2.5次元は呪術

 発端は以下のツイート。

 といふか古来より芸事と神事/呪術は分かち難い関係があつたので役者は皆「巫(かんなぎ:神を降ろす人)」であるとも言へるんですよね。ただその中でも特に2.5次元が呪術的であるといふことについて少少考へてみたいと思ひます。
 ちなみに僕は刀ミュについては全く知識が無く、主にテニミュとペダステを観てゐた経験からしか語れないこと、また「2.5次元」といふ呼称については便宜的に使用してゐますがあまり適切ではないと考へてゐることを申し添へておきます。

「形のあるキャラを降ろす」

 役者であれば「役を自分に降ろす」といふ意味では巫であるのですが、2.5次元において特筆すべきなのは「既に形があるキャラクターを降ろす」といふところだと思ひます。既に容姿や声などの設定が決まつてゐて、そこにファンの思ひ入れがあるキャラクターを演じるといふことは、勢ひ「再現性」が重視されるといふことでもあり、演技力や歌唱技術よりも「そのキャラであること」の比重が高いと言へるかと。これはキャスト/キャスティングのみならず、「そのやうに見せる」ための演出や道具などにも当てはまることですが、それは後述します。

「見立て」の重要性と、観客との共犯関係

「2.5次元」とは「2次元(漫画やゲームなど)のコンテンツを3次元(実在のもの)で再現する」といふものであると定義され得るかな、と思ひますが、元が非実在ゆゑの自由な表現である以上、キャスティングだけでなくその演出をどう再現するかといふのは重要な課題です。これについては舞台ならではの制約を逆に利用して、簡略化された表現で観客に「見立て」をさせるといふ手法で解決してゐるやうに見えます。ペダステにおいて、ハンドルを持つて足踏みをする演者を見てロードバイクに乗つてスプリントをするキャラクターを見出すといふのはこの「見立て」手法の極みでせう(もちろんこれは2.5次元舞台に限つた話ではないのですが)。
 しかしこれが成立するためには観客の側に「お約束」を共有する、謂はば共犯者になる構へが必要不可欠です。観る側もまた、呪的空間を展開するための重要な構成要素なのです。2.5次元舞台において特にミュージカルが成功しやすいのは、かうした「お約束の共有」がしやすい、「共犯関係」が結びやすいといふ面があるのではないかな、と思つてゐます。逆にTVや映画での「実写化」が不評になりやすいのは、上記のやうな形での「共犯関係による呪的空間の展開」がしづらいといふのも理由のひとつではないかと思はれます。

まとめ:舞台の力

 上で述べたことは結局「2.5次元だから」といふものではなく、「キャラクター/世界観を降ろす」ために舞台演劇の呪的な力を最大限に利用する、といふことに他なりません。ただ「一般の」舞台よりさういつた呪力を感じやすい側面は確かにあるかも。刀ミュはキャラが付喪神ですから余計に「神降ろし」の面を感じるかも知れませんね。

 かういつた「神降ろし」の側面からアイマスライブの話に繋げてみようかな、とも思つたのですが、ここまでで充分長い&上手くまとまらないのでひとまづここまで。また何か気が向いたら。

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