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掃除おじさん

 私が住む町は、70年前に造成が企画され、地下鉄が開通したのが30年前。そのころからマンションが立ち並ぶようになった。いわゆるニュータウンだ。人が歩く道と車が通る道が別に作られていて、ある意味も旦那都市づくりがされている。
 そんな街の、週末クリーンナップ作戦は、30年の歴史がある。当初は空きビンやたばこの吸い殻目立っていたという。今は、住民のマナーが上がり、そうしたものはぐっと少なくなった。
 サッカーのワールドカップの試合後のサポーターのスタジアム清掃活動が話題になるお国柄。総じて、気ままに投げ捨てられるごみは少ない。
 今、問題になっているのは、枯葉と、枯れ木だ。造成当初から70年経ち、当時植えられた木々は大木となり、大量の枯葉をまき散らす。朽ちてくるもの多くなった。清掃の対象のほとんどは枯葉だ。そして、木々を伐採しなくてはならない。
 造成当時のような予算はないので、伐採された木々は、植え替えられることなく、1本、2本、となくなっていく。
 造成を計画した時、子供連れの家族が楽しみながら休日の朝、清掃活動に参加してくれる絵を思い描いていただろう。現実は違う。人口が減少し、予算もなくなり、清掃活動の大半を後期高齢者が行っている。こんな光景は誰も想像しなかったろう。それが、現実だ。
 私は、『Perfect Days』に影響されて、掃除をするようになった。
※Perfect Days:ヴィム・ベンダースという著名監督が役所広司主演で東京のトイレ掃除を題材に、日本の映画監督小津安二郎へのオマージュを込めた映画。70年代、60年代に人気を博した挿入歌も話題。
 今日は、木枯らしが吹き荒れ、行きかう人が少なかった。そんな日の掃除は快適だ。じろじろ見られることがなく、掃除に集中できる。1時間拾い歩いても、袋2つ分くらいのゴミだ。
 数で言えば、たばこの吸い殻が圧倒的に多い。ベンチがあるところには必ず吸い殻がごっそり落ちている。次に多いのは、コンビニのレシート。同じくコンビニで買ったパンやスナック類のビニール包装袋。コロナが終わり、マスクは少なくなったようだ。
 拾うたびに腰をかがめるので、ごみ拾いの次の日には腰に張りが出る。生きていることを実感できる。私は、まだ、痛みを感じることができる。ごみ拾いは、生きていることを確かめることなのかもしれない。体の痛みと地球を汚している心の痛み。

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