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喪主の挨拶

先日、父が亡くなった。
一昨年の12月に母が亡くなって以来着ていなかった喪服を引っ張り出してきた。

喪服の胸ポケットになにか入っている。「なんだ?」と思って取り出してみると、その年(2017年)後半の「ほぼ日手帳」だった。

パラパラめくると、ほぼ何も書いていなかったのだけれど、メモのページに母の葬儀で喪主としてした挨拶の原稿が書かれていた。

ここに残しておこうと思う。

※母の意向で無宗教の家族葬(お別れ会)という形だった。

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何もしていない頼りない喪主ですが、一言ご挨拶させていただきます。
本日はご会葬、誠にありがとうございました。おかげさまでお別れ会も済み、このあと出棺の運びとなります。
ほぼみんな身内なので、すでに知っている話だと思いますが、息子の僕から見た母のことを少し話したいと思います。
7年前、2010年、そこに居る父が脳梗塞で倒れて、一命をとりとめました。それからは右半身の麻痺と失語症と闘う父を、母が自宅で介護していました。こうした状況を文字づらだけで聞くと、悲壮感が漂う印象だと思うのですが、実際は少なくとも僕の目からは、全然異なる印象でした。父も母もいつ訪れても朗らかで、明るくて、会話も多くて、笑っていました。倒れる前よりも、ずっと、です。

その様子を見るたびに「ああ、父が一命をとりとめたことや、その後のこのちょっとまぶしいような時間は、母がまっとうに生きてきたことへのごほうびなのだ」と思っていました。母は、少しエキセントリックなところがあって、そのせいでこのような一風変わった「お別れ会」になったりもしていますが、真っすぐで、真正直で、まっとうでした。新しいことやおもしろいことや賑やかなことが好きで、辛気臭いことや不誠実なことが嫌いでした。

長女ともよく話しますが、ここにいる全員を束ねる扇の要のような存在でした。要はいなくなってしまいましたが、残された僕らは疎遠になったりせず、ちゃんと毎年会って、集まって、話して、笑いましょう。多分それが母の願いだと思います。本日は、誠にありがとうございました。
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そんなそんな。