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#23【夢日記】超マイペース人間、S.M(異性の友達) 1/4

・カラオケボックスでの一幕
・飲み会終わりの二次会 → みんな酒に酔っている状態
・S.Mを家まで介抱するためのボディガードに立候補
・別のボディガード立候補者に腕っぷしで負けてしまう
・相手「長期戦に持ち込もうとしたのが間違いの始まりだ」
・僕「ぐぬぬ・・・」(正攻法で戦わず、尚且つ、負けた)

内容

S.Mとの濃い夢を見たので4回に分けて書き記します

S.M。

便宜上「異性の友達」と書かせてもらったが、友達と呼べるほどの仲ではない。自分は友達だと思っているが相手は友達だと思っていない。その程度の仲だ。関係が浅いか・深いかで言えば、まず間違いなく、浅い。

なぜそんな人と濃い夢、淫夢と言っても良いような夢を見れたのか、甚だ疑問だが、見させてもらったもんは、ネタにさせてもらうしかあるまいて・・・。

お酒に酔った女性を介抱するのは役得(経験者は語る)

僕は大学・大学院と、飲み会で幹事を務めるぐらい、酒を呑んでも呑まれるな、の精神を大切にしている人間だ。ゆえに、介抱をする機会は、結構多かった方だと自負している。

もちろん、介抱する際は、女性に限らず、男性もまた然りだ。役得だけを狙っていては、周りの人にも勘付かれる。そこら辺も、割とちゃんとやっている。こう見えて意外と強か(したたか)な人間なのだ。ハッハッハ。

失礼。

そんな介抱であるのだが、合法的に、女性の体にタッチ出来る、場合によっては密着出来る、この状態に、内心シメシメ、と思わない男性は、早々居ないだろうと、僕は思う。

変な気を起こすな、と言う方が間違っている。酔い潰れていなかったとしても、介抱する側だって、アルコールが入っているわけだ。多少なりとも、“そういう気分”になっても、大目に見てもらわないと困る。

介抱に必要なのは腕っぷしより自制心(経験者は語る)

で。

夢の世界では「ボディーガード選手権」なるものが開催されたらしく、僕は、敢え無く、敗れ去ったようだが・・・。

介抱に必要なのは、腕っぷしよりも、自制心である。これは断言出来る。間違い無い。

前述してきたように、介抱する側としては、役得だな、と感じるケースは多いと言える。言い換えれば「もしかしたらワンチャンあるぞ」そんな意識が働くわけだ。

ココで大事になって来るのが自制心である。僕は何よりも重要視していた。そのおかげで、幹事のような役回りを務めるようになってからは、“そっち方面”で、ヘマを犯した覚えは無い。

逆に言うと、幹事のような役回りを務める前、酔い潰れた僕は、女性の脚(ショートデニム ✕ タイツ)を抱き枕にして寝ていたという、ヘマを犯した記憶がある。

いや、厳密に言うと、その記憶は無い。綺麗さっぱり忘れていた。気付いたら知らない人の家に居た。ココはどこだ。バスケットサークルのキャプテンの家だった。そうか。僕は介抱されて寝かしてもらっていたんだ。

「昨日はどんちゃん騒ぎだったなぁ」と、サークルのグループラインのアルバム、飲み会の写真を一緒に見ていた。その中に、僕の“乱痴気写真”があったわけだ。

こういったお酒の席での失敗体験を通じて、僕は、介抱される側ではなく、介抱する側の人間になろうと決心したのだ。介抱してくれたのであろうキャプテンの家で。来客者用のお布団に寝転がりながら。

失礼、話が逸れた。

そんなわけで、僕は、何よりも自制心が大事だと心得ている。内心シメシメ、ぐらいの浮かれた気持ちはあったとしても、それを行動に移してはいけない、というスタンスだ。

“YESロリータNOタッチ”

そんな言葉を思い出した。うん。これに近いかもしれない。いや、タッチしてるから、全然違うと言えば、そうなのかもしれないけれど。考え方としては似通っていると、僕は思う。

もちろん、双方合意の上、であれば、ワンチャンを実行しても良いと、僕は思うよ。ただしかし「双方合意の上」を、自分本位で解釈することだけは避けろよ、と、念押ししたい。

