2024.1.10

2024年1月某日
新年になった。これといった特別感もなく、そうなんだね~くらいの気持ちである。しかし、世間は正月がなんだとせわしなく動いていき、今年もこんな感じで流されつづけるのかと少しだけ辟易。夜中にやってたあちこちオードリーの伊集院光ゲスト回を見た。前後の文脈はめんどうなので省くが、伊集院が言っていた「止まっている時計は必ず1日に2回は正しい時間を差すが10分ズレて進んでいる時計は正しい時間を差すことない」という言葉がかなり刺さった。止まることの勇気というか美学。大切なことである。文脈を省略して名言だけを記すのはやっぱり良くないよね~。言葉って誰がどのタイミングで誰に向けて言っているのかが大事なのに、そこを省くのはズルいし失礼な気がする。今年もたくさんズルいことをやっていくのかな。よくわかんないや。

寝起きで贅沢な朝飯。我が家ではめんどくさいという理由でおせちは撤廃になった。なので新年はお雑煮やらお刺身やら紅白かまぼこやら縁起の良さそうなものなどでお茶を濁し続けている。私は縁起的なものを心の底から信じたくない気持ちがあるので両親のこのスタンスに助かり続けている。私以外の家族は初詣に行ったので私は昼寝に突入。起きたら安齋由香里様がYouTubeで生配信をしていたのでありがたく視聴。とても萌えでございました。新年から萌えを供給してくれる彼女には頭が上がらない。

例のアレが発生した。私は情報をがっつり追いたくないし、幸いにも私の居住地には被害がなさそうなので情報を遮断するためにシャニマスをプレイ。コメティックのイベコミュを読んだ。正直なんとも言えないな~と思って。プロデューサーとルカの会話が核心をさけつつもふたりだけでわかる言語で話している印象が本当に強かった。なーんだろうね。なんかよくわかんないや。思考の放棄っぽいんだけど”自分を許してやれ”がルカの欲しかったひとつの言葉なんだと思うとわかんないや。最近のシャニを追っていない私がわかるわけもないんだけど。羽那ちゃんもはるきちゃんも置いてかれても仕方ないのに、根の善性と先人へのリスペクト精神だけでルカに歩み寄るのがスゴいというか微妙にノレないというか。彼女たちの善性を信じることができないのは俺の心が汚れているからですか?

みんなが見てるその前で
二人にしかわからない
言葉で話をしよう
僕らはエロい関係

エロい関係 / 奇妙礼太郎

深夜に”日本怪奇ルポルタージュ”を見た。この手の番組って過剰演出やな~って思うことが多々あるんだけど、全てのバランスが丁度良くてかなり良かった。にしても正月からマジで重かったな。何個かトピックがあって、その中のひとつに”孤独死”があった。私が恋人を作ったりしているのはもちろん恋愛を楽しみたい的な気持ちもそれなりにあるんだけど、4~50歳くらいになったときに若い頃の怠惰の結果孤独になるしかなかったという未来がマジで怖いからってのがひとつある。超絶打算のしょうもな人間であることを認めつつも、お前らも打算0で恋をしているわけじゃないよな?と圧をかけたい。話戻ります。この番組では孤独死は本当に孤独で悲しいのか?楽しく、自分らしく孤独に死んでいくひともいるんじゃないか?みたいな感じで孤独死の再定義みたいなことを試みていたのだが、どんな切り取り方をしても孤独死は孤独死だろ、、、、、。生きている人間が死人に対して幸/不幸を決めつけるのって傲慢じゃないんですかね。孤独死は孤独死でそれ以上でもそれ以下でもないのに。

これも私が精神的な潔癖症だからなのかな。人の命は平等なものであってほしいし、人の死も平等なものであってほしい。そう願わないと私の生が肯定できないから。18歳の時にかけられた”生の生産性”という言葉が未だに脳裏から離れない。

