moment89 side:unkown



「ただいま」

「おかえり〜」


菜箸を持ったまま元気に出迎えてくれた彼女は、オレを見て機嫌を一瞬で察した。

さすがだなあ。
彼女自身は機嫌が良さそうだった。
何かいいことでもあったかな。
虹でも見つけただろうか。
彼女は虹が大好きだ。
それともネコを見かけたかな?
それとも水族館で延々と魚を見ただろうか。


ぐるぐる考えてると急に話しかけられた。


「ごはん食べる?」


「うん」


彼女は特段何も言わずにごはんを用意してくれて、あとは静かにテレビを見ていた。


番組が終わったタイミングで、おもむろに立って自分の部屋に入ってドアを閉めた。



ひとりになった。


向こうにあるテレビの音がかすかに聞こえる。


ノイズの多い世界で
今この時間はとても静かなものだった。

別にね、彼女がいると邪魔だとかそんなことは全くないんだよ。全然いてくれたって構わない。彼女が機嫌良さそうなのを見ただけで癒されるんだから。


でも彼女は一回もオレの邪魔をしたことはない。察しが良すぎるんだ。オレの邪魔をしない代わりに彼女が少しだけ傷つく。



そろそろ迎えに行こうか。


彼女の部屋をノックする。

「なあに?」


「ひとりで寂しいんだけど」

「そう?」


それだけ言って部屋から出て、食器を片付け始めた。


「今日は何してたの?」

「今日はね〜ちょっと外に出て〜あとは家でDVD観てた」

「何観たの?」

「アラフェス」

「今?!」

「うん。あれ好きなの。」


「…二宮さんはどんなお仕事したの?」

「今日は個人のだったよ」

「そう。」

「…ちょっと、疲れちゃったかな。」

「じゃあ、ゆっくり休まないとね。

…外は、音が大きいでしょう。いろんな音がガチャガチャしてて、聴きたくないことも聴こえたりするから。」


洗い物してる彼女の後ろから抱きついた。

「…お前はいつも静かだ。」

彼女からはノイズがしない。


「そんなことないよ。」

「心が、湖みたいに、しんとしてて好き」

「それは、たぶん他の人が聞いたら意味がわからない褒めなんだろうね」

「他の人に言うつもりはないから大丈夫。」

「…いろいろ、言葉にしなきゃいけないお仕事だから、大変だと思う。言葉にするのって結構エネルギーがいると思うんだよね。それに、たくさんの人と関わるから、ちょっと合わない人もたくさんいると思うし。そういうのを…我慢っていうか、折り合って過ごしてると、だんだん見えなくなってさ。わからなくなっちゃう。」

「…」

「ごめんなさい。喋りすぎちゃった。」

「いや。」

きつく抱きしめた。


「ちょっと、それだと洗えないよ」


仕方ないから腕をゆるめた。

おもしろいな。
ずっと同じテンションで話せるんだから。
同じテンションでずっと生きてるのかと思うと、すごく喜んだりすごく怒ったりもするでしょ。
おもしろいよね。

人にテンションを合わせられる。
チューニングがうますぎる。




「今日はなんか、いいことがあったの?」

「え?あー…なんかあったかなあ。

あ、ちょっと、虹が出てたかな。虹が。虹っていいよね。カラフルで、大好き。」

「やっぱり。」

「なんで?わかったの?」

「おかえり〜のテンションがそんな感じだった。よかったね。虹見れて。」

「うん。明日も見たい。」


ひとつも抑揚がない口調で話していた。


彼女はいつも彼女だから、落ち着く。




そう、世の中にはノイズが多い。
情報が多すぎる。
人の意見、とも言えないような雑多な言葉がすぐに世界中に広められるようになって、余計に言葉が雑になる。

その中でどう生き、何を作るのか。

自分の考え。
世の中に求められる答え。

相反する時どうする?


そういう泥沼の闇に飲まれそうになると息ができない。



だけど彼女は違う。
彼女の闇は澄んでいる。
深く息ができる。

そこは別に楽しくもキラキラしてもいない。
ただただ暗くて透き通っている。


そこが居心地がいいときだってあるでしょ?


答えを出さなくていい
そのままでいい時間。


湖畔のように静かな彼女の心が好きだし

でもほんとは隠し持ってる情熱的で
激しい誠実さも好き。

虹よりもっと多くの色を持った彼女が好き。


オレはいつも、彼女の広大な闇のなかでふわふわ浮いていることができる。誰にも邪魔されない、静かで安心できる場所。




明日も彼女が、楽しくいられますように。





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