6回:王白淵『蕀の道』

日本語のwikiが無い詩人

 1902年台湾の彰化に生まれた王白淵は日本語で教育を受けた世代である。彼は東京美術学校(現在の東京藝大)で学んだ後、教職に就きその傍らで執筆や制作を続けた。1931年に発表された詩集《蕀の道》は彼の代表作である。
 彼は雑誌《フォルモサ》の創刊とそれに前後する抗議運動に関わった咎で免職され、上海に逃げる。しかし1937年日本軍によって逮捕され、台北の刑務所に送られることになる。これが物凄く掻い摘んだ彼の人生の前半である。
 この世代の台湾知識人の苦悩やその過程で生まれた作品は今後も紹介していきたい。政治や社会によって言葉が決められ、いとも簡単に言葉を奪われるということはハッキリ言って想像できないほどに過酷だ。その過酷を一身に背負い闘った詩人や小説家はリスペクトされた方がいい。
 私としては早く彼の作品を紹介したいので次の段で早速いってみよう。《蕀の道》掲載の「詩人」という作品。

詩人

バラは黙って咲き
無言の儘で散って行く
詩人は人知れず生き
自分の美を食って死ぬ

蝉は中空で歌い
結果を顧みみずに飛び去る
詩人は心の中に詩を書き
書いてはまた消して行く

月は一人で歩み
夜の暗黒を照らす
詩人は孤独で歌い
萬人の胸を語る

 バラの花というと私は楊逵の《壓不扁的玫瑰》(不屈のバラ)も思い出す。楊逵は1905年生まれ、アナーキーな作家である。賛否あるが邱永漢もぶっ飛んだ人間である。そして呂赫若や龍瑛宗もいる。
 これが台湾文学の一要素「日本語世代」の作家である。台湾文学、他にも色んな言語のバックボーンがあって一緒くたにはできないのです。

 

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