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自己紹介と、僕がnoteを書く理由

はじめまして。47(よんなな)グループ代表の阿久根です。

47は、「ワークプレイスで、ゆたかな未来を」を企業理念に掲げるベンチャー企業です。オフィスの移転や内装づくり、家具通販などの事業を通じて、ワークプレイス(働く場所・環境)の質の向上に取り組んでいます。

今日からnoteをはじめるにあたって、僕自身の経歴を振り返りながら、簡単に自己紹介をしようと思います。

▼プロフィール
1978年生まれ、福岡県出身。
2000年に九州大学経済学部を卒業後、みずほ銀行に新卒入社。
2004年に医療・介護業界のエス・エム・エスに参画し、管理部門の取締役に就任。マザーズ上場に携わる。
2013年に47株式会社へ参画。2019年に47グループ各社の代表取締役に就任。

倒産していく企業を目の当たりにした、みずほ銀行時代

いきなりこんな話をするのもなんですが、僕は学生時代からあまり人の言うことを聞けないタイプでした。自分で納得できないことはやらないっていうか、やる気が起きないんです。

大学卒業が近づき、就職活動をしなくてはいけなくなったものの、組織に入って働くイメージがまったく湧きませんでした。何の力もないくせに何様だ、と今では反省していますが。。

であれば起業するか、と思いましたが、学生時代ほとんど勉強もしてこなかったので、社会をまったく知らないのはまずいと考え直して、まずは企業に就職することを選びます。

2000年当時は不景気のど真ん中で、とんでもない就職氷河期でしたが、縁あってみずほ銀行に入ることになりました。面接では「起業するための社会勉強をさせてほしくて、御行に入社したいです」と言っていたので、今考えるとよく採用してもらえたなぁ…と思います。

新卒で銀行を選んだ理由は、どんな仕事をするにしてもお金の流れが大事だと思ったから。そして、一年目からいろいろな会社の社長さんとたくさん話して、起業について考えられる機会も多いだろうと思ったからです。

入行後はいろいろな企業を担当させていただきましたが、その中でも一番記憶に残っているのは、僕が担当しているときに倒産してしまった取引先です。現場の方々は一生懸命お仕事されていて、売上も伸びている。ただ、過去の負債が大きかったために、結果として企業継続が困難な状態になってしまいました。

ここで学んだのは、「企業経営をするにあたって(絶対に失敗する)間違った意思決定をしてはいけない」ということ。一度でも大きく誤った意思決定をすると、その後どんなに頑張ってもリカバリーが難しい。挑戦するのはいいことだと思うけど、博打はダメ。この学びは、今でも活かされていると思います。

こうして入社3年が過ぎた頃、大学時代の友人だった諸藤さんが起業してエス・エム・エスを立ち上げたと聞き、そこにジョインすることにしました。

管理部門立ち上げからIPOまで携わった、エス・エム・エス時代

当時のエス・エム・エスはまだ20名ほどのベンチャーで、僕は初の管理部門メンバーとして入社しました。なぜ管理部門だったかというと、「銀行出身で決算書が読めるから」。これだけです。多分。

入社後しばらくは、証券会社対応、経理、総務、法務、労務あたりを全部一人でやっていました。もちろんやったことのない業務ばかりでしたが、そんなことを言っているわけにもいきません。急成長していく事業と組織を支えるため、文字通り寝食を忘れて仕事に打ち込んでいました。

とはいっても、「手当たり次第に」というわけではありません。エス・エム・エスではその頃すでにIPOを目指すことが決まっていたので、やらなければいけないタスクは明確でした。管理部門にも徐々に人が増えはじめ、役割が細分化し、僕自身の業務も実務からマネジメントへと比重が移っていきました。

そして、いろいろな人たちの助けもあり、2008年に無事IPOすることができました。

ここまではひたすらに走り続けていたので、過去を振り返る余裕もなかったのですが、IPO後にふと冷静になって思ったのは、会社の成長スピードと自分の発揮できる能力が合致していないな、ということでした。

