ひとり立ちせよと背中を押されているような昨今。あなたの表現で、Let it burn.

8年間続けてきたブログ(◆「BEATS AND LOVE」)もそうだが、スピリチュアルなテーマを中心に据えて文章を書くときの私は、とても「楽」だ。
それは明らかに私の内から湧いてくるものでありながら、まさに誰かからの「口述筆記」のように、心を澄ますことでサラサラと受け取ることができ、流れを遮るものも、色付けするものもなくアウトプットできる。
しばし時間を取って検討したり、工夫したりするのは「どう表現するか」、「文字化するか」という部分だけで、アイディアそのものは、クリスタル・クリアーに明確だ。

これを自分の根源との「共同作業」と捉えてもよい。
私ひとりで書いている感覚が薄いのだ。
個人の私よりも奥にいる私が語りかけている概念を、言語化している。

一方で、このnoteを始めたとき、違う扉を開くことがわかった。
元々私の中にあって、開通はしていたのに、放置していた扉だ。

スピリチュアリティーを見つめていく中で、そぎ落とし、そぎ落としして、残ったものが、また、「書くこと」であるとは。
私は驚きに目を見張る思いだった。
これまでずっと「書いてきたこと」では、終わらないということか。

万人に共通する純粋な概念を言葉にすることは、安らぎである。
そのエッセンスを、自分を通して表現できることは、楽しい。
天使たちや心強い仲間にサポートされている実感を伴い、その安定感から、私は余分な力を入れる必要がないのだ。

一方で、私の個別のというか――固有の、個人としてのヴァイブレーションをあえて前面に出して書くことには疑問を持った。
そこを色濃く発現させることに、今更、どんなメリットが?
おおよそ、全体性や非個人性の認識の中に安住していたのに、
「さぁ、よい頃合になってきました! 個性フルスロットル、いってみよー!」
と、背中をドン!と押されたようなものである。

ま、待って?
え、みんな今度は、背後で見守ってる感じなの?
「さぁ、今だよ、自分の好きな絵を描いてみてごらん」って?
うーん、「無色透明」な感じ、気持ちよかったのになー。
あえてここで、この人間(私)の個のカラー、出すってか。

そういう展開だったかー! と、サプライズに喜ぶ気持ちもありながらも、私は、思い巡らす。
そっかぁ、やっぱり「与えられたこの個(パーソナリティー)」って、徹底的に使いこなすことになるわけね。
地上にいながら半分霊みたいな感じで、やり過ごしていきたかったけど……(笑)、「地球に参加してる霊」である以上、もらった配役を燃やし尽くすくらいの覚悟で、自分の持ち味を百パーセント発揮するのが必須なのかと。

(ここで、Usherの「Burn」という歌の中にある「Let it burn♪」のフレーズが心に流れる。別れの歌だよ。↓)
★Burn - Usher

この曲が入っているアルバムは「Confessions」。
Usherよりも、プロデューサーのBryan Michael Cox と Jermain Dupri が私は大好きだった。

どんな人の人生でも、それまでなじんできたものを手放さなければならないときが来るよね。
全力投球してきたからこそ、手放すのが難しく思えるときがある。
とても「愛」を持っていたからこそ、躊躇して、進むのをやめたくなることもある。
でも、自分が変わっていくときに、すべてをそのままに保ちたいとしがみついていたら、新しい景色に出会えなくなってしまう。

Let it burn. 
この言葉は、古いものを手放す(燃やす)という意味でも、
「限られた人生の中で与えられた『私』である個性を燃やし尽くす」という意味でも、しっくりくる。

人間の「見えないサポーター」たちは、ほほえみながら、過去を燃やす。
一瞬一瞬の新しさを、祝福しながら。

訓練に付き添った後に、そら! 今度はひとりで乗ってごらん、と補助輪を外す大人のように、私たち個人個人がどんな創造を繰り広げるか、見守っているんだよね。

☆後日、個人個人の創造についてより深く語った記事はこちら☆
「非個人性を中心に個人の私を使っていくこと(目覚めたその先に)」


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