心の奥の静かな声に耳を傾ける

物事が、見かけ通りのそのものだったら、どんなにか単純だろう。
しかしこの世界は、そうではない。
私たちの「心」が隠れて、一見、わかりづらくなっている。
一見、と書くのは、心を本当に隠すことはできないからだ。完全に見えないものにすることはできないからだ。けれども、それを忘れて、表層に現れている形だけに注意を払い、真実がそこにあると考えるなら、何もかもを錯覚のもとに見つめることになる。

言葉が言葉だけで独立してしまうとき

たとえば、私たちは言葉を使って伝達する。コミュニケーションをとる。
言葉というのは、あなたの内にある考えや、心を表現する手段だ。
もし、あなたの内と整合した、調和した言葉を選ぶなら、あなたの心のエネルギーと、言葉という「物質世界にて表現された」エネルギーは一致する。
見えない次元から見える次元へ、あなたという表現のどの段階においても、ずれや不調和、対立が起きることはない。

ところが、あなたが「心にもない」言葉を選ぶとしたら、どうだろう。
本当は思っていないこと。言いたいこととは違うこと。嘘。
たとえ作為的に、意図的に偽ろうとは思っていなくとも、日常においてそうしていることに気づくことはないだろうか。

本当の自分を知る

ここで重要なのは、あなたが自分の心をどれだけ理解しているかである。
人は巧みに、自分の一部を見ないようにし、見ないようにしているそれを、他者に属したものにする。外部のせいにするのだ。そんなことを習慣にしていると、ますます自分のことがわからなくなる。本来の自分とはかけ離れた「誰か別のキャラ」としての自分を演じざるをえなくなる。

ここから先は

2,420字

¥ 1,000

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?