もちろん僕自身も成長し続けたいけど、その成長を会社に待ってもらうのは違う。会社がもっと伸びていくためには、僕の存在が足枷になるんじゃないか。そう考えて、エス・エム・エスを辞めることにしました。

数年の間に何度かオフィスを移転して、人はどんどん増え、退職する頃には従業員400名以上にまで成長していました。

宇垣さんとの出会い、47への入社

エス・エム・エスを辞めて、今後何をやりたいかを考えたときに、大きくなった会社の中で役割を与えられるよりも、ゼロイチで新しいものを作り出したり、整っていない状態を整理していく仕事がしたいと思って、もう一度ベンチャーに飛び込むことにしました。ちなみに、学生時代に考えていた起業については、もうそんなにこだわっていませんでした。

いくつかの企業から声をかけていただいたのですが、その中でも一番心を惹かれたのが47でした。特に、創業者であり前代表の宇垣さんとの出会いは、すごく印象的でした。

宇垣さんはエス・エム・エスの拠点がどこにあるかを全部暗記していて、「なんでこのビルを選んだんですか?」と面接で聞いてきました。僕は管理部門の責任者として何度か拠点立ち上げに関わってはいたものの、思い返してみるとあんまり明確な理由がなかったんです。

そのことを伝えると、宇垣さんは「そういう会社には営業できないです」と言いました。なぜなら、働く場所なんて何でもいいと思っている人に、より良いオフィスづくりを提案しても刺さらないから。さらには、働く場所について考え抜いてる会社の方が絶対に伸びる、と。

たしかにその通りだ、と思いました。なぜなら、当時急成長していたITベンチャーは、どこも宇垣さんが移転を担当していたからです。

それまで僕は、事業については無茶苦茶考え抜いていたはずなのに、オフィスについてはほとんど考えたことがありませんでした。「働く場所が大事だ」と思ったこともありませんでした。宇垣さんの一言を聞くまで、そのことにすら気付いていなかったんです。

世の中いくらIT化が進んだとしても、それを動かしているのはあくまでも人。だからこそ、快適に働ける場所をつくることが大切。もしもエス・エム・エス時代にその認識を持っていたら、もっと早いスピードで会社を成長させることができたのかもしれない。そう思いました。

こうして2013年に47に入社してからは、CFOとして新規事業の立ち上げなどをサポートしてきました。創業時から続くオフィス仲介事業に加えて、内装事業やオフィス家具通販事業も誕生し、47はオフィス移転だけでなくワークプレイスづくりをトータルサポートする会社へと成長していきます。

そして、2019年に創業者の宇垣さんが47を離れ、僕が47グループ各社の代表取締役に就任し、現在に至ります。

「ワークプレイスで、ゆたかな未来を」

「働く場所が大事だ」なんて当然じゃないか、と思うかもしれません。でも、働く場所について、考えて、考えて、考え抜いている経営者は、正直少ないと思ってます。

オフィスというのは、まるで空気のような存在。空気がないと人は死ぬはずなのに、あるのが当たり前すぎてそれについて考えないのと一緒です。

働く場所をより良くしていけば、事業や組織をもっと成長させることができる。社員が一人もいない会社なんて存在しないのだから。だからこそ、働く場所についてもっと真剣に考えて、向き合ってほしい。

これは、過去の僕自身に対する反省でもあり、世の中の経営者の皆さんへのメッセージです。47の企業理念「ワークプレイスで、ゆたかな未来を」には、こうした思いが込められています。

僕のnoteでは、働く場所について考えるきっかけになるような情報だったり、経営者の方々にとって少し役立つ思考、ノウハウなどを紹介していければと思っています。

稚拙な文章ではありますが、興味のある方はぜひフォローして読んでいただけたら嬉しいです。


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