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今だから言える一つ塾を潰した話。それからできた大きなトラウマ。

智心館を始める前、僕は一つの塾を潰した。


「潰した」といっても当時、ボクは雇われ教室長だったし、お金の管理者も別にいたので、塾内部の人間として、加害者でもあるし、働いていた会社が潰れてしまったという意味では、被害者でもあった。

そんな、なんとも中途半端な立ち位置で、事の顛末を見届けた。

今日はその時にできた大きなトラウマの話をしようと思う。


大学途中で教員になることから逃げ出し、かといって就活もろくにやらなかったはボクは、1年間のフリーター生活の結果、なりゆきで受けた、小さな個人事業の学習塾に勤め始めた。

当時は働き始め1ヶ月ほどで、“ディレクター”というナゾの肩書きを賜り、実質塾長のような業務をさせられているのが(シフト組み、請求書作成、新規生徒及び塾生の保護者面談など)とてもおかしくて、笑えた。

SNSをやり始めて、同じような境遇の人がたくさんいることを(そしてそういった類の塾は、概して評判が悪い事を)知るのは、もっと先のことである。とてもじゃないけど、笑ってる場合ではなかった!

23、4の社会に出たての人間に、塾長もどきなことをやらせるような塾であるから、苦情や、内部での揉め事も尋常じゃないくらい多かった。

バイトのバックレ、1階の使われていない部屋がゴミ屋敷になっている(ディレクター就任後、初めに取り掛かった仕事が、この部屋の掃除だった)、果ては、働き始めてからの約半年間、ボクの他に、経理のみを担当するパートさんがいたのだが、この方がまったく生徒を覚えていないため、同じ苗字の別の家に、違う子の請求書が届くという、今考えてみてもゾッとする、杜撰な請求ミスを2回も、3回も繰り返していて、その度に先方へ謝罪を入れるなんてこともあった。

そこでの一切、そして辛酸をなめたことは、何よりボクをいろんな意味で“社会人”にしたと思う。

散々な職場環境ではあったものの、残った学生講師はとても優秀で、活気に満ち溢れるその塾の生徒数は多かった。

もう一つだけ、今度は生徒のことで、どうしても忘れられない出会いがある。

ボクが受け持った、初めての受験生。時は、受験も佳境に差し掛かる、冬休み直前

県立対策講座の案内が、冬期講習とは別に、各保護者の元へ配られた。

社長たっての希望で1ヶ月ほど前に開講が決定した、県立高校対策講座は、面談のロープレはもちろん、ディレクター就任後の、保護者とのやり取りの中でも、ついぞ話に出たことがないものだった。

今でこそ受験対策の名のもとに、後出しじゃんけんするようなお金の取り方はクソだと思っているが、働き始め1年目で、そこに楯突けるような知識や度胸もないボクは、取って付けたような説明を行い、保護者から支弁を取り付けていた。

受講料入金期日の日、その子のお母さんがやってきた。封筒を小脇に抱えて。

聞くと、

「主人に、そんなお金はないと言われている。しかし、その子のために、へそくりから捻出してきた数万円がここにある。それを講習の費用に使って欲しい。」

か細い声でそう伝えられた。

涙が出そうになるとともに、ボクたちが戦っている場所は、こんな厳しい世界の上に成り立っているのだと、身にしみて痛感する出来事であったと思う。

塾に行くことができるのは、まったくもって当たり前じゃない。

生徒に発破をかけるための常套句は、めぐりめぐってボクに返ってくる言葉となった。

サービスを生業とする者は、常に価値を受け取る側の、その向こうを見なければならない。仮に空想だとしても、想像することを止めてはいけない。

そこに乖離が生まれたとき、知らず知らずのうちに、提供する側の意思と受け取る側のニーズに、ズレが生じるのだろうと思う。

時代に合わなくなったサービスというのは、概してそのような齟齬からスタートするのではないだろうか。

ボクも、そこに想像を膨らませることなく、「分かってねぇなぁ。」とふんぞり返る人間にはなりたくない。今回この話を書いていて、改めてそのように思う。


話を戻そう。

その塾で働き始め、1年ほどが経過した頃、1つの案が社長から持ち上がった。

「2店舗目を作る。そこでは谷畑を塾長にする。」

ほぼ定員まで差し掛かっていた、その塾のキャパシティーを広げる意味もあっただろうし、既存の塾に後から入った自分に対する親心でもあっただろう。

特に後者に関しては、社長から直々に話をされたので、特に印象に残っている。

結果的に、この決断が凶と出ることになる。


※以下、非常に生々しい話が多々出てくるので、有料とさせていただきます(300円)。この件から学んだ総括はもちろん、今後地方で、独立開業を目指される方向けのアドバイスなども入っております。

目次はこちら

・2店舗目を作るにあたり、10歳年上の部下ができた。

・そんなこんなで、ついにボクの塾がオープンした。

・人が辞めていくときというのは、本当にあっけないものである。

・校門前配布をしたら、終戦間際の日本兵になった。

・今だから言える、募集が難しかった理由は2つ。

・2教室の維持が困難と見た社長は、かつて一夜の栄華を誇った前塾を畳んだ。

・話は現在に飛ぶ。

・終わりに。



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