見出し画像

【介護から社会を変える私の挑戦】~誰もが活躍できる仕組みを~

みなさんこんにちは。
Happy Care Life株式会社代表の中林です。
今回の記事は、私がやっている介護事業について。

これまでは分校Cafe haruhiの記事を多く書いてきましたが、どちらかというとこちらがメインの事業になります。

なぜ私が介護事業所(デイサービス)を立ち上げたのか?
介護事業を通して何を実現したいのか?
そこが少しでも伝わればいいなと思っております。

1.デイサービス宅老所 芽吹き 開所

佐賀県嬉野市、吉田地区という温泉街から10分ほど離れた自然豊かな場所で、今から約5年前の平成26年6月1日、”デイサービス宅老所 芽吹き”(以下、芽吹き)はスタートしました。
開所した当時は、デイサービスの定員15名にスタッフは約10名と今思えば本当にこじんまりとしたスタート。
何もわからないまま事業計画書を作成し、銀行に交渉に行き、土地を探し、あれよあれよと建物が出来上がり、気づけば棟上げだ。という感じだったのを今でも思い出します。
(もちろんこの期間苦労の連続でしたが、それはまたの機会に(笑))

棟上げでは地域の方々にチラシを配り、餅投げの開催。
この時から地域にいかにして受け入れていただけるか?地域に根差した事業所とは何か?を常に考えていました。
というのも、そうでなければこれからの介護事業所は生き残っていけないと強く感じていたからです。

2.立ち上げた経緯

立ち上げ当時、私は26歳。
特に福祉系の学校を卒業したわけでもなく、介護の実務経験も多くはありませんでした。ではなぜそんな私が芽吹きを立ち上げると決めたのか?
それにはいくつかの理由がありますが、その中の大きな3つが・・・

 2-1.働きながら感じた違和感 
 2-2.イベントを通じて見えた可能性 
 2-3.介護保険の現状(その当時)

2-1.働きながら感じた違和感

私が介護の世界に飛び込んだのは21歳の頃でした。
先ほども述べた通り福祉系の学校に行ったわけではなく、高校卒業してからドックトレーナーを目指し福岡の専門学校へ入学。その後すぐ福岡市内の犬の訓練所に弟子入りしました。
しかし、いろんなことがありその道を断念。ドックトレーナーになるという当時の”夢”を失いうろうろしていた時に、やることないなら手伝いに来ないか?と誘われたのが介護の仕事(デイサービス)だったのです。
そんな経緯だったため、もちろん介護ということ自体が全くのド素人。何をやるのかさえ分からない状況からのスタートでした。

そうやって働き始めた私ですが、いざ働いてみると本当に楽しくて、正直【じいちゃん、ばあちゃんと話したり、トイレやお風呂の手伝いするだけなのにお金を貰える。介護はなんて楽な仕事だろう】そんなことを本気で思っていました。

最初は楽しいばかりの介護。でしたが、そこは私もプロとしてもっともっと成長しなければならないという想いもありました。そこで、経験がない私だからこそ出来る介護って何だろう?そんなことを考え始めます。
そして出した答えは・・・

『本当の孫だと思ってもらえるようにすること』『本当の祖父、祖母だと思い接すること』

という答えで、今思えばこの問いと答えが全てのスタートでした。

経験もなく、当時は純粋?だった私は、本当の祖父、祖母だと思い接することを始めます。
すると、これまで見えていた景色が大きく変わってくるのです。

例えば、それまで当たり前に行われていた日々の流れに対して、こんなことして楽しいのだろうか?と思うようになりました。
例えば、それまで当たり前に外部との接触がとても限られている現状に、この状況はおかしいのではないだろうか?と思うようになりました。

とは言え、何をすればいいのかもわからずに悶々とする日々が続きます・・・

2-2.イベントを通じて見えた可能性

介護を始めると同時にもう一つやり始めたことがあります。それが、地域活性化を目的とした【Call back~心の積み木~】というイベントです。

福岡より地元の嬉野に戻って間もないある日、嬉野で祭りが開催されていることを知り遊びに出かけた私は愕然としました。
というのも、私が幼いころの嬉野の祭りの想い出と言えば、商店街が人に埋め尽くされ大変盛り上がっているイメージだったのですが、その時行った祭りはとても閑散としており、本当に祭りが開催されているのか?とさえ思う惨状だったのです。

