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私は、まだ足ることを知らない。#38

私は、足ることを知らない。

出先のホテルでバイキングの朝食を食べようとし始めていた時、
隣にこざっぱりとした1人の男の外国の人がやってきた。

そこには、外国の宿泊客が沢山いたし、
1人の宿泊客だって沢山いた。

だから、なんということもない場面だったのだけれども、
1つだけ違和感を感じていたのだ。

その人の目の前には、体の大きさの割りには少なめの
サラダとスクランブルエッグとトマトが盛り付けられた
1つの皿しかなかったのだった。

そんな量で足りるのだろうか、と
私は素朴に思ったのだった。

私の目の前には、その人と同じようなメニューの皿と
カレーと水餃子としゅうまい。
彼に比べると控えめに言ってもかなり多めの食事が並んでいた。

そんな風に考えていると、
男性はその皿の料理を平らげて、
次はお肉系の料理を乗せたプレートを。

またまた、平らげたら、
パン1つとフルーツソースを。

またまたまた、平らげたら。
もう一度パンを追加で1つ。

またまたまたまた、平らげたら、
おそらく緑の野菜のスムージーのような飲み物を。

その一つ食べては、次の食事に移る、
コース料理かのような食べ方に、
違和感、いや、感動やワクワクを覚えてしまい、
気になって気になってしょうがない人になってしまった。

最後の飲み物を飲み干したら、しばらく窓の外を眺めて、
席を立ってウエイターさんに挨拶をして出て行った。
随分気持ちの良い人だなぁと感心してしまった。

一つ一つと丁寧に向き合っている姿勢が、
その食べ方からだけで感じ取れてしまうこと、
一人一人と丁寧に向き合っている姿勢が、
ウエイターさんとの挨拶から感じ取れてしまうこと、
完全に主観かもしれないが、私はそのように感じた。

きっと私は一つ一つに真摯に丁寧に微笑みながら向き合うことができていない。

毎日の流されるような渦の中で、
あくせくと奮闘しながら全てを流してしまえ、
というように動いている。
そんなところに、また新たな予定を入れたり
仕事を入れたりと。

彼が立ち去った後に、コップに注いだ一杯の豆乳を飲みながら
窓の外を眺め、物思いにふけりながら、
このまま流れるように人生が終わってしまうのではないかと、
少し恐怖に駆られた。

それが現代の日本人の生き方だと言われたらそこまでかもしれないが、
そこに終始していてはいけないような気がした。

働くことも、遊ぶことも、大いに動いて動いて動きまくればいいと思うけれども、
ただ流れに乗っているだけでは、ふとした瞬間に後ろを振り返ると
何も残ってはいない恐怖に押しつぶされるような気がする。

ただ、私は足ることを知らないから、
あくせくと奮闘しているのかもしれない。

あれが欲しい、これが欲しい、と
なんでも欲しがっているのかもしれない。
何か一つを手に入れる喜びをかみしめながら生きていくことができたなら、
それはなんと幸せなことだろうかと私は思う。

きっと、そのように思える日が来たならば、
私は足ることを知っているのだろう。

私は、まだ足ることを知らない。

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数ヶ月前のホテルで書いたこの文章が、
胸の奥の方でつっかえながらも、しっくりと来ずに
公開することを控えていた。

今日も、同じようなことを綴ろうかとしていた時に、
この文章のことを思い出した。

少しエピソードは違えども、
定期的に同じようなことが頭の中で繰り返されていて、
その度に、その輪郭が少しずつ深くなってきているのかもしれない。
形になる日は、遠い遠い未来のことかもしれないし、
ちょっと先のことかもしれない。

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