私はジャニーズが嫌いだった――嵐とイデア

肉体を持った精神

私は「身だしなみ」というものが、よくわからないまま生きている。結局何を着ても、自分は自分だからだ。もしもその服によって自分が定義されるなら、「自分」というものは「服」である。もしもその髭によって自分が嫌われるなら、他者にとっての自分は「髭」である。自分を自分として見ないなら、そんなものと関わる必要はない。
そうやって生きてきた。今もそれで、かろうじて生きている。

肉体とは与えられたものである。「自分」に付随する、目に見える存在である。肉体は、選べないものであり、持たされるものであり、逃げられないものである。
どんなに服が似合わなくとも、服を着なければ裸で、どんなに髭が嫌でも、生えてくるのは止められない。衰える視力と聴力、靴がすり減ったときの足裏にかかる衝撃、キーボードに爪が引っかかったときの嫌な感触、どれも生きる上で耐えなければいけない苦痛だ。

しかし、肉体とは作られたものである。
それらは、遺伝的に生まれついた傾向、性別という属性によって先天的に与えられた属性と、同じく性別というラベルによって後天的に育まれた慣習と、はじめはランダムに・徐々に選好によって選択された経験、そして意志と好き嫌いによって強化された記憶によって形成される。そして、髭は剃ることができるし、爪は切ることができる。少なくとも、そのような社会的合意が存在する社会を私は生きている。
ゆえに、苦痛は伴うが、肉体は変えることができる。

精神を持ったチー牛

百科事典、新聞、古本のアニメムック、ゲームの攻略本、テレビ、それに父の買ってきたパソコン雑誌と、活字と情報の中に生きるのが好きだった。アニメキャラの物語を想像しながら小学校に通っていた。夕食のテーブルの下に本を持ち込むのはしょっちゅうだった。
小学校の高学年くらいになると、そこに小説が入り込んできた。映画「スター・ウォーズ」の特別篇が放映された頃で、ノベライズの小説を買った。そこから、当時は日本語版でも盛んだったスピンオフものにのめりこみ、想像の世界はA long time ago in a galaxy far, far away.…へと広がっていった。
確かあの頃は、まだ電撃文庫が出始めの頃で、スターウォーズの「Xウィング・ノベルズ」を邦訳して出していた。今はもうすっかりラノベの王者になっちゃったけど(……ここも記憶で書いてるから、違ったら教えてください)、当時はいろいろやっていた。竹書房系のスターウォーズだとスローン三部作、「クリスタル・スター」、「新反乱軍」あたりはよく覚えている。図書館で借りたり新刊を購入したりとルートは様々で、札幌に行かないと購入できなかった本が多かったのはよく覚えている。
一方で運動はからっきしダメだった。小学校のことをほとんど覚えていないのは、まあそういうことだろう。かろうじて覚えているのは、徒競走が苦手で、母にいい靴を買ってもらい、練習してビリではなくなったこと。あと、一応自転車には乗れた。
今では、このあたりの状況を説明するわかりやすい言葉がある。チー牛というやつだ。まあ地元に牛丼店はなかったが。10年前くらいにすき家ができて、最近吉野家ができるらしいぞ。

両親とも趣味で音楽をやっていたこともあり、家にはたくさん音楽があった。意識せずともそれで影響を受けたはずだし、自分が育った90年代はCDの最盛期。当然のように音楽番組が好きだった。
中学生時代、函館にいた祖父の葬式に車で向かったとき、退屈しのぎに買ってもらったのがポータブルCDプレイヤーとCD。確か八雲のTSUTAYAで、「B'z The Best "Pleasure"」を買ってもらったはずだ。それが今のハードロック・ヘヴィメタル沼に直結しているとは、このときは知らなかったのだが……。

嵐の影、私は雲

1999年、いつものように「ミュージックステーション」を見ていて、凄いものを見たと思った。あの場面は何度も名場面として流されていたから、もしかしたら記憶が捏造されているかもしれないが、そのたびに「凄い」というか「恐ろしい」というか、そんな感を何回も覚えたことは確かだったので、そのつもりで書いていきたいのだが……。

ほぼ上半身裸の十代男子が歌って踊っていた。つやつやの肌、整った顔、爽やかな髪、不安を感じさせないという意味で豊満な、体毛のない肉体……。
38歳になった自分の言葉で、当時の姿を思い出しながら書くと、「若さ溢れる、という形容詞がそのまま踊っていた」と表現すべきだろう。

