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老いも若きも生きやすく

何度も書いているが、私の勤務先の顧客はほぼ高齢者。毎日接していると、自分の世界にはない様々なことを考えるきっかけを与えられる。

先日、82才のSさんからこんなお話を伺った。

「今日は自分が年寄りだということを、イヤというほど味わったわ…。」と、なんだか浮かぬ顔。

というか、当たり前じゃん!だって82才だよ?年寄りじゃないという方がムリがあるってもんでしょ。でも、本人にとってはかなりショックだったようで…。


その日、Sさんはいつも行くかかりつけではない、初めての病院を訪れた。初診ということもあり、問診票を渡された。

Sさんは沢山の質問事項を読み、自分の状態を記入していった。すると目の前のドクターにこんなことを言われたそうだ。

「Sさん、偉いねぇ~~。自分で読めるんだ。あら、ちゃんと書けるんだ。すごいねぇ~~。エライエライ❗」

これにSさんはムッとしたらしい。なんだかとても上から目線でバカにしたように、まるで幼稚園の子供を誉めるような口調で言われたことに。

ドクターにしてみれば、普段沢山のお年寄りを相手にしていて、耳が遠かったり、少し認知が入っていたり、手に力が入らなくて字が上手く書けなかったりするお年寄りに対して、優しく思いやりのある、親しげな言い回しを心掛けているに違いない。「年寄り=劣っている人間」という思い込みというか、定義付けの上の言動がいつものように出てしまったのだろう。

Sさんはその口調にとても違和感を覚えたという。そして、「あぁ、自分はもう周りから見るといろんな事が出来ない、劣っている人間に見えているということなんだな…。」と、非常に寂しく、情けなく、そして年寄りだということをイヤというほど自覚したらしい。

確かに、ゆっくりと大きな声で話さないと聞き取りにくかったり、話が理解できなかったりというのはお年寄りにはよくあることだ。だから私たちはついついそういう口調で話しかけたりしてしまう。でも、それは個人差があることで、Sさんのように耳はしっかり聞こえるし、私たちと同等にあるいはそれ以上にウィットにとんだ話ができて、会話のキャッチボールがスムーズなお年寄りは沢山いるはずだ。それなのに、「82才はじゅうぶんお年寄り」という先入観で、はなっからまるで子供をあやすような口調で話しかけたりするのは、当人にとったら屈辱以外の何物でもないのかもしれないのだ。

私はその話を聞いて、ハッとした。私自身がいつもお客様に対して、その見た目だけで判断して、話し方や声の大きさや話す内容や話すスピードを自動調整してしまっていることに。

確かに、Sさんはじめ私の母(82才)も、今のところ昔と変わらず衰え知らずで、こちらよりも早口だし頭の回転はめちゃくちゃ早いし、その年齢を一切気にすることなく話していることを思うと、「お年寄り=劣っている人間」という思い込みや先入観はその人の尊厳にも関わる重大なことなのかもしれないな、と思いを新たにした。

特に、初対面の場合は気を付けようと思う。声の大きさもトーンも速さも、普通に話しかけて何の不都合もない場合はそのままに、少し会話のスピードを落としたり大きめの声で話した方がいい時はそのように気を遣わなければと思った。


いずれは皆、年を取り老いてゆくのは必然だ。自分が80才になったときのことを想像するのはなかなか難しいことだけれど、身近にいるお年寄りの人達に接する機会がある場合、どうすれば皆が気持ちよくいられるかを当たり前に考えて、心と頭を柔軟にして対応していければ、きっと気持ちよく生きやすい関係性が生まれるのではないかな、と思う。

日々勉強。大人としての授業はこれからも続く。



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