なぜかその状況を見た私は、自分に何かできる事はないか?と考えるようになりました。そこで生まれたのが先ほどの【Call back~心の積み木~】 でした。

嬉野は、”日本三大美肌の湯”の泉質を誇る温泉が有名な観光地です。
しかし、私にとっての嬉野の魅力は温泉もさることながら、温泉街から少し車を走らせるだけで触れることが出来る自然豊かな山間地でした。
そのことを近隣の若い方々に知ってほしい。そして、その自然に触れることで嬉野を好きになっていもらいたい。その結果、嬉野に人を呼び戻すことが出来れば。そんな想いを込めたイベントです。

具体的に何をやったかというと、農業体験。そして、収穫した野菜を使ったBBQ。最後に嬉野温泉にゆっくり浸かってもらうという、所謂日帰りのバスツアー。

Call back~心の積み木~を年に3回ほど、それを皮切りに、それ以外にも、様々なイベントを”介護事業所で働きながら”やっていました。
そして、イベントをやるようになって気づいた事がありました。
それは・・・

人との関りによって幸せは生まれる。

ということです。
それに気づいた介護事業所で働いている私。
本当の祖父、祖母がたくさんいるその場所に、どれだけ外部の人との関り(幸せ)を提供できているか?を考えたとき、全くできていないということに気づかされました。

私がやっている介護。私がやっているイベント。それらを融合させたらきっとみんなが楽しくて幸せな空間が作れる。

なんの経験も知識もなく介護を始めた私に初めて見えた、小さいようで、とても大きな「可能性」でした。

2-3. 介護保険の現状(その当時)

私が介護事業所で働きながらイベントをやっていたのが約10年前。
今でこそとても良い方向に進んではいるのですが、その当時の介護保険の現状は決していいものではありませんでした。
(当然個人的主観が入っておりますので悪しからず。)

みなさん、介護保険制度を利用した場合の支払いについて詳しくご存じですか?

介護度や事業所の規模等で変動があるため、ざっくりとした説明で申し訳ないのですが、例えばデイサービスを一回利用した場合、600円~1,000の自己負担が発生します。
自己負担の割合は、多くの方が1割。そう、残りの9割が公費と保険料で賄われています。

この仕組みによって、介護保険制度がスタートして年を追うごとに浮き彫りになってきた問題があります。

保険料を納めてきたという自負と、一割負担するだけで様々なサービスを受けることが出来る。と言う状況のため、必要以上にサービスを使う人が出てしまったという問題。
以上のことから、国が想定していた以上に護給付費の費用が膨らんでしまい、このままでは介護保険制度自体の継続が危ぶまれるため、継続をしていくために大幅に給付費の削減をしなければならなくなってしまったという問題。
経営している法人に入ってくる給付費(自己負担、公費、保険料)は一律なため、どんなに質が良くても悪くても収入は変わらない。
逆に質を上げようとすればするほど経費が掛かるので、何もせずに利用者に座ってもらっているだけの方がましだという判断に陥りやすいという問題。

働けば働くほど、これらの問題の深刻さを知りました。そして、知れば知るほど、介護業界で働いていく怖さを感じることになります。
しかし、当時の私が一番恐怖に感じたのは、その時働いていた事業所の代表や、介護に長年携わっている経験者にこれらの不安を話しても、まったくと言っていい程理解してもらえず、それだけではなく変わり者扱いされてしまった。という事実でした。

介護保険制度の問題点を知り、それを解決する手段も自分なりに見えてきた。それなのに、周りの上司は理解してくれない。それならば、自らが理想とする介護を。自らが理想とする事業所を作るしかない。

そう、これこそが私が【デイサービス宅老所 芽吹き】を立ち上げるに至った経緯です。

3.立ち上げから5年

平成26年に立ち上げて約5年間いろんなことをやってきました。
とにかく立ち上げ当初は本当に大変で何日も寝る暇さえなく働き続けたのはいい思い出。

介護に携わり始めたときに決心した『本当の祖父、祖母だと思い接すること』は未だに継続していて(もう孫と言っていただく年齢でもなくなってきましたが・・・)出来る限り”暮らし”を大切にしてほしいとの想いから、掃除、皿洗い、料理等、それぞれがそれぞれにできることをできる範囲でやってもらったりもしています。また、ほぼ毎月開催しているイベントは、大きいものから小さいものまでありますが、できる限り地域を巻き込むために何ができるか?を考えて計画したり。