1月某日
相も変わらず正月休み。特にすることもないので今日もシャニマスを眺めた。チケットがたくさん余ってるのでイベコミュでも読むか~と2023年更新分のストレイライトのイベコミュを読んだ。正直、結構刺さったな。芹沢あさひと重力みたいな話ではなくて、自分はこのまま進んだとしてどこに辿り着くのだろう、この先に熱狂はあるのだろうか、、、みたいな気持ち。私がDJをはじめたのはとあるパーティーに感銘を受けておもしろそう!と思ったから。いつかそのパーティーに呼んで欲しいな!そこを目標に!と思っていたら本当にありがたいことに、最初がそのパーティーだった。スゴクシンプルな言葉を使うとするならば目標を失った。なんとなく、パーティーのこともわかってきて、実力が足りてないとか場数踏んでないから本当にヤレんのか信用ができないとか、その辺りの指標もうっすらはあるんだけど、ゲストに呼んでもらえるかどうかってそれ以上にタイミングやなって思うようになってきた。もちろん研鑽というかDJ行為がおもしろすぎるから、好きなタイミングでやっていってその結果上手くなったら良いなくらいの気持ちはあるんだけど、上手くなったからといって呼んでもらえるわけではなくて。この待ちの姿勢による、己の価値の他人に委ね続けている感じにキツさを感じるようになってきたので、主催イベントを3/1(金)にやることにした。でも、あさひ、というかアイドルはオファーがなければ己を表現する場がない。オファーが来たとしてもモチベーションがアガるとは限らない。なんかそのうっすらとした閉塞感を感じ続けちゃう気持ちがかなりわかって苦しかった。その結果、自分で表現できるものとしてコンテンポラリーダンスの振り付けに熱中したんだろうし。とにかくハコの中が嫌で、仲間との張り合いもなくなってきて、何もなくて、道がなくて、どこに進むと何があるのかもわからない、海に惹かれてしまう彼女の気持ちに自分をうっすらと重ねてしまった。俺は先が見えなくて何が起こるのかの計算ができないしんどいパーティーをやる。あさひも、なにか自分の好奇心を揺さぶるおもしろいコト・モノに出会えると良いね。

夜は映画館バイト時代の先輩と飯を食った。財布を無くしたことは事前に伝えていたので、とりあえず出してくれることになって感謝。お互い、色んなコンテンツの話をしたんだけど、先輩はコンテンツの摂取量が明らかに減っている感じがしてなんか寂しかったな。何かをしているようで何もしていないみたいな感じだった。このままエンタメに触れることからフェードアウトされると悲しいから、なんとか自分のペースで触れ続けて欲しいな。

帰宅してから、八巻、永井、北原の沖縄旅行のロケ番組をYouTubeで見た。このクオリティでも視聴者は楽しんでくれる!と順で思っているならナメられすぎだし、まぁオタクやし演者のファンはなにやっても見てくれるだろうと思われているなら、もうダメだと思う。今にはじまったことじゃないけど、演者についてるオタクは何やっても金を落としてくれるしマインドにそろそろちゃんとキレた方が良いのかもしれない。そんなことするとお気持ち表明(笑)みたいな態度で冷笑されておしまいなオチではあるけど。

SukeraSonoとか昔の声優楽曲みたいな感じで、演者のファンによる儲けがある程度見込めるから実験的なことをやろう!みたいな素敵な束縛なら満足なんだけどさ、、、。萌えか萌えじゃないかでしか言葉を放つことができない俺の未熟さも上記のような終わった関係ができてしまう要因のひとつだと思うの気を引き締めていきたい。でも、金が払う価値があるかないかなんて金を払って体験しないとわからないし、あんまり期待していなかったものが期待を越えてくる瞬間のアドレナリンは何事にも変えられないから、今年も面白”そう”なものにお金を使っていくしかない。審美眼なんて信じない。行かない理由の御託は並べたくない。

