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本阿弥光悦の足跡   中山法華経寺

東京国立博物館で開催されていた「本阿弥光悦の大宇宙」が閉幕。トーハクのブログには来場者10万人を達成とあります。個人的にもとても楽しめました。
光悦自身は京で活動していましたが、本阿弥本家は幕府や大名との関係もあり江戸にも。トーハクの特別展では光悦と日蓮宗の関係を切り口にしていました。今回は彼らが関東に足跡を残しているゆかりのお寺を。




日蓮法華宗の印象はズバリ分かりにくい。いくつにも分派していて、破門されたり復活したりとややこしい。日蓮さんの教えや解釈にはそれ程の違いがあるのでしょうか? まあ宗派の教義については置いといて、このお寺に関わった人物と歴史にフォーカスします。
 
 

正中山法華経寺と日蓮さん



中山法華経寺は千葉県市川市にある古刹で日蓮法華宗の大本山です。所在地は中山競馬場の西側で、一帯に住宅に囲まれた門前町を形成しています。

千葉県市川市中山2-10-1


法華経寺 パンフ
2023年版
 

参道から境内へと歩いていくと、鎌倉や京都の有名寺院とは異なる空気を感じます。古刹のイメージにはない地域生活の一場面というか。
お寺の起源は日蓮にちれん(1222-1282)が開いた最初の霊場です。日蓮さんは何度も法難(迫害やいやがらせみたいなモノ)に遭っていますが、若宮の領主富木常忍とき じょうにん(1216-1299:後に出家して日常)と中山の領主太田乗明おおた じょうみょう(1222-1283)らが援助・支持します。日蓮さん入滅後、常忍が建立した法華寺と乗明が建立した本妙寺が合併して法華経寺となります。
国宝の立正安国論と歓心本尊妙(共に日蓮筆)を所蔵しています。


京成線の踏切そばに立つ総門
 
扁額にしては文字多すぎ 2011年改修済

文字多すぎ扁額はまさかの掛川藩主太田資順おおた すけのぶ(1762-1808)によるもの。「如来滅後の末法において本化の菩薩が初めて法華経を説かれた道場」という意味らしい。日蓮さんのコトでしょうか。


山門 光悦揮毫の扁額

タイトル画像は山門(赤門、仁王門とも)の扁額「正中山 by 光悦」。光悦展に本物が来てました。


山門そばの日蓮さん

日蓮宗のお寺では日蓮像を見かけます。浄土真宗の親鸞さんと双璧。空海さんや最澄さんとか見ない気がします。
 

祖師堂(重要文化財)

日蓮さんをお祀りする祖師堂は1678年上棟で、1997年に建立当時の姿に復元。比翼入母屋造りの仏堂は全国唯一(比翼入母屋が分からない)。


こちらも光悦

祖師堂の扁額は光悦展には不参加。これが原品そのものらしい。
 

法華堂(重要文化財)

法華堂は日蓮さんが説法された宗門最古の堂宇です。室町期に改修。トーハクに来ていた光悦の扁額(本物)はデカかった。

またまたの光悦


四足門(重要文化財)

室町時代に鎌倉の愛染堂から移築したと伝わる四足門、祖師堂から法華堂への通り道に。くぐれません。

四足門 裏側
 


本阿弥家そして前田家


五重塔(重要文化財)

1622年本阿弥光室が一門の菩提を弔うため寄進。スポンサーは鼻毛の殿様で知られる2代目加賀藩主前田利常まえだ としつね(1594-1658)。光悦は前田家から扶持を受けていました。そして利常の母寿福院(千代保)は熱心な日蓮法華宗徒。東京の池上本門寺や領国だった石川の妙成寺でも寿福院の名前を目にします。ちなみに江戸期の五重塔は千葉県では唯一。
 

  
  
日常像

こちらは法華経寺開祖の日常さん(富木常忍)。日蓮さんの方が見た目がっちりしてます。

なぜかの蒋介石像


そして境内には光悦と本阿弥家一族のお墓もあります。案内があまりないので少し見つけにくいです。

光悦分骨墓
 


本阿弥家分骨墓
 

本阿弥家の分骨墓は本阿弥光温ほんあみ こうおん(1603-1667)が建てたと考えられています。光温の父・光室(光悦の甥:1583-1625)が江戸で急死した時に光悦が京から江戸に駆けつけ、将軍徳川家光(1604-1651)に光温の跡継ぎをお願いして認められています。
これらの分骨墓は供養塔という説もあるようです。あまり大切にされているカンジがしませんが。


(参考)光悦の墓(光悦寺:京都市北区)
 


法華経寺に光悦展の影響(効果)はあったのでしょうか?
地元の方でなくても参拝はもちろん観光や見学で訪れる方はいらっしゃるでしょうが、地元の方の生活感があふれています。境内で立ち話したり、普段着の方が仏さまに手を合わせ、下校時の学生や児童が寄り道していたり。
禅寺系の敷居の高さやキレイに手入れされた庭園はありませんが、本来お寺はそういうトコロなのかもしれません(重要文化財はゴロゴロしています)。

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