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酒が飲めぬので漢詩に酔う

今宵は中秋の名月らしい。

月といえば浮かぶのは推し(芹沢尚)と李白。

李白の詩は月と酒を詠んだものが多い。

月を詠んだもので好きなのは『静夜思』。

牀前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷

牀前 月光を看る
疑うらくは是れ 地上の霜かと
頭を挙げて 山月を望み
頭を低れて 故鄕を思う

ふと寝台の前に降りそそぐ月光に気づく。
まるで地上に降りた霜のよう。
頭をあげて山の端に浮かぶ月を眺め、
突っ伏して、故郷を思う。

漢詩に詳しいわけではない。漢文そのものを書き下しとか深く考えずに一字一字読んでいくのが好きだ。まるで日本語によるなんちゃって漢文のように。

冴え冴えとした月光をおもう。
布団の上でゴロゴロしてる気がするのは誤読だろうか。「疑是地上霜」に何度でも感動してしまう。

当時の住環境がわからないので妄想にすぎないが、月明かりが床に反射して、ぼうっと薄い層ができている、そんな様を想像する。
一方で真っ暗な空にぽっかり月が浮かぶ、冴え冴えとしたコントラストも感じる。
それがたった「霜」一文字。おそろしい。

本当に漢文への教養は浅いので盛大な勘違いがあったらごめんなさい、教えてください。

そして李白の月のうたといえば、『月下独酌』の特に第一首が有名だ。

ひとり月下に酒を飲み、自分と月と、それから己の影の3人だけが仲間だ、という内容。

孤独と視点の面白さと、酔う愉快さが伝わってくる。

私は第二首と第四首も好きだ。

第二首の冒頭

天若不愛酒
酒星不在天
地若不愛酒
地應無酒泉

もし天が酒を愛さなければ、天に酒の星座などないだろう。
もし地が酒を愛さなければ、地上に酒泉などあるはずがない。

この力強さ、勢い。格好良過ぎて泣ける。

このように天地は酒が好きなのだから、酒好きはなんら恥じることではない、と続き、

三盃通大道
一斗合自然
但得酒中趣
勿為醒者傳

三杯飲めば大道に通じ、
一斗飲めば自然とひとつになる(そりゃそうだ!)

わたしはただ、酒を楽しむだけ
飲まない者に伝えてやることなんかないね


ぎくっ、実は私は酒が飲めない。「醒者」なのだ。でもそんな突き放さないで。

酒の楽しさと酔いの魅力は、充分伝わってくるからさ。

第四首も良いので気になった方はよかったら見てみてください。

待酒不至』も好きです。

玉壺繋青絲  
沽酒來何遲
山花向我笑
正好銜杯時  
晩酌東窗下
流鶯復在茲
春風與醉客
今日乃相宜

玉の壺に青い紐を結んでさ、
酒を買いに行かせたけどおっそい!
山花が私に微笑みかけている
正に絶好の時なのに!

というところがとても好き。

その後はまったりと春風とともに酔う様が詠まれている。今、この時の美しさ素晴らしさを謳歌しようとする姿、好きだな。

最後に『山中問答』を。もはや月は関係ない。
あ、『待酒不至』も月でてきてないや。

問余何意棲碧山
笑而不答心自閑
桃花流水杳然去
別有天地非人間

人は余に問う、なぜこんな山奥に住んでいるのかと。
私は問いに答えずただ笑うばかり。心はゆったりと穏やかだ。

桃の花びらが水に浮かび、遠くへと流れていく。
人の世とは別の天地もあるんだよ。

「人間」は「じんかん」と読み、人間世界、俗世間を意味する。
「心、自ずから閑なり」に勝るものはないのではないか。かっこいいよね、好き。

久しぶりにこの詩を読んで思ったのは、私がなぜnoteを書き、続けるのか。
最近「noteを書くこと」についての記事をよく見かける気がするので。

私にとってそれは、たぶん、ただの遊びなのです。

だから続いているのかなと思います。

それにしても李白の詩にはどうも惹かれてしまう。華やかで、孤独で、酔っている。詩仙と呼ばれる李白、仙人なんていうと質素で浮世離れしていそうなのに、李白はとても人間らしく楽しそうで、それでいてやはり超越的なところがある。

私は体質的に酒が一滴も飲めないが、李白の詩を読んでいると、心地よく酔えてしまうのだ。

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