見出し画像

魔法じじい(3)

魔法には呪文がつきもの

呪文に重要なのは状況

多くの場合は言葉になるが、絵であったり写真であったりすることもある。こちらの顔の表情が影響することもある。人と人は回路がつながっているわけではない。音波や光を通してゆるい、細い影響を与えるだけだ。そのゆるい、ほそいつながりで暗示をかえる。これが呪文だ。

仲間でない人同士は呪文にかからないように、相手の話をうのみにしないように身構えて話をする。だから話は疲れるし楽しくない。仲間内の場合、呪文にかからないぞという壁をつくらないので、気楽に話せる。だから楽しい。

しかし、仲間内と見せて、安心させて呪文を掛ける輩(やから)も多い。

不倫で傷ついた女性から相談を受ける。めったにないことだが、じじい的には心待ちにしていた、いわゆる不謹慎な喜びを感じる場面だ。

相手はじじいなんかに相談しにきているので、相当心は弱っている。弱ってはいても、実はじじいに飯をおごってもらって元気を回復しよと思っているくらいかもしれない。世の中に純粋な人はそんなにいるものではない。

「お前、そんな男に引っかかって、幸せになれるはずないだろう」
弱っているやつに、説教をするのは愚か。じじいがそんな愚かなことするはずがない。

「仕事は休んでもいと思うよ。体が一番だから」
表面的にやさしい言葉は何の結果も導かない。つまり。呪文ではない。

呪文

「お前、その男を地獄に落としてやりたいか」
呪文はのろいでないと迫力がない。

じじいとしてもむやみに魔法をかけるわけにはいかないので裏は取っておかないと。裏取りの第一歩は当事者の覚悟。魔法にはしっぺがえしがつきものだ。それでもやりたいかを確認しておこう。

魔法をかけたい人間たちは、警戒心が強いから、怪情報には簡単には乗ってこない。怪情報でないように、いつもの話のように流していかなくてはならない。人は、自分だけが知らないとなると乗り遅れまいとして考えを変える。多くの人は大きな船に乗っていたいのだ。呪文はまたの名を怪しくない怪情報という。

自分の目で確かめたことでないと信じない人もいる。実にまっとうな人だ。人に騙(だま)されてひどい目に合わされないためにはそうあるべきだ。噂に流されないこういう人は、魔法じじいからするとやっかいな奴だ。こういうやつは放っておく。しょせん魔法なので完璧はない。関係している何人かに錯覚させられれば上等だ。

登場人物を整理してみよう。

・魔法じじい・・・自分
・助けたい人
・地獄に落としたい奴
・魔法をかけるそこらにいる連中
・噂話を信じない立派な人・・・相手にしない

魔法をかけるのは魔法にかかりやすい連中だけ。

呪文の典型的な処方は、あたかも、地獄に落としたい奴の味方のように噂を振りまくことだ。

「部長は、若い女性にすごく持てますね。奥さんは専務の親戚で金もコネもある。しかももてる。うらやましい。俺なら手をだしちゃう」
このくらいでいい。あとは、聞いた連中が適当に話を作ってくれる。

「部長は、仕事ができますね。業者がみんな部長詣ですよ。俺なら、接待とか受けちゃうな。バックマージンも」
このくらいの話を聞くと、話を面白くするために、「部長は相当接待を受けてるらしいですよ」、「部長は業者とよろしくやってるらしい」と話が3倍増し、4倍増しになっていく。

事実はなってないようなもの。事実は作られるもの。ただし、あまり派手にやってはいけない。目立つとやり返される。

じじいの人生はこの魔法の修行のためにあったといってもいい。年を取るとはそういうことだ。

読んでいただけると嬉しいです。日本が元気になる記事を書いていきます。