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母と娘の話

⚠︎毒母の話です。苦手な方は読むことをオススメしません。

毒母と気付いたきっかけ

今回は私の母の事を書いていこうと思う。

私の母は、不器用で怒ると怖くてヒステリータイプの母だ。そんな母が毒母だと気付いたのは3年前だったと思う。それまではどこの母もこんな感じだと思っていた。

気付いたきっかけはTwitterのある投稿だった。私の母に言動や行動がよく似ていたのだ。それまで「毒母」「毒親」なんて言葉聞いた事もなかったので調べる事にした。

毒親には何種類かタイプがあるらしいが、私の母の場合はネグレクトタイプというより、

私の考えが正しい・子供は親の言うこと聞くのが当たり前・だから親の愚痴を聞くのも当たり前・全てはあなたのため

こんな感じの母なのである。

自分の母が毒母だと思ったことには理由がある。

小学生〜中学生時代

私は幼少期から割と厳しく育てられた方だと思う。

父が出張でいなく寂しくて泣けば「いつまでも泣いてるんじゃねぇ!!」っと怒鳴られ、小学生の時、算数がわからず悪い点をとった時なんかはその日、朝の全校集会があるのにもかかわらず、学校が始まるギリギリの時間まで問題集を泣きながら解かされた。

そんなこんなで勉強することに対して嫌な印象を持ってしまったわけで、勉強もできた方ではなかった。テストで良い点がとれないと、その度に

「なんでわからないんだ」「だからお前は馬鹿なんだ」「○○ちゃんはもっとできるのに、なんでお前は」「お前のために塾に行かせてやってるのに!」

っと言われた。そもそも、塾に行くまでは勉強は面白くないもの・出来ないと怒られるものと認識してしまったので学力が上がるわけがない。

ただ、小学生の頃は割と平和な気持ちで過ごしていたかもしれない。そもそも、母が怒るのは自分が出来ない子だからだと思っていたし、褒めてくれる事もあったからだ。

中学の時、1つの事件が起きた。

当時私はヴィジュアル系の音楽にハマっていて、友達もヴィジュアル系が好きな少し派手めな子だった(ピアスを開けていたり、髪を染めていたり)。ある日その子が、「今度メイクして遊ぼうよ!」っと言うので、私は本当の仲間に入れてもらえた気分になって嬉しくなりその誘いにのることにした。

だか、それまでの私は運動ばかりを頑張っていたのでメイクのことなど何一つ知らない。眉毛の整え方さえ知らなかったのだ。ただ、母に眉毛を整えたいと言うと「そんなことしなくていい」っと言われ、自分で整えると剃りすぎるという失敗をしながらも、何とか眉毛を整えることを覚えた。

ただ問題はメイクである。私の母はなぜかメイクのことに関しては凄く厳しかった。買ってと言ってもそんなお金はないと言われるのがわかっていたので、自分のお小遣いでコソコソと買っていた。

だがある日、その化粧用品が見つかってしまい、目の前で全て取り上げられ、そして全て捨てられた。泣いて止めても、母はヒステリーを起こしていて全くこちらの話を聞いてくれない。最早、過去に自分の母にも同じことをされたのではないのかレベルで怒られた。なんと言われたのかはあまり覚えてない。ただ、酷いことを言われた感覚は今も残っている。

その時、自分の存在・思考、全てを否定されたかのような気持ちになった。また思春期ということもあり、病みに病んだ。どのぐらい病んだかというと、シャワーで首を絞めて自殺未遂をしたぐらいには追い詰められていた。母のヒステリックな怒り方の他に、母の親戚や祖母、父に対する愚痴がたまに永遠と話されるという謎の時間があり、ちゃんと聞いてないと怒られるし、聞いていても母が欲しい答えを答える事ができないと、また怒られるということが度々あったのだ。

これを、自分の事で精一杯な中学生の女の子が母の悩みまで抱えていたのだ。

今だから言えるが、この時の私はほぼ毎日生きていたくないと思っていた。普通の精神状態じゃなかった。それはそうだ。抱えなくていいことまで、抱えていたのだがら。


高校生時代

高校生になり、私は陸上部に入部した。県内でも強豪で割と有名な所だった。ただ、レベルが高すぎた。ついていけず、また同級生からも変にからかわれ、その親も私をあまりいい存在とは見ていなかった。私は次第に体調を崩すようになった。母に相談すると、

「やめてもいいよ」

っと意外な答えが返ってきた。ただ、とても気持ちが軽くなったことだけは覚えている。こんな母でも、優しい時はあるのだ。

高校の成績もあまり良くなかったが、割と好きなことをしていたと思う。

また、母に従うだけではなく抵抗するということを覚えたのもこの頃だった気がする。

高校の頃の記憶で鮮明に覚えてるエピソードがある。初めてできた彼氏との話だ。

何度目かのデートの日、その日はサッカーの試合観戦だった。私は胃腸炎治りかけという状態だった。体調は良くなっていたのだが、安静にしてなさいと母に言われ、デートにいけなくなったのだ。だが、彼はチケットをとってくれていて「待ってるよ」とメールをくれていたので、こっそり抜け出して観に行ったのである。

すると当然母からは電話の嵐、無視し続けたが会場で見つかってしまい強制連行されてしまう。あのとき、当時の彼が母をキッと睨み、母も負けじとギッっと睨んでいたあの光景は今でも覚えている。

そんな彼とは、自然にわかれる形となり、そこからはこれといった彼氏はできなかった。また、勉強や友達との関係、母のヒステリーや愚痴を話す事も変わらず同時進行だったので、恋愛までしている暇がなかったのかもしれない。


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今回はここまでにしようと思います!

最後まで読んでくださったあなた!ありがとうございます。

次回は、専門学校時代〜現在までの毒母エピソードと私の思う母との関係を書きたいと思います。


S.

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