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日ペン3回目の添削を受け取り、張作霖の書に自分を重ねてみる。

2023年度になりました。
今年度から1つ上の役職に昇格、仕事では新しい立場となります。
大学院にも無事合格し15日に入学式を控えています。

そんな中で、今年の1月からはじめた日ペンを頑張りながら、浅田次郎の『中原の虹』を読み進めています。
こちらの作品については読了してからnoteに投稿しようと思っていますが、とにかく面白い
張作霖を中心に、清朝末期の中国および日本を舞台とした歴史小説となります。

中原の虹は4巻、トレーニングノートは37頁

すっかりわたしの記憶から抜け落ちていたのですが、15年以上も前にこの作品の舞台となっている中国東北地方を訪れた事を思い出し
急ぎ実家に戻り当時の写真を保存したDVDを探し当て、自分のPCにコピーしたのがつい先日のこと
その中の1枚がTOP画像の扁額、「天理人心」という張作霖直筆の書になります。

あぁ、なんということでしょうか。
当時のわたしは張作霖にそれほどの興味は無かったので、関東軍に爆殺された東北軍閥の首領という程度の認識でした。
地方軍閥といえば、映画などで主人公にワンパンでやられるモブ集団と相場が決まっていたので、チンケな脇役程度にしか思っていなかったのです。

おっと、日ペンの話をしようと思っていたら張作霖の話になっていました。

できるだけ本題に戻るよう努めましょう。
この「天理人心」の扁額は、1914年に奉天(現瀋陽)の北部に建設された張氏帥府にある一際立派な建物、大青楼に向かう石門の上部に掲げられています。
母屋に向かう人は必ず目にするであろう場所です。

大青楼と石門


この立派な大青楼を、当時の中国人の手で造るのは難しかったでしょうから日本人技師によるもと想像されますが、浅田の作中でも同様の描写がされています。

1914年といえば張作霖37歳、ということは「天理人心」の書はこの齢の前後、今のわたしと同じくらいの時分に書いたものではないでしょうか。
1つの区切りと考えると40の"不惑"を迎えた歳かもしれません。
馬賊出身であった張作霖は若い時分は読み書きができなかったはずなので、奉天閥として台頭した30代から字を学び始めたと推測できます。

そのように古き英雄に想いを馳せると、自分自身にとっても励みになります。

さて、日ペンの添削レポート第3回目が返ってきました。色々と丁寧に添削をして頂いております。


ペン字を学んでいて夙に思うことは「頭でわかっていても手が思うように動かない」ということです。
例えば"東"や"恵"という字における二画目の傾きが足りないというご指摘も、わかっているけどアウトプットが出来ないのです。
言うなれば、そもそも思い描いた真っ直ぐな線すら引けないのです。

キレイな字を書くコツをいくら頭で理解したところで、手がそのように動かない、まるで腹筋などの基礎筋力が足りないが為にいくらコツを教えてもらっても逆上がりが出来ない子どもの心地です。
これはきっと何度も何度も回数をこなして手を慣らしていくしかないのではと想像していますが、道程は険しいですね。
字がお上手な方、いかがでしょうか?よかったらコメント欄からアドバイスなど頂けると嬉しいです
とは言え、自然体で逆上がりができる少年が、そうではない子どもの心境がわかるのだろうかという、そうでもないのかもしれません。

先日、社内の字が上手な方をインタビューする機会があり(誇張ではなくインタビュー)
その方は絵もお好きとのことで、曰く「綺麗な絵を描くつもりで丁寧に字を描く」事がコツだとのこと
しかし、わたし絵心もないのですよね。

でも言いたいことは解ります。バランスの良い字が書ける人は、きっとデッサンのセンスもあり、逆も然りなのでしょう。

例えば『美の壺』(NHK Eテレ等)で使われている紫舟さんの書なんかは、字とも絵ともとれる美しいバランスですよね。

まるで壺の絵

字が下手なわたしにも、それはだけは解る気がします。


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