14回:mixi song

 2008年から2011年ぐらいまでの出来事を確認するためにmixiの日記を読んだ。黒歴史にすらなっていなかった。自分の青春に起こった出来事の数々がフラッシュバックしてキュンキュンするし、うすまさエモい。ちょうど大学時代なので前のめりでギラギラしていて、野心や不安や承認欲求やらが随所からはみ出ている。

 2回目に書いた日記、2008年9月21日。トリエンナーレ観るため横浜行ったのに入場料の高さにたまげて結局近くの野外展示やグラフィティを見て引き返したよな。実際桜木町で見たグラフィティの方が記憶には残っている。そもそも都会苦手なのに横浜に行ったのは確かその前日まで大学主催の意識高めの研修が東京であったからなんだよな。東京とか大阪の大学生相手にウチナーグチで自己紹介したの覚えてる。

 4回目に書いた日記、2008年9月28日。那覇の栄町で屋台祭りがあって、その時の顛末が書かれている。カチャーシーに踊り狂ってフラフラに成りながら、そのまま栄町に当時あった前島アートセンターに泊まって『千代の富士一代記』を読んで始発でコザへ帰ったらしい。なんとなく覚えている。
 実際のところカチャーシーと『千代の富士〜』の間には界隈の大人たちの途方もない喧嘩があったんだ。沖縄県立博物館・美術館がオープンしてちょうど1年経った頃だから、沖縄の現代美術に新しい波が訪れそうな予感や熱気が漂っていた。あれから10年、また栄町で文章を打っている。前島アートセンターはもうない。

 10回目に書いた日記、2008年10月21日。住んでいた銀天街の祭りで司会をしていた。何故か落語も一席打った。本当はHiphop的なことをやりたかったけど、落語に落ち着いたんだと思う。この日記には写真も添付されていて、撮ったのは自分の師事していた教授だったと思う。Titus先生
 翌週の越来城祭りでも落語をやったらしい。余った焼きそばを大量に貰った記憶がある。落語に関してはライブハウスとかSMショーの前座で出来たのはいい思い出。

 この後、自分の日記だけじゃ飽き足らず、マイミクたちの日記も適当に読み漁ってみた。
 こっちのほうが面白かった。具体的な内容な書けないが、切ないし甘酸っぱいしどうでもいいし月並みなジュブナイルに勝る読後感が得られるレベル。距離の近い他人事。マイミクだけど自分が登場しない同じ世界。愛すべき人々が繰り広げる逡巡とか気軽な日常とか。
 時間的にはその日常や世界観から7、8年ぐらい経った。みんな2010年ぐらいでmixiからフェードアウトして、ニックネームなんて戒名みたいなもんだ。
 
 よう、みんなぁハッピーかい?
 元気でやってるかい?
 夢は叶ったかい?

 応えはどうでもよくて、不幸でも病気でも夢破れても、適当に生活していればそれで問題ないと思うようになった。資本家に骨の髄まで搾取されて死にそうなら、無責任にも逃げろよと思うし、人間関係で揉めているなら、やっぱり無責任にさっさと断ち切れって言うし。多幸感が溢れ出しているようならそれには拍手を贈りたい。

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