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『幽言実行』最終回

 次の日、和花は現れなかった。別に構わないはずだった。幽霊の相手なんて慈善事業だ。ただの気晴らし。
 けれども、作りかけのビーズのストラップは和花用のレターセットと共に届けられるのを待っている。ライブのチケットの日付は四日後、何も知らないアイドルのライブに行くのももったいないと和花に買わされたCDは、彼女が熊井涼平を応援していた証だ。
「……俺、何やってるんだろう?」
「何やってるんだろうな」
 さっぱり揺れない竿の先を見つめ、俺に釣りを教えたおじさんは呟いた。
「釣りは待っているようで攻めてるんだよ。これは釣りじゃないなあ」
 ライブ前日、相変わらず和花は来ないし、おじさんも待っているだろうしと釣りに出掛けた。けれど心は全く海に向かわない。こんな不真面目なフィッシャーに魚がかからないのも当然だろう。
「上の空だな。なんだ女か?」
「おじさんと一緒」
「それは……」
「別にただの気まぐれなんだ」
「そう、だな」
「おじさんがやってた釣りってさあ、こんな東京湾で頼りない竿振るような釣りとはレベルが違ったんでしょ?」
「まあな」
「大物釣って、どうしたかったの?」
「……」
「……」
 釣れる気配は、ない。
「今日は帰るよ。明日は大事な日なんだ」
「やっぱりデートか?」
「気晴らしの一つだって。ごめんね、俺には釣りは向いてなかったみたいで」
 俺は海に背中を向けて、道具を片付け始める。
「いいや、むしろ筋はいい。初心者のルアーは慣れないせいで不規則な動きになる。それを不思議に思った魚が食いつくのがビギナーズラックだ。あんたは最初から全然力まないしいい動きしてた」
「そっか」
「何だい急に?」
「いや……俺、昔から色んなこと頼まれてきたけどさ、基本的に『筋はいい』止まりでその先がなかなか上手くいかない」
「そうか」
 器用貧乏ここに極まれり。ってだけでなく、熱量の問題もあるのだろう。俺はいつまでたっても自発的に行動ができない。
「それでも頼まれてくれただけありがたい。悪かったな、迷惑かけて」
「おじさんこそ何急に?」
「いや、本当にありがとう」
「だから――」
 振り向くとおじさんはいなかった。あれ、どうして俺にも見えないのだろう?
「……だから、まだ大物釣ってないじゃないか!」
 今日も坊主だ。
 いくら気晴らしとは言え、毎度ゼロ匹という釣果はむなしい。きっと釣り道具もあの汚い部屋のオブジェになるだろう。
 さっぱり頭が働かないまま俺は電車に乗り、扉のすぐ脇に陣取っていた。大した時間もかからずに最寄り駅に辿り着く。地上に降り立つまでの一連の動作は、もはや身体に染みついている。
 駅からしばらく歩くと、制服姿の少女を見かけた。無意識にその横顔をのぞき込んでしまってから、相手に気付く。
「援助交際でもするつもりでしたか?」
 和花だった。
「……は、え?」
「残念ながら、できません」
「しないよ!」
 彼女がくすりと笑う。
「文面考えるの、時間がかかって。まだ間に合いますか」
 俺はこっくりと頷いた。
「ストラップももう終わりそうだったし」
「え? そこは終わらせといてくださいよ」
「無茶言うな」
 和花が歩き出したので俺も後に続く。
「最後くらい、しっかりしないとですもんね」
 彼女がそう呟いた気がした。気にすればするほど、足音や気配がないことに気付いてしまう。
 最後とか、言わないでほしい。


 目覚めると和花はいなかった。
 あれ? 確か、ストラップの仕上げに思いのほか手間取って、深夜に寝ぼけた状態で何とか手紙を印刷して封をして――そのまま寝落ちしたらしい。時刻は昼前になっていた。
「……結局『帰った』のか」
 終電がなくなったと、見栄を張った言い訳で居座っていたはずだがまあいい。本日の行き先と目的ははっきりしている。
 さあ、和花と「デート」だ。
 会場に着くと、すでに人だかりができていた。やはりマイナーとはいえアイドルなのだ。物販ブースも盛況で、チケットが取れたことへの心配が余計なお世話だったと知れる。そして――
「あった」
 プレゼントボックス、もといただの段ボール箱がメンバー分用意されていた。ここにファンレターを投函すればいいのだろうが、和花はどこだ? 身軽な彼女が男一人で浮いている俺を見つけてくれるとありがたいのだが……。
「間もなく開場いたします。チケットの番号順に――」
 スタッフが観客の整理を始めた。俺の番号はお尻の方だし、最後に回されたって構わないが、和花と合流できないと肩身が狭い。いや、合流しても傍目には男一人のままなのか。
「それでは開場いたします」
 流されるまま、足を運ぶ。とにもかくにもプレゼントボックスに封筒を突っ込んで――
 限界が訪れた。
 チケットには整理番号はあっても座席番号はない。我先にステージの前に群がっていく観客たちは、幽霊よりもよっぽど怖い存在だった。入場者が途切れたところで、俺は外へと逃げ出した。散々たる結果である。
「全く俺は……」
 いつもこうだ。自分一人では何もできない。とっ散らかったこの部屋はそれを象徴している。
 どうにもならないガラクタとは別に、机の上にノートパソコンが鎮座していた。昨夜、和花の手紙の文面を打ち込んだままの状態であることに電源のランプで気付く。

『大好きな涼平くんへ
 何度かお手紙を出しているんだけど、覚えてますか? 覚えてくれていたら嬉しいし、そうでなくても今、私の手紙を読んでくれていることが嬉しいです。同封したビーズストラップは、実は誕生日に向けて作っていたものなんですが、少し遅くなってしまいました。すみません。でも、会心の出来でしたよ。
 実は、諸事情で私がお手紙を出せるのはこれが最後なんです。ごめんなさい。勝手にこんなこと書いても迷惑なだけかもしれないとは思ったんですけど、最後だってきちんと書かないと感謝を上手く伝えられない気がして。
 そうです、伝えたかったのは感謝なんです。あなたに出会えて本当に良かった。嬉しかった。幸せだった。だから最後だって言っても心配しないでください。私、あなたのおかげで本当に幸せなんですよ。
 あ、あのビーズ! 押し付けるつもりはないので使わなくても構いませんが、使ってくれたらやっぱり嬉しいです。
                             渚 和花』

 気付くと、顔が笑っていた。
 これ、完全に遺書じゃん。涼平くんが読んだら想いが重くてビビるんじゃないだろうか。
「使ってやろうじゃないの」
 おそらくこの手紙には俺に宛てた言葉が混ざっている。特にラストの一文は、涼平くんのストラップではなく目の前にある二色の余ったビーズのことだろう。
 さて、一人で作れるだろうか。俺の名前は――。

                               〈了〉

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