも、真っ当に人生を生きているならば、早々無いはずだ。

(・・・と、信じたい)

だったら、自分のことを良く思わない人に、良く思ってもらおうとするよりも、自分のことを良く思ってくれる人のためにも頑張ろうと努力する。

同じように努力するんだったら、後者の方が、より頑張れそうだなあと思った次第。

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