要は、そういうことなんだ。なんとなくでもニュアンスを汲み取っていただければ助かる。

その意味で、僕は、内心シメシメと思いながらであっても、コンセンサスが取れない以上は動き出さない、という、ちょうど良い距離感を保ちながら、女性を介抱することに自信がある、と述べている。

S.Mが酔うと甘い一夜を過ごせそう!(非経験者は語る)

ココからは経験したことがないので、単なる僕の妄想に過ぎないお話。

S.M。

タイトルに記したが、彼女を一言で表すと「マイペース女子」であろう。僕に言わせれば「典型的なB型タイプ」にあたる。

ただ、こういう表現を、B型、いや、血液型全般に言えるのかな、毛嫌いする人もまた多いので、本人の前で言うのは、なるべく控えた方が良いんじゃないかと思う。ココに関しては、経験者は語る、である。特にB型はその傾向が強い、気もする。気もする、ね。

それを踏まえた上で言わせてもらいたいのだけど、僕は「典型的B型」のような女性がタイプだ。

表現を変えれば自由奔放。表現を変えれば損得勘定よりも好きか嫌いかで判断して行動に移す。そんな生き方に憧れの念を抱く。それが好意に変わることもしばしばある。

S.Mは、そんな女性。

それらを踏まえて、僕の妄想が、語るわけだ。「甘い一夜を過ごせそう!」と。

なんだろう。この感じ。ワンナイトラブを後腐れなく行えそうな。実際に行えるかどうかは別として。行えるテイでの妄想が広がりそうな。この感じ。妄想が趣味の方なら分かってもらえるかもしれない。

そう。「ワンチャンあるぞ」というのは、実際にワンチャンが出来るか否か、ソコが重要なのではない。「ワンチャンあるぞ」と思えた時点で、勝ちなのだ。僕のような妄想マンにとっては。

“介抱を通じてワンチャンあるぞとドキドキする経験を得ることが出来た”

これだけで、もう十分なのだ。いや、もっと言うと、これが良い、と言っても良い。「これで十分」じゃない。「これが良い」なのだ。

失礼。興奮してきて伝わらない文章になってきた。もうちょっと伝わりやすい言い方にしよう。

僕は「妄想好き・オナニスト」を自称している。そしてまた「セックスは身体の接触を伴ったコミュニケーションでなければならない」という考え方を推奨してもいる。

そうなると、どうだろうか?

そう。「ワンチャンあるぞ」と思っていたとしても、実際にワンチャンが起きたら起きたで、色々と考えないといけないことがあって、それはそれで面倒臭いな、と思う自分も、出て来たりするのだ。

その点、オナニーというのは楽である。なぜなら、相手のことを考えず、自分のムラムラを解消することに、ただただ没頭出来るのだから。

言うならば、オナニーは、性欲を処理する行為(身体的快楽 > 精神的快楽)、セックスは、性欲を満たす行為(身体的快楽 < 精神的快楽)、そんな位置付けであろうか。

ココを履き違えてしまうと、セックスのパートナーを無碍に扱って、自分本位のセックスになってしまったりする。酷い場合は、性衝動に駆られた挙げ句、パートナーを性処理道具のようにしてしまうかもしれない。

だからこそ、細心の注意を払うべきである。

失礼、また話が逸れた。

以上のことから「ワンチャンあるぞ」と思っていたとしても、実際にワンチャンを行いたいかどうかは、また別問題なのだ、という僕の主張は、ある程度、分かってもらえたかと思う。

それを踏まえた上で、S.Mとは、お互い割り切った状態で、“今日はこういう流れだからワンナイトラブを楽しみましょうか”みたいなテイで、行為に耽ることが出来そうだな、と思った次第である。

つまりは、文字通りのセックスフレンド。体の関係を持ちながら友達関係でもある。そんな仲に発展出来そうな。そんな気がする。

この“気がする”がミソ。

これがあることによって、妄想は幾重にも広がる。妄想の世界は自由そのもの。自分が頭に浮かんだことは全て脳内で実現可能。

ゆえに「ワンチャンある」よりも「ワンチャンありそう」で踏みとどまった方が、むしろ好都合ではないかと、僕は説いたわけだ。

・・・。

こんな感じで、ゴールデンウィークを満喫しています。

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