「嵐」である。

今思うと、彼らは長年トレーニングを受け、おそらくバックダンサーとして無数のコンサートをくぐりぬけ、ユニットとしてデビューすることが決まり、ここまでやってきたのだろう。今更になってそのあたりの歴史的事実をwikipediaか何かで調べようという気にはならないほどに、それは当たり前のことだ。しかし、人生経験のなく、テレビの向こうにある都会に夢中になっていたチー牛にとっては、もう暴力的としか言いようがない衝撃だった。
自分が何をやっても真似できるわけもなく、その光の前では自分の生き様はすべて影に見えてしまうような光。彼らが人間なら自分は獣、あるいは亡霊……。

今思うと、有名なプラトンの「洞窟の比喩」そのままだ。
彼らはイデア。私はその影、いや、イデアの光をかろうじて遮るも、またいつかは風によって散らされる、雲のようなもろい存在。

だが、あのパフォーマンスや存在は、才能と努力とプロモーションの組み合わせでできている。少なくとも化粧とヘアメイクと脱毛、トレーニングはそこに存在していた。ただそれが世間知らずのチー牛には見えなかっただけだ。
彼らがまぶしすぎて。

彼らのように輝くことはできない、と思ってしまったのだ。
すべてにおいて自分の願いは叶わないと、自分に呪いをかけてしまったのだ。

女性にとっての肉体的規範が、青年雑誌に氾濫するグラビアアイドル、あるいは週刊誌の袋とじ(今はもうないか)に乱舞するAV女優であるというのなら、私が最初に認識した、男性にとっての肉体的規範とは、ジャニーズだったのだ。
その厳然たる規範に向き合い、いざ自分を省みれば、待ち受けるのは絶望。もちろんそれは他者の規範だ。しかも今では、「身長の小さい、幼顔で、体毛の生えていない、ティーン」というのは、ひとりの人間の欲望から発していたことがすでに明らかであるところの、その規範だ。
当時の私は誰よりも世間知らずだった。その規範を内面化しても、ただ無力さを味わうだけ。
どうすることもできない。それなら、その道は諦めて、別の道に進むだけだ。
肉体を諦めて、自分の知っている、精神の世界に逃げ込むだけだ。

今思えば、スポーツに打ち込み、人と会い、コミュニケーションをするというのは、草の根の幅広い価値観に出会わせ、強烈なものに免疫をつけるという意味もあったのかもしれない(そこで「体育会系」という、ジャニーズと同程度に攻撃的でホモソーシャルな規範が植え付けられてしまったのは皮肉だろうが)。

他のアーティストに出会ったときも、ここまでの衝撃はなかった。よくB'zの稲葉浩志がアスリートに例えられるが、彼はそもそもボーカリストとして異次元で、自分とも年齢が違った。その音楽を全身で浴びて応援できる存在ではあるが、やはり遠い存在だった。その稲葉さんにガチ恋して、B'zのライブの時間になると開催地の方角を向いて正座して泣いて「ライブに行きたいよ~」と泣いていた中学生時代の茅原実里は、たぶん私とは異次元の衝撃を受けていたんだと思うが……。

今思うと、自分と同じような年齢の男性が、それなりの歌謡曲で、それなりの歌唱力でパフォーマンスしていたから、何よりも深く刺さったんだと思う。ここまで約25年間、言語化できずに燻っていたほどに、なんというか、自分の人生を傷つけ、腐らせてきたような、トラウマのルーツは、ここにあった。

そして「自分の願いが叶わない」と感じたその感覚は、そこからの未来を決めてしまったように思う。肉体を拒否すること、精神に逃避すること、普通の生き方を諦めること。1980年代に多くのギタリスト志望がイングヴェイ・マルムスティーンを聴いて、「彼のようには弾けない」と、ギターを断念してしまったように。

影を生きる

日本でテレビを見て音楽を聴いていれば、ジャニーズの存在は嫌でも残る(少なくとも昨年までは)。ダンスには全く興味はなかったが、TOKIOとKinKi Kidsは好きだった。まあよくあるチー牛の感覚で、「アイドルっぽくないところが好き」ってやつだ。
もちろん、「アイドルっぽくないところ」というジャンルもまた、意識的に作られている。ぶっちゃけ嘘だ。普通の男性アイドルが嫌いな、オタク向けのフェイクだ。「アイドルにバンドをやらせる」というのは本人の趣味から派生する場合もあるし、大人の商売によって強いられることもある。動機がどうあれ演奏力が向上すれば輝くのは、「BanG Dream!」を見ていればわかることだ。
それらを前提とした上でも、長瀬智也はハードロックに人生突っ込んじゃったなあーって思うし、堂本光一の生き様は、まあなんというか凄い。城島リーダーはギターが渋い。これはすべてのトラウマをゴミ箱へ突っ込む前に、意識的に書いておこう。