1月某日
財布を落としてなければHAPに行く予定だった。財布ってマジで落とさない方が良いかも。

特にすることもなくて午前中はダラダラと漫画を読んだりした。午後は思い立って、途中まで見ていたキミゼロを最後を見た。結構スゴいアニメでしたよね?1話のノリだとこの物語の縦軸って龍斗と月愛がいつセックスするのか?になりそうなのに、蓋をあけてみたら突然転校してきた初恋相手の黒瀬さんとの未練と嫉妬の話だったし。僕はラブコメが好きなのでわりと楽しく見れましたが、このアニメをどんな風に評価すべきなのはマジでわからなかった。でも”俺のはじめての恋は君にあげたんだ”は結構良かったかも。最後にこんなことを言うのは流石に良くないと思うけど。

その後、「恋愛ラボ」を見始めた。倉橋莉子ちゃんの萌えの打点の高さに驚きっぱなしではあるものの、それ以外に秀でたものが見つけられなくて難しい。でも、ライアーライアーを見て萌え一点突破のアニメもなんとかなることがわかったし、なんとか見切ることができるかも。適当に見て行こうかなって感じです。

20時になってラブライブ!の新年会を見た。贔屓がそれになりに活躍してくれて嬉しかったな。

アイドルオタク時代のノリで原価3ケタ円のゲームを見るとちょっと嬉しいんだけど、これってあんまり健全じゃないんだよな。原価3ケタ円のゲームでおもんなかったら、まぁ原価3ケタ円やし、、、って諦めがつくんだけど、原価4ケタ以上円だと、それなりに予算あるのにおもんないって企画班の実力不足だよな?ってちょっとムカついちゃうから、この思想にいたってるわけで。まぁでも女性声優がやるゲームに求めてるのはおもしろさではなく萌えなので、正直おもんなくても良いんだけど、、、。

23時半からマジ歌を見た。今年もおもしろかったね。マジ歌を見てる時に出オチのキツさを味わうことが少々あって、今年はヒデちゃんかな~って。出てきた瞬間が最大風速になっちゃうって、ちょっともったいない気もしてしまう。風が吹いてるだけ充分って見方もあると思うけど。。。俺の大好きな後藤が今年も最高の仕上がりでマジで嬉しかったです。来年も楽しみや。
終わってからNHKで長谷川育美様のアクトをチェックして就寝。カッコよかったです(小学生)

1月某日
今日も特にすることがない。
『氷の城壁(8)』 - 阿賀沢紅茶 を読んだ。若干の説教臭さを感じるものの、人間関係のめちゃくちゃ嫌なところをポップな絵柄でごまかしながらひたすらに進んで行くのがスゴイ。この手の作品ってキャラクターに舞台装置みを感じて辛くなることがよくあるんだけど、本作は全てのキャラが意志をもった独立した存在として動いていてめちゃくちゃスゴイなと思う。この1点は『正反対な君と僕』よりも優れているな~と。恋愛漫画特有の良さを感じることはないが、その他の部分の良さが強いので来月も楽しみや。

ぼーっと『恋愛ラボ』を見ていたのだが、なんとなく飽きてしまった。なんか違うことをやりたいな~と思った時に友人からFANZAのギフトカードを貰っていたことを思い出してなんかエロゲを買うことにした。前にオタクが長””””谷/川////育/美さんに激似のエロゲ声優がいるって言っていたので、それを調べてその人が主役のゲームを購入した。人生初のエロゲ、楽しめるかどうか。。。

とりあえず2章までは読んでかなり楽しめている。やっぱり俺は99%の善意と1%の意地に弱い。僕は言葉をあんまり信じていないから、ヒトは言葉を使うしかないことを十分に理解しているつもりで。言葉にできなかったメインヒロインと言葉にした2番目のヒロインでは2番目のヒロインの方が優位に立てるのはわかっているんだけど、それでも言葉以外の全てがメインヒロインにはあったじゃんと思わざるを得ない。風俗に行ってセックスだけして童貞を卒業をした男と、恋人と徐々に関係を深めてセックス以外の全てをした童貞の二人を見ているを見ているような気持ちになる。童貞なのは後者だけど、真の意味で童貞なのは前者だろ。。。みたいな。俺は常に後者でありたいというか目的を達成するだけで満足するのではなく、目的は最悪達成できなくても良いから、その道のりを大切にしたい。でもさ~~~、この社会では言葉にできるやつが強くて、目的を達成できるやつが強い仕組みなんだよな~~~。常に負け続けるしかないのかな、わかんないね。

