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私と浦和レッズを結ぶ栄華噺 EP5

2002年は日韓W杯も盛り上がりJリーグも根付いて来てサッカーファンも増えた頃だろう。その翌年の事だ。星が1つも無かった浦和レッズが初めて1つの大きな星を獲得した。

Jリーグヤマザキナビスコ杯

今で言うならばルヴァン杯だ。リーグ戦の場合は長い長い戦いとなるが、ナビスコ杯や天皇杯はトーナメント戦だ。負けたら終了というリーグ戦よりも戦術が求められる。正直、リーグ戦と比較すると「勝てば何でも良い!」と私は思ってしまう。後に大きな事を成し遂げると思うとそれは浦和レッズらしくないかもしれないが。11月3日、忘れられぬ90分が刻一刻と迫った。国立競技場での決勝戦は雨だ。浦和が悲願の初タイトルを獲得した。世の全てのレッズサポーターが長く待ち望んだ初優勝は沸いた。リーグ戦では無いがJリーグ発足が1993年、発足してから10年目で大会の頂きに浦和レッズの名が刻まれた。積年の願いだっただけに爆発したかのような喜びと歓喜の渦と雨のように沢山滴る涙だった。天と地の結果だったが空が天であるならば空の涙は嬉し涙だっただろう。相手は鹿島アントラーズだった。タイトルホルダーと言っても過言ではないかもしれないが浦和レッズには決勝まで登り詰めたのだからという「ここまで来たからには優勝するのみ!」という気持ちはあり、どちらにも負けられない理由があった。

「これこそ浦和レッズ」
というキックオフ

キックオフして早々、浦和レッズは畳みかけるように攻めていく。オフサイドの判定があっても間髪は入れなかった。ネットを揺らしたのは前半13分、右サイドの田中達也から山瀬がバックヘッドでゴールに流し込み均衡を破った事は今でも覚えている。浦和のペースで前半終了もこの時点で3名が怪我。坪井は包帯を巻きながら後半に臨みエメルソンもピッチに立った。今振り返ると整える事が出来るかどうか気にはしたが優勝を死に物狂いで得る気持ちの強さが伝う。

浦和レッズの勢いは止まらず

圧巻だったのは後半戦だった。申し訳ないが当時を振り返ると信じられなかった。後半開始早々、エメルソンが追加点。そこから優勢に進めながら怒涛の攻めで田中達也が追加点。後半戦に入ったばかりで3‐0でリードしている。さすがに勝ちを確信したが驚きの方が強かった。田中達也とエメルソンの2トップは強烈だった。トドメだろう。息の根を止めたのは試合終盤にまたしてもエメルソンだった。結果は4-0。浦和レッズがナビスコ杯を制した。同時に初のタイトル獲得だった。まるで地獄から這い上がってきたかのような跳ね上がりだった。V字回復のように。この時はこの時で終えたような感じではあった。強さを見せた。浦和レッズが強さを得た。

そこから浦和レッズの
快進撃が始まる。

まだまだ書きたい所ではありますが
浦和レッドダイヤモンズの快進撃の
続きをご存知の方もいますので、
今日はこの辺にしておきましょう。

We are Red’s!!

【あとがき】
文字数が思っていたより少なかった。本作は読んでいただき、誠にありがとうございました。今後も私は執筆に励み、読者の皆様に感動や発見を出来るよう努めて参ります。浦和レッズの補強・・・停滞していますね。良い感じに後半をスタートしたい所ですが微妙な状況だろうか。

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