続・「おかあしゃん」記念日
5月8日、1歳の息子がはじめて「おかーしゃん!」と呼んでくれた。
この文章を書くのは2度目なのに、やっぱり泣きそうだ。
本当は色々書きたかったのだけれど、職場で昼休みに書いていたら涙があふれてきて、あまつさえ鼻水まで垂れてきたので書けなくなってしまった。
大変嬉しく、感動的な出来事だった。
特に、「お母さんだよ!」と私が応え、手を握った時の、息子のにこぉっとした笑顔が忘れられない。
「伝わる」は「嬉しい」
息子はよく笑う子で、最近は「あはははは!」と笑いながら駆け回っている。
走っているだけでとても楽しそうだ。
でもあの時の笑顔は、そういう快活な快感によるものではなく、内側から湧き上がる「嬉しさ」と新たな刺激を得た「喜び」が全面に滲み出ていた。
私が応えたことに喜んでくれたのも嬉しかったし、息子が世界に働きかけられたという手ごたえと、その感動を味わっている姿にしびれた。
これまで私は「まま」とか「まんま」とか「ぱぱ」とか「あー」とか「う!」とか、後はバシバシ叩かれたり引っ張られたりしがみつかれたり抱きつかれたりして、呼ばれていた。
息子は「ぶーぶー」や「わんわん」など、いくつかの単語を理解し話すが、まだ言語コミュニケーションは未熟。うにゃうにゃ何か長文で喋ってくれているのに、さっぱりわからず「……うん!……うん!」と相槌を打つことしかできないこともしばしば。
自我が育ってきたものの、うまく伝えられないので「んーーー!!」と怒り暴れてしまうこともあった。
息子ももどかしかったろうし、私も全力で推察するものの、どうしたら良いかわからなかった。
でも、あの時。
彼は、私を「おかーしゃん(おかあさん)」と呼び、それに私が応じた。
ちゃんと届き、伝わったのだ。
その感動と喜びが顔面にあふれていて、それはそれは、素晴らしい表情だった。
「伝わる」は「嬉しい」。
シンプルに、そうなのだ。
「あなた、」と呼んで返事がある。それは嬉しいことなのだ。
コミュニケーションの真理のようなもの
なんだかコミュニケーションの真理のようなものに触れた気がした。
普段、顧客対応を主な仕事としているし、販促品を作ることも多い。お客様とどうコミュニケーションを取るか、どうしたら商品の魅力が伝わるか、などをよく考えている。
家族間で日常を円滑にまわすためのやりとりにも頭をひねるし、こうやって頼まれてもいないのに文章を書き散らしてしまう性分だから、やはりコミュニケーションには関心があった。
コミュニケーションは難しい。
あらゆるテクニックを学んだりした。
一方でプライベートではあまり人と交流するのは好きじゃない。コミュニケーションはめんどくさい、そうも思っていた。
けれども息子の姿をみて気が変わった。
コミュニケーションの基本は、「あなた、」と問いかけて、「なぁに?」と応えがあることだ。
ややこしくない、シンプルなのだ。
そして、自分が世界にはたらきかけたことについて、反応があると嬉しいのだ。
伝わるのは、嬉しいのだ。
コミュニケーションは、楽しいのだ!
私はややこしく考えすぎていたのかもしれない。
投げかける言葉はそんなに難しくなくてもよくて、受け取るのも、「受け取ったよ!」と伝えるだけでいいのかもしれない。
もちろんビジネスシーンでは色々ある。
色々あるが、基本は「あなた、」「なぁに?」なのだ。
何より、伝わることは嬉しくて、やりとりすることは楽しいのだと、思い出せて良かった。
かといって私の内気な性格が急に変わったりはしないが、難しく考えすぎていた心がほぐれた気がした。
そう、あれは、息子が世界に言葉で働きかけることができた瞬間であったと同時に、私がずっとはたらきかけていたことが息子の中で芽吹いた瞬間でもあったのだ。
私も、ずっと「お母さんだよ」と語りかけていたから、貴方が「おかあさん」と呼んでくれて、とても、とても、嬉しい。
最高に嬉しかった。しあわせだった。
子育ては大変だけど、たまにこういう超弩級の喜びがあるからたまらない。
いきものって、面白いなぁ。
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