1月某日
相も変わらず。完全に正月を持て余している。することはたくさんあった。例えば、この日記。この日の5日後に書いている。何をやったかなんて思い出せなくてツイログを開いて必死に思い出している。ツイログを見ることである程度のことが思い出せてしまう人生ってどうなの?少しだけ悲しくなるが、俺が歩んでいる人生はこんなもんなのである。

昨日に引き続きエロゲをやった。今作はヒロインが四人いて、今は共通ルートというらしいものをやっている。端的に言えば自己紹介がてら話の本筋が進んで行くパート。色々とひっかかるポイントがありながらも要所で出てくる萌え女で嬉しくなって全てを忘れていく。シナリオの整合性というか、Aという信条を持っていきているのにそのBの選択肢を選ぶことあるか?それはシナリオを成立させるために選ばせてないか?そのキャラクタが歩んでいるのは人生なのか?物語なのか?って問を馬鹿みたいに繰り返しているのにも関わらず、萌え女が出てくるとわりとなんでも良くなってしまう。友達が俺は狂ってるんじゃなくて真面目にやってるだけ。とここ数ヶ月の間に言い続けていて、確かに彼の背中は真面目そのものでかなり納得している部分もある。彼の言ってる真面目さ、勤勉さを俺はやっぱり持てていないなと繰り返し思う。勤勉でできる限り善良で気遣いのできるやつは踊ってくれ。

前にオタクから言われた”なんでアニメ見てないのに声優のオタクしてるの?”がわりと引っかかっていてアニメ実況部に仮入部し、見れる範囲のアニメを全部見るようになったのだが、この世にはおもんないアニメがめちゃくちゃにあるんだなと軽く衝撃を受けた。おもんないアニメなんてなくてお前がおもろがれてないだけや、みたいな話はわりと流布していると思う。俺はもうそのステージからは降りた。これにもおもしろい所があるんや。。。と信じることよりも、これはおもんないですねと自分の感性を信じたほうが個人的にはしっくりくる。おもんないものをおもんないと切り捨てるだけではしょうもない気がするので、おもんないと感じる理由をちゃんと探していきたいな。

この考え方の根底にある”せっかく時間をかけて見ているんだからなんか得たい”という気持ちの折り合いの付け方だけがわからない。無駄を愛していきましょうと誓っておきながら、無駄を全然愛せていないじゃんね。2024年もこうやってツラの皮を厚くしていきていくのだろうか。

1月某日
早起きして髪の毛を切りに行った。なんだかんだで同じ美容室に5年ほど通っている。めっちゃ腕が良いとか、美容師さんの人が良いとかでもなく、ただただ髪切り屋さんを探すのが恥ずかしいだけ。もう23歳なのに髪の毛を切ったりおしゃれ(と自分が思う服を買ったり)して自分の容姿を整えることに恥ずかしさを覚え続けている。見た目に関してはずっと偏差値50を狙っている。清潔感がないとか、服がダサすぎて笑われてしまうとかは避けたいし、偏差値60~70を目指して自分を大きく見せようとしている感じも恥ずかしい。容姿を整えて自分を大きく見せても碌なことがなかった。デカい評価はいつだって怖い。別にダサいわけでもないけどイケてるわけでもなくて、なんの印象もなく、信号を間にも忘れてしまいそうなほどの無味無臭。それだけを目指している。どうしてなのかはよくわからない。