とにかく3年間は、そういった地盤固めに必死でした。そして、2年ほど前よりようやく”本当にやりたかったこと”に着手できるようになってきたのです。

4.味噌プロジェクトスタート

平成28年3月デイサービス宅老所 芽吹きとして”味噌製造業”を取得しました。どういうことかと言うと、保健所に書類を提出し、調査に来ていただき、正式に味噌の製造と販売をできるような許可を取ったのです。

そう。芽吹きを利用するおじいちゃんおばあちゃんと一緒に味噌づくりをスタートしました。

なぜ味噌なのか?そこにはちゃんと理由があります。

嬉野市は人口3万人の小さな市で、さらに芽吹きがある地域は農家の方が多く、高齢者のほとんどが若いころ自宅で味噌や醤油を手作りしていたという経験をお持ちで、それが当たり前のこと。
かたや今の時代、味噌を手に入れるとなると、スーパーやコンビニなどで購入される方がほとんどで、それが当たり前のこと。

私はこの、世代間で”当たり前に違いがある”ということは、イコール”価値があること”ではないか?と思ったのです。

簡単に言うと、今の若い人からすると手作り味噌は珍しい。ましてや、味噌づくり体験となるとなお珍しい。
高齢者からすると、味噌は若いころ作っていたから今でも普通に作れる。
それを珍しがって一緒に作ってくれる若者がいることがうれしい。
といった感じです。

5.味噌プロジェクトの中身

味噌プロジェクトには大きく分けて4つのレイヤーに分けることが出来まが、それぞれにそれぞれの目的があります。

 5-1.味噌製造
 5-2.味噌づくり体験会
 5-3.味噌販売
 5-4.みそしる会

5-1.味噌製造

味噌製造業を取得して、いざ味噌を作ろうとしても、当然私も含めスタッフは素人。頼りになるのは若かりし頃に味噌を作っていた芽吹きのおじいちゃん、おばあちゃんたち。
「もう味噌の作り方なんて忘れた!!」と言われる方もいざ作り始めるといろんなことを思い出されます。
「昆布を入れた方がいい」「大豆は臼と杵でつぶした方が早い」「最後は砂糖でまんべんなく蓋をした方がいい」等々。
そうやって色んな意見をいただきながら最初の一年は試行錯誤しました。

そして、忘れてはならない味噌製造での一番の効果は、普段体を動かすために体操をしましょうとお声かけしても断固拒否される方が、味噌製造となるとこれでもかというほど体を動かされるという部分です。

むかしのやり方を思い出し、ああでもないこうでもないと楽しく話をしながら、普段は動かさない程体全体を動かす。これらは皆さんが若いころやられていた作業だからこそなしえる効果だと思っています。

ちなみに、スタートした当初は月に一回味噌製造の日としていましたが、今現在月に三回行っています。

5-2.味噌づくり体験会

味噌製造を始めて約1年。そろそろ外部も巻き込んでやっていこう。そうやって始めたのが「味噌づくり体験会」でした。
文字通り、味噌製造を一緒にやりたい人を Facebookで募集して、味噌づくりの体験をしていただくというものですが、ここで大事なのは体験料(3,000円)もいただいているというところ。やるからにはしっかりとお金をもらう。それこそが、価値を形にすることだと思っています。

これまで、味噌づくりに興味がある方や、子連れのお母さん、また最近では、味噌づくりをうちでもやりたいという、介護施設スタッフの方々にも参加していただきました。

毎回芽吹きのおじいちゃん、おばあちゃんに講師としての役割を発揮してもらっています。

第一回目の味噌づくり体験会の様子はこちら (外部リンクYouTube)

5-3.味噌販売

完成した味噌は販売を行います。とはいえ、月に三回の製造。さらに発酵に一年間かかるため、数がたくさんあるわけではありません。
理想はどこかのお店に行けばいつでも買えるというところかもしれませんが、そうはいかない。しかし、そこを悔やんでいても何も始まらないので、それを逆手に取ってしまおうということで、デイサービス宅老所 芽吹きとして、様々なイベントに出店することにしました。
売り子はもちろん、おじいちゃんおばあちゃん。

結果的にこれが功をなし、販売をしているおばあちゃんの表情やしぐさ、それは私たちが普段事業所で見ているものと大きく違い、まさに生き生きとされていて、こんなにも元気になるものなんだなと私たちが学ばせていただきました。

