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26回:古武井より愛をこめて昆布の束を

 僕、恵山町古武井生まれなんですよ。たぶん読んでる方はピンとこないと思いますが北海道の南方・渡島半島の更に南端にある漁村(町)です。ちなみに恵山町は平成の大合併で函館に吸収されたのでもうないです。
 表紙の写真は家の前の多目的スペース(?)でちょうど30年前に撮られたもので、もう少し季節が夏めいてきたら昆布を干すスペースになります。

 僕を抱いている父は船に乗っているので基本的に年の半分も陸(おか)におらず、これは個人的に貴重なツーショットです。自分の古武井時代は結局3年ぐらいしか続かないんですが、人生のスタートの割には濃かったようです。例えば一時期は母と離れて父も沖だし、実の祖父母は何故か預からず、文字通り共同体に育てられていました。ここら辺は当事者が生きている間に詳細を聞き出していきたいと思います。

 古武井の後は上磯町七重浜(上磯町は大野町と合併して北斗市に)での団地ライフが始まります。共同体チャイルドなので人見知りを全くしなかったらしく、団地のあんちゃんの単車に乗せられて浜辺をドライブした記憶があります。ちなみに桔梗幼稚園に通ってました。そこから何故か学区の小学校に行かず教育学部の附属を受験します。漁師の家なのに思い切ったことするよな。

 我が家、本も無いのに最低限以上の教育を子に施そうという孟母スピリッツがあり、僕も受験に備えて何かをします。しかしそれが何だったのか思い出せない。平仮名の読み書きとか簡単な足し算引き算かな。けど自分がやったことで鮮明な記憶があるのは暇さえあれば乾燥昆布を齧っていたこと。だって美味しいんだもん、古武井の昆布。
 後の同級生たちが知育塾通ったり、教員の親に教育されてる間、僕は昆布を噛んでいた!超コスパ良いじゃん!どんと来い文化資本格差!再生産なんてクソ喰らえ!!君の親は英語を読めるかもしれないが、うちの親父は潮目が読めるぞ。
 思うに何かが見失われている。生活の機微は如何にして「読み取りづらいもの」に変化してしまったのだろうか。幸運にして第一次産業に従事している家庭なので、都市とは異なった文脈で自分は「文化」を享受出来たのかもしれない。例えばキツすぎる方言などは一種のバイリンガル的な状態を生み出すわけだし、そこから共通語と方言を相対化出来たら超豊か。
 近く目にした同じ北海道の違う文化圏で起きた文化資本を巡る悲喜劇は地方都市の中庸な環境だからこそ生じた気がする。あれが奥尻や利尻といった島嶼なら或いは夕張というハードコア地方都市ならば、もっと面白い議論が巻き起こっただろうなぁ。

 話は逸れましたが、小中高と函館の学校に通うと昆布を齧る機会もめっきり減って、今では郷里のことも年に数度思い出す程度になってしまいました。今日も遠く離れた台湾の真ん中で日がな一日映画を見たかと思えば、夜は河川敷でダンス大会。その後は昆布も檳榔も噛まずに空き缶拾いの年寄りから虚実ないまぜの従軍体験を聞いています。

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