この日は転職先の2023年度成績報告会と新年会があった。会場にて参加。成績発表会では社長の話を聞いて、なんとなく業績が良いことだわかった。数をかぞえるとこに”イチ・ニ・サン~キュー・トウ”って言っていたのがとても印象的だった。その後、部署別に別れてのミーティング。ここではじめて同じ部署に人に挨拶をした。元気に声を少しだけ高くして、なるだけいい人に見えるように。自分を大きく見せるための行為で辛くなるが、素で行ってマイナスな印象を与えるのを良しとするほど社会経験がないわけでもない。コミュニケーションだけは偏差値50の目指し方がわからない。 

新年会。個室のフレンチだった。座席はフリー。この会社にはオタクの友達の紹介で入ったので、そのオタクの隣に座った。前は若い女性社員。オタクと喋るには少し大きすぎる声は女性社員にも聞いて欲しかったから。直接話かけるのはなんかできなくて、オタクに話かけるフリして女性社員と話そうとした。自分で日記に証拠して記しているのが恥ずかしいぐらいの愚行。マジでダサい。このダサに気づいたあとは普通に話かけて普通に歓談しました。多分、セクハラってこの行為の延長戦上にあるよね。マジでキツいかも。

1月某日
みらくら補習室。久しぶりの2人回。とても良かったと思います。

1月某日
起きたら蓮の15話が公開されていた。ラブライブ!本戦で敗退したあとの彼女たち。。確かに感動的ではあったし、演出面から見ても彼女たちの心情を覗いてもとても素晴らしかったと思う。でも私は、欲しかったものが入らなかった彼女たちの姿を見て”素晴らしい”とか”面白い”とか、何かしらの評価をくだして良いのかわからなかった。何を言っても野暮に思える。正しさなんてずっとわからなくて、俺は簡単な二択も間違えるし、間違えたことすら気づけないような人である。薄々、正しさなんてものはなくてオノレの尺度と倫理観を信じるしかないことは気づいているけど、やっぱり正しくあろうとすることは諦めたくない。私は今、彼女たち6人に声をかけるとしたらなんと言うだろうか。”お疲れさま”、”よく頑張ったね”、”来年リベンジだね”、”惜しかったね”、”決勝まで行けてすごいよね”、”感動をありがとう”。全部違う気がする。この気持ちをこぼすことなく全部伝えることができたら良いのに。祈りと怠惰の紙一重。

夜、discordでオタクと一緒に公式YouTubeに上がっていた蓮の豊洲PITのやつを見た。

言葉はどの口で言うかがマジでいちばん大事だと思っていて、このライブの最後の挨拶を見た時に、こんな魂を持ってるから今に繋がるんだ…と心にきた。私が言うのは違うけど、彼女たちに蓮ノ空を愛してくれてありがとうと伝えたい。

1月某日
転職先、初出社。この日は社長直々の研修。経営理念とか方針とか熱く語っていた。熱く語りすぎていて2時間半押した。結構キツかったな。
三四郎の漫才で小宮が”大事なことだから2回言ったよ!”みたいなツッコミがあったと思うが、大事なことは2回で良いなと思った。同じことを10回も20回も言われると集中力が持っていかれる感じがあった。本当に大事なことだし、研修は今日しかないから何度も繰り返して頭から離さないようにしたい意図はとてもわかるが、それ以上の精神的な負荷があって、早く忘れたいと思ってしまいそうだった。この日記を書いている時点ではギリギリ思い出せる。

ヒトと会話してきて、この人って人生勝ち続けてきたんだろうなと思うことが時々あるが、社長からもその匂いを感じた。その中でもちゃんと努力して勝って来たんだろうなと思わせてくるタイプ。勝てる勝負だけしてきた小さい人間の匂いはしなかった。正しいことが一番良くて、誠実なことは当たり前で、感情はその奥。究極のマジレス厨感。私が逆立ちしてもなれないし、少しも憧れないタイプ。勝てなくても良いから優しい人になりたいな。

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