くら寿司が繋ぐ、きみとわたしとまだ見ぬきみと

家内は噂話に惑わされやすい。隣のお宅の奥さんから聞いた、とか息子の同級生のお母さんが言ってた、なんて言ってすぐに本当かどうかも分からない話を俺にしてくる。いつもは適当に受け流していたものの、今日はさすがに黙っていられなかった。こんなこと、もし息子の耳に入りでもしたらどれだけショックを受けるだろうか。そもそも、あり得ないだろ。くら寿司が潰れるなんて。

ファンの間では傑作と名高い「くら寿司」を先日の新宿ルミネで行われたコントディレクターズカットで見ることができた。あまりにも「くら寿司」の評判が良すぎるせいで、その時が来るまで例の「新幹線のネタ」のように本当は実在しないのではないか…?と、もはやその存在自体を懐疑的に考えていたんですが、ステージに現れた加賀さんとエプロン姿の賀屋さんをみて「まさか…?」と身構え、加賀さんから「くら寿司」という単語が聞こえると同時に私を構成している全細胞が一気に覚醒した気がした。
噂に聞いていた通りの面白さもさることながら、そのストーリーの尊さよ。10分ネタとのことですがショートドラマとしての完成度が高すぎて、このふたりの表現能力本当にすごいな…と感歎しきってしまった。
どうして「くら寿司」は見た者の心をもれなく鷲掴みにして離さないのか。それはくら寿司を軸に展開される『一般家庭の普遍的な幸せ』が自然と人々の共感を呼び、その描写があまりにも美しく優愛的だからではないか…という妄想濃度高めの考察と感想です。ネタバレはないですが本編に触れた記述はあります。

まず、くら寿司とは日本全国に約450店舗展開されている回転寿司チェーンである。ターゲット層の中心はファミリー層であり、地方都市の店舗の多くは国道沿いに集中している。
ふたりが生まれ育った岡山県、広島県に存在するくら寿司もほとんどが国道沿いに存在しているようだ。その辺り一帯にはイオンモール、ヤマダ電機にジョイフルホンダ、しまむらといった大型商業施設が立ち並んでいるが、それはこの一帯の住人の生活の選択肢が限定されているように思えてしまう。
イオンモールが地方都市に乱立するようになった頃、異郷の友人の地元を訪れても、旅行へ行くために乗った新幹線から見える景色も、どこへ行っても判を押したように似たような街並みになってしまっているような気がして、この地方都市開発は地方発展の名のもとに行われる“全国平均化施策”なのでは…?と漠然とした恐怖を感じていたんですが、皮肉にもその施策によってこの「くら寿司」は見た者の幼少期の記憶、あるいは家庭を持った大人が描く『理想の家庭像』を刺激することに成功したように思える。

というのも、このコントの中でくら寿司は『家族全員で共有される幸福な記憶』の象徴として描かれている。ゆえに「くら寿司が潰れる」という情報は瞬く間に住民の間に広がっていく。くら寿司がなくなるということは、その地域に住む人々の幸福の記憶というプラットフォームがなくなってしまうということを指しているからだ。

くら寿司が潰れることを知った人々は一様に悲しみに暮れる。妻が近所に住む高橋さんに電話をかけると、その電話口からは高橋家の娘が泣く声が漏れ聞こえ、町の子供達にもくら寿司を失うという悲しみは波紋のごとく伝播していく。
果たしてかが屋の二人が演じる久保家、その息子はこの惨憺たる現実をどう受け止めるのか——、
ここからは山場だと思うので書くのを止めますが、この先の展開を受けた観客は笑い、涙ぐみ、自然と拍手が沸き起こる、といった反応が起こっていました。わたしも思わずパチパチしちゃったな。

その町のくら寿司が回しているのは寿司だけじゃない。久保家を筆頭に、その町の人々の生活の中心にて煌々と輝き、人生という時の針を回し続けているのだ。
くら寿司を含んで紡がれた人々のDNAは脈々と受け継がれ、また新たな生命のもとにくら寿司がやってくる。ハローワールド、ハローくら寿司。親から子、いずれ子から孫へと、愛おしくかけがえのない家族の記憶はくら寿司をフックにして延々と繋がっていく。
マックでもサイゼリアでもすかいらーくでもない、くら寿司だからこそ成立するストーリー。その構造の美しさにはひれ伏さざるをえない。どうか久保家とあの町からくら寿司を奪わないでくれないか、架空の話なのにも関わらずそう願わずにはいられないのです。この想いを愛と呼ぶことを、人は認めてくれるでしょうか。

「くら寿司」が終わった後、「あ〜いいもの見ちゃったな…」って思ったんだけど、お笑いの感想において「感動した」って言葉を使うのってタブーなんですかね。でも「面白い」とか「ヤバい」とか「衝撃を受けた」あたりの感情をぐるぐるかき混ぜると「感動した」に収斂しちゃうんだよね…。感動はプラスベクトルの感情を包括する表現なんだもん…。
あと前々から言ってはいるんですが、かが屋の年齢でこういうストーリーを描けるの、マジですごくない…?わたしはおふたりと同年代なんですが、あんなに愛に満ちていて人の心を打つものなんて書けない。受けた教育が違うのかはたまた人生の経験値に大きな差があるのか。真剣に考えるとはちゃめちゃに劣等感が膨れ上がってしまう。かが屋を見ていると憧れを募らせると同時に焦燥も煽られてしまうのでたまに苦しかったりする。

そしてこれだけ書いておいて最後に残念な事実ですが、わたしはくら寿司に行ったことがありません。子供の頃に行った回転寿司屋さんの名前、全然思い出せない。悲しい。くら寿司に行ったことがないなんてかが屋ファンと名乗る資格ないのでは...? 近々実際に行ってみたい。くら寿司の空気に触れることで久保家の記憶の断片に触れられる気がする。幸せな久保家に思いを馳せながらくら寿司を摂取できたら、久保家を取り巻くあの町の人々の日常まで味わえるような気がしている。

#かが屋 #くら寿司

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