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本棚から1冊抜き出す。

「百鬼園随筆」 内田百間

内田百間はそれこそ国語便覧でしか知らなかった。教科書に作品が載っていた覚えもないし、でもなんか名前は覚えてる…。という煮えきらない存在だった。

昔からエッセイが好きで、家にあるものは全部読んだ。何がきっかけかは覚えていないが、小林聡美や佐藤愛子の作品にハマった。中学生くらいで向田邦子のエッセイを読んだが、面白いと思ったのは大学生になってからだ。モンゴルに留学中、現地の中学校の日本語科の教室になぜか「父の詫び状」がおいてあったのだ。それ以外にも日本文学の類は、それこそ部屋いっぱいにあった。いくらモンゴル人が言語の扱いに長けているといっても、明らかにオーバースペックだった。安部公房なんかをモンゴルの中学生が読めるわけがない。

寺田寅彦のエッセイは平易で、時代を考えても先鋭的だと評判を聞いたのであれこれ読んだ。しかしどうもハマらない。あまりにも理系過ぎたのだろうか。評判は間違いなかった。でも今思い返すと「面白い」とは身近で聞かなかったかもしれない。ファンの方には申し訳ないけれど。

少し古い時代のエッセイを求めた結果、流れ流れて内田百間にきた。この人は親しみやすいというか、現代の芸能人が書いたエッセイと同じ感覚で読み進められたように思う。といっても借金をする・しない、くらいしか覚えていないが。

内容は覚えていないが、読んでいたときの情景は思い出せる。京都で友人と待ち合わせた折、早く着きすぎてしまった僕は、喫茶店で時間を潰そうとした。しかし、どこも僕にはオシャレすぎるカフェばかり。泣く泣く自販機で缶コーヒーを買い、鴨川の河川敷で読んでいた。カンカン照りで珍しくカップル共が少なかったのが救いだ。
カフェに入るほうが鴨川で本を読むより難易度低いぞ、とは友人の言葉。

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