毎回20個から30個の味噌を販売しているのですが、これまでどのイベントでも1時間から3時間ほどで完売しています。

味噌販売の様子はこちら(外部リンクYouTube)

5-4.みそしる会

味噌プロジェクトをやっているにことで一番聞かれる質問が「味噌を販売した売り上げはどのようにしているのですか?」というもの。
今現在、味噌の売り上げを使い【みそしる会】というものを月に一回開催しています。

みそしる会とは、芽吹きがある嬉野市の吉田地区、さらにそのまた小さい集落に住む高齢者の方々をお呼びし、一緒に体操を行った後に、食事を行うというもので、所謂高齢者の居場所づくりです。
(もちろん食事には芽吹きで製造した味噌を使ったみそ汁も出しています)

味噌を作ったおじいちゃんおばあちゃんにではなく、売り上げを地域に還元する。その理由もちゃんとあります。

6.味噌プロジェクトを通して成し遂げたいこと

さて、ここまでいろんなことを書かせていただきました。
長すぎて、ここまで辿り着いていただける方がどれだけいるのだろうと不安も募りますが、ようやくタイトルである【介護から社会を変える私の挑戦】~誰もが活躍できる仕組みを~の神髄です。
どうか最後までお付き合いください。

 6-1.就労による生きがいの創出
 6-2.介護と観光の融合
 6-3.固定観念を変える

6-1.就労支援による生きがいの創出

介護に携わったことがある人なら一度は聞いたことがあるかもしれない言葉。『歳を取って何もできなくなったから、早く死にたい。』私は何度もその言葉を聞き、その度にそうじゃないと思いながらも、それと同時にそんな言葉を言わせてしまった自分自身に腹が立っていました。
だからこそ、味噌プロジェクトを通して伝えたいのです。

歳を取ったから何もできないではなく、歳を取ったからこそできることがあるのだと言うことを。

味噌づくりのように、その方々の知恵や経験を形にすることで、それがその方々の誇りになり生きがいになる。それをサポートするのが本来の介護士であってほしい。そう思っています。

6-2.介護と観光の融合

嬉野市という観光地でデイサービスを立ち上げた。これには何かしらの意味があると思っています。
デイサービスをやるだけでももちろんいいのですが、やはりやるからにはその土地に還元していきたい。では、芽吹きとしてできる事はなんなのか?それは、味噌づくり体験会等を通して、観光のコンテンツの一つになるということ。
嬉野に家族で泊まりに来た宿泊客が、観光としてデイサービス宅老所 芽吹きに訪れる。そして、お互いに交流をしながら味噌を作ることが出来たら、それはきっと双方にとっていい体験になると感じています。

それこそが介護と観光の融合

今後は、旅館や行政と一緒に連携することで、嬉野がより良い街になるように楽しみながらやっていきたいと思っています。

6-3.固定観念を変える

普段自宅で一人暮らしをされている方だったとしても、一度デイサービスを利用するようになると、なぜかその人は本来まだまだやれることがあるにも関わらず”支えられるだけの人”になってしまいます。
味噌の売り上げを地域の高齢者の居場所づくりに使わせていただいているのは、その固定観念を少しでも変えたいから。

今後介護保険制度は益々厳しくなっていき、これまで当たり前に介護サービスを利用していた方も利用できなくなってくる可能性があります。
そんな中、何が重要か?というと、安心して通うことが出来る地域の居場所であり、そこで少しでも健康寿命を延ばし、元気に長生きする事です。

今すぐではないにしろ、そんな未来が訪れたとき地域の居場所を支えているのが、これまで支えられるだけだと思っていたデイサービスに通うおじいちゃんおばあちゃんだった。ということを知ると、まだまだやれることがあると多くの人が気づいてくれるのではと思っています。

7.終わりに・・・

デイサービス宅老所 芽吹きを立ち上げるに至った経緯からこれまでをこうやって記事にして振り返ると、やるべきこと、やれることは山ほどだなと感じると同時に、あの時思い描いた理想に、ほんの少しだけれど近づくことが出来ているなと感じています。

とはいえ、まだまだ道半ば。
これから先のデイサービス宅老所 芽吹きにご期待ください。

↓デイサービス宅老所 芽吹きの日常↓
Facebook
Instagram

↓代表 中林正太のつぶやき↓
Twitter

長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?