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Virtual Realityの先祖たちは、未来をどう描いていたのか。

はじめに

何事も「根本を知ること」は大事だよね、ということで最近は、Virtual Realityの先祖たちが、どんな思想で、VR開発をしていたのかを調べてた。
特に勉強になった本は、大黒岳彦さんの「ヴァーチャル社会の<哲学>」である。
今回は、主にこの本を参考にしながら「Virtual Realityの先祖たちは、未来をどう描いていたのか。」というテーマでまとめてみる。

世界がそれを「Virtual Reality」と呼ぶ前について


VRはおじさんが女の子のアバターを身に纏い、とてつもなく巨大なNightmare Before Christmasのジャックの格好をしたアメリカの小学生から「Cute!!!」と言われる装置になった。そんなカオスなVRも、僕は意外にも「おもろいな」と眺めていられるタイプだけれど、もともとVRを生み出していった開発者たちは、この装置が果たす様々な社会的役割に期待をしていた。
「Virtual Reality」という語が社会的に認知され始めたのは1980年代末であり、それ以前のVRについては、開発者たちがその装置に期待した「社会的機能」に応じて、様々な名で呼んでいたと言われている。
つまり、データグローブなりHMDなり、個々人にのみ体験可能なメディア装置というものに対して、「これはこれに使える!」という意見が乱立していて、それら意見ごとに「この装置の呼び名が違った」ということである。
「ヴァーチャル社会の<哲学>」ではそれら呼び名を、4つに大別した。

1:cyber space(サイバースペース)

VRについて「cyber space」という語で呼んでいた派閥は「身体という牢獄からの解放により、人工的環境(data scape)で意識を共有し、他者との交歓、意識が一体化される境地」を目指すグループである。これは、SF作家「W・ギブスン」のサイバーパンク小説群(ニューロマンサーなど)によって発生した理念であると「ヴァーチャル社会の<哲学>」では書かれている。
この思想は、ニューロマンサーが犯罪小説であることからも分かる通り「反社会性」が高く、社会の改善や解決よりは、現実逃避的、つまり「目指すは、殺伐とした社会からの解放をもたらす彼岸世界」としてイメージされていたという。
インターネットが広く普及する前のタイミングだったことを考えると、VR開発者たちがData scapeやcyber spaceをイメージすることに関してはとても理解ができるし、きっと僕もこの時代に生きていたら、cyber spaceを夢見て開発をしていたのではないかと思う。
「cyber space」はこのような経緯・思想で生まれた語だったが、1990年代後半以降は、インターネットが実現するユートピアないしはディストピアを指す呼称として広がった。

2:Tele - Presence(テレ プレゼンス)

2つ目は社会応用性に強く関心のある思想である。シミュレーションや、遠隔地でのロボット操作、遠隔医療などに代表される「Tele - Presence派」である。
simulationに関しては、現実世界内部における大規模な模擬目的、またTele - Presenceに関しては、危険や人員配置においては困難を伴う現場においての遠隔操作目的がイメージされていた。
この派閥を志向する人の多くはエンジニアであり、HMDのプロトタイプを開発した「I・サザランド」もこの立場であった。
このようにテクノロジーの社会応用性が高い領域では、多くの人が気付かない間に活用や研究が進んでいくものだと思う。ただあまりにも「真面目でつまらない」ように見えそうなため、あまり広く思想が普及することはなさそうだと感じる。僕は好きだ。

3:artificial reality(アーティフィシャル リアリティ)

簡単に言えば映像表現の未来に対して妄想をしたグループが「artificial reality」の立場である。演劇の枠組みをデジタル移行しようとしたエンジニアのB・ローレルなどが、この立場をとっていたという。ちなみにartificial realityの略はARであるが、ARは「Augmented Reality」の略なので、これは社会的に認識されているARではない。

このグループは「映像」は「ディスプレイから見えている単独で完結した存在」であり、映像は、演劇や舞台、劇場のように、鑑賞者とのインタクティブは絶対的に設計できず、ディスプレイによって映像と現場は切り離されているという思想を持っていた。それらをつなぎ、映像体験を演劇や舞台、劇場のように「時間と空間」を存在させる技術として、彼らはこの装置を眺めた。
面白いと思う。2022年からこの思想を眺めてみると、確かにyoutube liveなどでは「live感」があるように感じるけれど、そのような空間を共有しない映像体験は、本質的に「何か足りない」ようにも思える。
「表現者と鑑賞者がデジタルに共有する場」という意味では、2022年の現在でも、それらサービスは大きく普及はしていないように感じる。彼らの志向した表現の未来は、映画やアニメなど従来の映像表現方式の楽しみ方が「人間にとってラクに楽しすぎる」がゆえに、普及が難しかった可能性がある。
ただ今後は少し、この立場は注目できる気がする。Vtuberの系譜から考えても、仮想世界でしか会えないアイドルに熱狂する人は増えるだろうし、リアルタイムで呼応する映像表現や、3D空間化された絵画に対して体験性を持って展示を図る美術館は、近いうち誰かが創るだろう。

4:Virtual Reality(バーチャル リアリティ)

「ヴァーチャル社会の<哲学>」での定義をそのまま引用すると、Virtual Realityとは「感覚器官の直接的刺激によって、意識内容を人為的に入れ替えるテクノロジー、を利用し、世界の”実質”をまったく別の内容で満たすことで世界の魔術的変容を目論む」思想である。
ここでの「魔術的変容」は「再魔術化」などの方向性ではなく「マジックリアリズム」という「日常にあるものが日常にないものと融合した作品に対して使われる芸術表現技法」という方向性で語られている。
「VRはドラッグの代替である」という表現もよくされているが、当時VRは「テクノロジーによっておかしくなろう」と考えられていた可能性がある。
「世界の”実質”をまったく別の内容で満たす」という文脈では、iphoneの「押してる感覚」を振動によって生む「Taptic Engine」のような技術がある。これは「感覚器官の直接的刺激」で、ボタンを使わずボタンの役割を担っている、つまり「世界の”実質”をまったく別の内容で満たす」という、Virtual Realityにおいて本質的な技術と見ることができたりもする。
しかしジャロン・ラニアーは、ただ単純に「実質的価値の最大化」を志向したわけではなさそうである。現実で行われている何かの魔術的変容(芸術性のある世界での代替)を志向していて、そこにはcyber spaceのような意味合いでの現実からの一時的離脱、または麻薬的な別世界の嗜好があったように思える。
ドラッグの体験が身近でない日本人の感覚からすると、一般的には理解は難しいのかもしれないが、彼が志向した、この装置の未来もまた、十分に「反社会的」だったと言える。

最後に

Virtual Realityは、真面目に捉えすぎても、広く普及させることを大事にしすぎても、尖りすぎても、夢を描きすぎても失敗するように思える。だから面白くて、僕は好きだ。
そしてアイディアや未来は、もう彼らが十分に描いてくれている。今はそれらを時代に合わせて、面白おかしく、順番に実装していけば良いタイミングのような気がしている。


参考)


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