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初めての高熱と子を想う親の気持ち

いつもならすやすや昼寝をしている時間に、息子が寝苦しそうに寝ては起きるを繰り返していたので額に手を当ててみると、熱い。

脇に挟んだ体温計が40の数字を示したところで解熱剤を取りに冷蔵庫へ走った。
どこかで投げ捨てられた体温計の鳴る音がした。

◇◇◇

突発性発疹だった。

40℃近い高熱が3〜4日続いた後湿疹が出るもので、息子の場合は下痢も伴った模様。乳児がほぼ必ずかかる、最初の高熱は突発性発疹、と言われるものだ。

幸いもう熱は落ち着いている。

しかし、40℃の熱は動揺した……。

夫も「大丈夫かな、なんか奇病とかじゃない??」とハラハラしていたし、私も大げさかもしれないけれど、いつもの何倍も熱い息子の身体を抱きながら神に祈った。

一桁台の年齢の子は、まだ神さまの子で、ふいに向こう側へ連れて行かれることがある。そう、まだ独身の頃誰かに聞いた。
こんなにいい子だから連れて行きたくなるかもしれないけどダメです、少なくとも私が死ぬまでは許しません。
と、有事の時にしかお呼び立てしない、特定の名前も宗派もない私の神さまに都合よく祈ったりした。

数日後の朝、穏やかに寝息を立て、久しぶりの平熱であった時はほっとした。
憑き物が落ちたかのように私の体も軽くなった。

◇◇◇

息子を抱きながら祈るように背中をトントンしている間、不思議と私は、母と幼少期の自分のことを思い出していた。

それは私がたぶん4、5歳くらいの頃で、風邪をひいてだるい私の体を、母が台所の椅子に座りながらずっと抱きしめて背中をさすってくれた。

すごく気持ちがよくて、ほっとして、安心していったのだけれど、その状態で私は吐いてしまって、母の肩を汚してしまった。

いかにも女児用らしい裾がふりふりのパジャマを着替えさせてもらい、母も着替え、吐いてしまったところを片付けている中、私は、どうしようもないことだとわかっていたけれど、どうにも申し訳ない気持ちになって「ごめんなさい…」と呟いた。

母はびっくりした顔をしてから「いいのよいいのよ、あなたは何にも悪くないんだから!」といつもの笑顔でこたえ、分厚いゴツゴツとしたあたたかい手で、やさしく頭を撫でてくれた。

小さい頃のことなのに、我ながら、子どもでもあんな風に申し訳ない気持ちになるんだな、という点や母の優しさが身にしみたのか謎に身体に残っている記憶である。

◇◇◇

ひるがえって、自分が子どもの看病をする立場になってみると、両親には心配をかけたなぁと思う。

今では信じられないけど、小学校低学年くらいまでは華奢で割とよく熱を出す子どもだった。
(いつからか華奢とは無縁な体型になってしまった……)

耳鼻科と眼科に長くかかっていた記憶もある。

私は3人兄弟の3番目だから、もしかしたら両親にとっては慣れたものだったのかもしれない。
でも、優しい両親だからそれなりに心配はかけた気がする。

子どもを育てていると、時々自分と両親の在りし日に思いを馳せることがあって、不思議だ。

自分の親もこんな風に、私を育ててくれたのだろうか、とか、そういえばこんなことがあったなとか。
それは子どもが生まれるまで全く考えなかったことで、時間は進んでいるのに記憶は巻き戻っていくような、不思議な、不思議な感覚である。

ちなみに私は1番上の兄と10歳年が離れているので、兄は子どもが産まれた時、なんと私のことをよく思い出したらしい。

目の前の姪と、とうに成人した自分の赤ちゃん時代を並べて語る兄には閉口したが、今では少しその感覚もわかる。

突発性発疹は、まるで親を子の高熱に慣らす儀式のようだった。

※写真で息子の手を握っているのは母(祖母)です。働き者の手。

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