ミーハー
平成から令和に変わる瞬間、私の体は確実に電車の中にありました。
その数分前から「変わる瞬間てどんなこと考えるんやろ」「なんか感じることあるんかな」とかぼーっと考えてたら、いつの間にか59分になっていて、何故か私はそこでスマホの電源を切り時計を外してその「瞬間」を感じないようにしようとしていました。
心はその瞬間どこにいたのだろう。
周りにはカップルやほろ酔いで今にも眠りそうなサラリーマン。そんな情景は覚えているのに、結局何を考えていたのかは自分でさえわからなくなってしまっていた。
若干22歳の僕には時代が変わる、元号が変わる瞬間なんて実感のない大したことのない区切りなのかもしれない。
インスタのストーリーにはカウントダウンの映像やお酒で暴れ散らす友達が写っている。
正直何がしたいんだと思ってしまった。
人間の死に近い感覚なのかもしれない。
私はまだ生きているから体験はできないが「死」というモノは知っていて、ただどんなものかも知らずにそれに対して真摯に受け止めたことがない。いや、おそらく本質は分かっていない。
それと同じように、時代が変わる本質を知らないから、知ろうとしていないから私はあの行為を行ったのかもしれない。
私が時代の本質を知ることはあるのだろうか。
おそらく自分が官房長官となり元号を発表するくらいのことをしないと実感しないのであろう。
今こうやって投稿している行為も、ただのミーハーであり、別にこれを誰かに見てもらう意味が見いだせているわけではない。自慰行為である。
私は時代のミーハーである。
こんなことを考えている人など、ごまんといるのであろう。
私の心はたしかに、同じ世代の若者と同じように、なんの変哲も無い一時代の中に見えずともあったのだろう。
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