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スピードから逃れる。

 スピード感がなければ、この先、生きていけないという内容の話をよく耳にする。

 実際そうなのだろうとは思う。
 意見を求められれば数秒も待たずに即答できなければならないのだろうし、依頼されたものがあれば、迅速に的確に成果なり結果なりを出していかなければならないのだろう。
 常に情報へのアンテナを張り、時代の動きを先読みし、できる限り早く兆しを感じ、動き出さなければならないのだろう。

 けれど、そういう感覚にとても疲れてしまっている私がいる。
 早く、速く動かなければならないと促す空気感そのものに息ができなくなりそうになっている。
 
 ゆっくり、自分のペースで生きることは、そんなに悪いことなのだろうか。
 意見を求められて、答えるまでの間を持つことは、そんなに悪いことなのだろうか。

 仕事をしていく上では、スピードは必要だ。スピードがあって、的確であること。精度が高いこと。
 これらは必須事項だと、常に言われてきたから、知っているつもりだけれど。
 それでも、スピードに支配されずに、自分の息のしやすいペースで、スピードで生きていきたいと思ってしまう。
 人にも自分にも。息のしやすい間を許しながら生きていきたいと思ってしまう。

 そんなことを考える私はすでに時代の脱落者なのだろう。
 でも、それでもいいやという気もしてきた。
 時代に取り残されてしまってもいい。
 周囲のスピードに支配されて、自分自身の息の仕方すら忘れて疲れ切ってしまうくらいなら。
 私が嫌だと感じるスピードを、ノイズを、全部。切り捨てていきたい。

 スピード感が何だ。
 私は、私の心地よいペースで、スピード感で生きてやるんだ。

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