『この夏はカンパイ』

 得点板にバツが浮かび上がる。
 これが九回裏ならばまだ格好がつくのだけど、残念ながら我々が奪ったアウトの数は奪われた得点よりも少なかった。

《五回コールド〇対十七》

 完膚なきまでに叩きのめされたと言っていいだろう。
「順当って恐ろしい言葉だな」
 あたしの隣でベンチを温め続けた枦田くんが呟いた。
「え?」
「だって、大半の高校球児のドラマは、この言葉と共に荼毘に付されるわけだろう?」
「確かに」
 と、笑ったのはネクストから打席の回ってこないまま帰ってきた坂下くんだった。二人は我が野球部の一年選手である。
 ああ、あたし?
 あたしはマネージャー見習い。実は今まで自分がつけていたスコアが間違っていないかさえ自信がない。

 試合終了の挨拶を済ませて、あたしは改めて坂下くんに尋ねてみる。
「さっきの、どういう意味?」
「葬られる」
「荼毘に付されるの意味を聞いてるんじゃなくて」
「……だったら、本人に聞いた方が」
 なんて、枦田くんに視線を向けてから彼なりの回答を示す。
「順当な負けにウチは悔しがることさえできない。俺たちは来年があるけど、どう見てもそういう問題じゃない」
 滞りなく帰り支度を済ませる先輩たちに坂下くんが苦笑する。
「最初から勝つ気がないんだな、あれは」
「じゃあ、あたしたち何を目指してたの?」
 坂下くんは言葉に詰まった。代わりに答えたのは枦田くん。
「純粋に野球を楽しんでたんじゃないかな?」
「ああ、それはあるかもな。なんか先輩たち妙に元気だし」
「坂下くんは、楽しんでないの?」
「……楽しかったよ。たぶん」
 坂下くんが先輩に呼ばれて行ってしまうと、今度は枦田くんが苦々しく笑った。
「一年目からレギュラー取れる男が試合を楽しんでなかったら俺は怒るぞ」
 ウチは現在、選手十一人とマネージャーの野球部である。そして夏の大会のレギュラー争いを一年生の内に経験するという悲しい伝統がある。むしろ九人集まらない年もあったみたい。
「真っ先に坂下が選ばれるのは分かってた。これも順当」
「来年があるよ」
「いや、来年は頑張らなくてもレギュラーになれちゃうだろ」
「なれちゃうって……試合に出られるの、嬉しくないの?」
「嬉しいよ、もちろん」
 でも、と枦田くんは溜め息を吐いた。
「やっぱりドラマは起こらない。完敗だよまったく」
「……けどさ、野球やってる時の顔は枦田くんの方が断然楽しそうだよね」
 ふと思い至ってそう言うと、彼は実に嬉しそうな顔をした。
「分かってるじゃん」
「マネージャーですから」

 先輩と話していた坂下くんがこちらへ戻ってくる。
「先輩たちがこれから打ち上げに行こうって。完敗で乾杯とか言っちゃって、ホントふざけてると思わない?」
 枦田くんが、吹き出した。
「傑作だな」
「来年はきちんと『祝杯』をあげようね」
 試しにそう言うと、二人揃って「ムリ」の一言が返ってきた。なんだかんだ彼らもウチの野球部員である。

 ……でもさ、折角だからいつか勝ちにいこうね。その時までにあたしもきちんと野球のルールを覚えておくから。

 あたしたちは軽い足取りで球場をあとにした。

                              <了>

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