……ともかく、トラウマはずっと残った。元から裸になるのが嫌だったこともあったが、決定的になった。
人前で脱ぐことができなくなった。この肉体を誰にも見せられないと思った。この肉体に関するいかなる言葉も耳にしたくなかった。
中学校の宿泊研修で、クラスで歌の出し物をさせられたことがあった。ダンス中に男子が上半身を脱ぎだした。私はしなかった。ましてそんな状態で、集団で風呂に入ることなんてできなかった。
体育の授業前後は苦痛だった。だけどその感じを分かってくれた男子もいた。今思えばそれが、かろうじて社会に踏みとどまる支えになった。

ここ数年は、イヤホンか耳栓をつけていなければ外に出たくないこともあった。まあ今は慣れた。他人のことなど、もうどうでもいいからだ。そういう踏みとどまり方をして、今も生きている。

神は死んだ

こんな状態でトラウマを言語化できずに生きてきた自分が、なぜこうして記事を書いているかというと、これ自体が癒やしであるからだ、と考える。
そもそも何がトラウマか、それは本当にトラウマか?といえば、本当は違うかもしれない。みんな裸になんてなりたくないだろ、ともうっすら思ったりするのだが、社会には自分の考えを自己検閲によって抑圧する仕組みがあることは、ジャニー喜多川に関する問題で嫌というほど分かっているはずだ。ともかくこの記事を書くことによって私は癒やされなければならない。
いまこれを書いている私は、かつて苦しい日々を過ごしてきた過去を振り返るほどの余裕はできており、過去の体験の総体を「トラウマ」という言葉にパッキングして、そこに「嵐」という象徴の焼き印を押して、公開処刑し、未来を生きようとしている。そのような、その程度の相手と思っておいてほしい。私が言っていることは私の観点において事実であるし、そうありたいと自分で思い込んでいる、と言う程度に思っておいてほしい。

あなたがジャニーズを好きかどうかは、私には分からない。だが私は、たぶん嫌いだった。
私はジャニーズが嫌いだった。今は、もうどうでもいいと思っている。なぜならばジャニーズという過去のトラウマより、先に進むべき未来があると、言語化できるのだから。

自分もようやく大人になった。
どういうわけか、ここ数年で元ジャニーズJr.の人と出会う機会が増えた。彼らがたどったストーリーと現在の活躍、彼らにとってのジャニーズを、認識し、想像することができた。彼らには彼らの人生が、自分には自分の人生があり、各々が全力で生きてきた。それだけのことだ。彼らに恨みはない。
このややこしい関係をたとえるなら、国民国家による戦争の加害者の一員と被害者、しかもその加害者も内部では被害者であった……というようなものだ。「一億総懺悔」は集団忘却とイコールであり、意味はなく、救いにもならない。自分にできることは、先に進むことだ。

それと平行で、この世界にはイデアなんてものは存在しなかったことが、どんどん自分の中で理解できてきた。
この世に神はいない。肉体と精神の区別もない。精神は肉体というハードウェアに構築されたOSにすぎず、絶対的に思われた論理も、人間にとっては数学と同様にシミュレーションされたものでしかない。意識も判断も感情も恋も、電気信号の結果である。
人間は動物である。人間に生きる意味なんてない。その意味は、性行為によって生み出された動物である自分が、勝手に考えればいい。勝手に生きればいい。その成功も失敗も全部自分で負えばいい。社会は人間の集合である。国民国家は想像の共同体以上ではない。捨てるのも自分の可能性の一つだ。
こうすべきである、ああしてはいけない、みんな嘘だ。みんな嘘だ。

まあ、嘘にも意味がある。
嘘の意味とその必要性は、プロレスが教えてくれた。「嘘」というのは敬意がないかもしれないので、「愛情」を込めて「物語」としよう。
人は事実でないことにも感動することができる。「スター・ウォーズ」に興奮を、「機動戦士ガンダム」に絶望を覚えることができる。だから同様に、プロレスの所作一つ一つに、我々は感情を込めることができる。プロレスは敗者にも感情移入できる格闘技であり、全力を込めた舞台、物語である。物語として意識しながら感情移入できるのに、それが本当である必要なんてどこにあるのか?
大事なことはむしろ、嘘を本当と思い込まないことだ。存在しないイデアを見ようとしないことだ。神を信じないことだ。
こう言い換えてもいい。人間には何でもできる。

しかし、今の私がひとつだけ信じていることがある。これだけはどうしても信じたい。これこそが、今まで自分を生かしてきたイデアである。嘘にも意味があるのなら、自ら信じる限りは、イデアにも価値があるはずだ。この世に神はいないが、自ら神を作ることはできる。
音楽だけが美しい。

わかってる僕は 選ばれし者じゃない
不思議な力を 授かったわけでもない
でもこの胸の奥 望みは湧いてるから
決して遅くはない 旅に出てもいいころ
雲が割れ 光がもれて
血は流れ 体はふるえる

B'z「Sanctuary」