「無職まつり」・開催趣旨文

「♪自由廃業で廓は出たが、ソレカラ、ナントショ
行き場ないので屑拾い ウカレメのストライキ
サリトハ、ツライネ テナコト オッシャイマシタカネ」
(「東雲節」作:添田唖蝉坊※、横江鉄石)
この歌の文句は、「東雲節」という明治後期に流行したはやり唄の一節であるが、まずはじめに、ここで言うところの " 自由廃業 " という言葉について捉えてみたい。
" 自由廃業とは、娼妓(しょうぎ)取締規則や芸妓取締規則により、娼妓や芸妓が、抱え主の同意なしに 自由意思によって廃業したことをいう "(ネット調べ)
事の起こりは、諸説あるが、明治の終わり頃、1889 年(明治 22 年)に名古屋の東雲という名の娼妓が アメリカ人宣教師の助力で廓を退楼した事件による名古屋説や 1900 年に救世軍による廃娼運動が高まり、 熊本でも自由廃業を行うものが出てきたときに東雲楼という妓楼で娼妓がストライキを起こしたため、この歌ができたといわれる熊本説などが存在する。
つまりは、そこから派生して冒頭の歌まで作られ、全国的に広まっていったと言われているが、実際にはそうではなく、演歌師の唖蝉坊によると、女性たちによるストライキが先に立つものでなくて、自廃で飛び出すことをストライキと表現したものであって、偶然にして同時代的に運動が起こったものらしいのだが、あいにくそこまで詳しく調べる気力もないので、ここでは割愛する。
例えばこの近辺では、今さら言うまでもなく、飛田遊廓、そして少し西へ行けば通りを越えたところに 阿倍野の無縁墓地、さらには救世軍の屯所があることを思えば、飛田の女性たちとも決して無関係な事案 ではなかっただろう。
(もし関心のある方は自力で調べてみてほしい、また心ある方は筆者に教えてほしい)
しかしながら、今から120 年近くも前に「自由廃業」という言葉そのものが生まれたことや、それを歌にした 添田唖蝉坊という演歌師が確かに存在していたことは、現代に生きる私からすれば、この上なくうれしいことに 違いないし、また現代にも通じる問題や事案だと思っているので、今ようやくにしてこの言葉や価値観が 生み出されたことこそを愛でたいと思う。
ちなみにその逆の「自由労働」をする人というのは、主に日雇い労働者(派遣労働者、野宿労働者なども これに含む)など、一定の雇用関係や職場・職種などを持たず、臨時の仕事に従事する労働者のことを指す。
この度、同じ労働現場で 6 年余りもの間、働いてきてどうにかして晴れて自由の身となったことは、 誠に喜ばしいことなのだが、しばらくしたら、時を忘れてあくせくと働いているのだろうか...。
しかしせめて今日のこの日だけは、友人たちとウダウダとやりながら、次の日の朝を迎えたい。
先に述べた歌の文句ではないけれど、これからどうしようかなと考えているうちに、いつのまにか屑拾い なんぞをしているのかもしれない。だがそれもまた一興ではないか。
いずれ自由廃業や自由労働が、それこそ自由にできる、要は当たり前にできる時代になればいいなとは 思うが、そんな社会の実現は可能だろうか。そんなことにも思いを馳せてみたい。
※添田唖蝉坊(1872-1944)という演歌師は、職の貴賎、貧富の差、自由民権、反戦、階級差別などといった私たちが抱える 様々な諸問題を「歌」に込めてきており、かつてはフォーク歌手の高田渡などが有名だが、現代では土取利行や岡大介という 人物がその意志を受け継ぐ形で、数多くの楽曲を昇華させている。
#無職まつり #自由 #廃業 #労働


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