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理想像の果て #39

今日は、一日中家にこもって映画を観ては、いつの間にか眠って、を繰り返した1日だった。

何本か観たうち、心をグサグサと刺してくる映画が3作品ほどあった。

『Demolition(邦題:雨の日は会えない、晴れた日は君を想う)』
『暗黒女子』
『ハーモニー』

どれも、結構精神的にしんどい映画だった

でも、この3作品には共通することがあったなぁと。

というのも、「あまりにも理想像を追い求めていたが故に巻き起された物語」であったのだ。

愛を求めるが故の苦しみ、完成された女神像の押し付け、平和を求めることから生まれた思想。

ストーリーとしては、全く違うものなのに、主題としては似たものが背景にあったのではないかと思う。

「当たり前」だとか、「普通」だとか、「協調性」だとか、そんな言葉に、理想像に人が雁字搦めにされている現実も生活の端々に散らばっていて、それを集めて極端なところまで強調した結果が、映画の主題の中心にあるような気がする。

狂気の種はどこにでも落ちている

どれを観ても、狂気を感じることが度々あったけど、狂気の種なんて、どこにでも落ちているのだろう。

それをどのように摘み取るか、育んでしまうかで、狂気が生まれるのか、平々凡々とした生活が続いていくのかが決まるのではないだろうか。

理想像を追い求めすぎるのも、少し考えものだし、理想像に縛られていないかを自身で考えていくのも、自分のためにも、他人のためにも大切だと思う。

平々凡々とした生活を送っているようで、少しでも何かがズレたらもう昨日通りの当たり前が続いていなかったことを痛感する出来事の連続の日々で、少し考えすぎているがために、この3作品が重たかっただけかもしれない。

そんなこと抜きに考えると、自分自身の常識を覆したくなった時なんかには、オススメの3作品として頭に浮かぶようになるかもしれない。

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