”コミュ障”は、治す必要はない!!ービジネス・コスプレのススメ

先週のコラムでは、あえて”コミュ障”という記述をしましたが、”コミュ障”とは、”コミュニケーション障害”の略ではありますが、使用の実態では大きな問題がある単語です。

本来、”コミュニケーション障害”とは、

自閉症や吃音などの障害を持っている人が、意思疎通で困難を抱えることを指します。障害(先天的/後天的に備わったスペック)であって、病気(治療の対象となる心身の症状)ではありません。曲がり間違っても、「あいつ、コミュ障だな」などと、内向的で口下手な人を蔑む言葉ではありませんが、いつしか、そういう使われ方をされるようになってしまいました。手元のパソコンで、”コミュ障”という予測変換ができるようにも、なってしまいました。
とあるサイトの操作的診断によると、

・人と話すのが怖い
・周りの人の目がすごく気になる
・会話が続かなくて気まずい思いをすることが多い
・事務的な話は出来ても雑談が苦手
・他人にあまり興味が持てない
・人と深く付き合うのが苦手
・自分が好きではない
・本音がなかなか言えない
・挨拶をするのが苦手
・自分の意見が主張出来ない

5つ以上で、コミュ障の疑い濃厚だそうです。私は、堂々たるコミュ障ですな。こっちの診断基準も、もろ当たり。コミュ障が、カウンセラーとかコンサルタントとかやっていけているんだから、笑えます。

2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)に、”コミュ障を治す必要ってあるのか”というスレッドがありましたが、まぁ、その書き込みの手厳しいこと。

「仕事しないならそれでええんちゃう」
「めちゃんこおしゃべりだし、他人への説教だって8時間は余裕でできる俺からしたらコミュ障ってまじ意味わからんわ」
「そもそもコミュ障とか自分で言ってるやつのほとんどが、障害じゃなくてコミュニケーション能力が低いだけ。コミュ力が低いやつが障害だから仕方ないと考えること自体が逃げ。そういうやつに限ってコミュ力をあげる努力とかしてないし、やってても全く無駄なことしかしてない」

まぁ、コミュ力を自認するモテる奴なら、何でも言うわな(苦笑)。


で、私の結論から申し上げますと、

そんな上っ面のものはいらないです。

自分が今いる人間関係で、自ずと求められるコミュニケーションは規定されますから、その規定レベルをキープしていればいいだけです。

閑話休題。

先日、昔、隣の家に住んでいた、小学校の上級生に、その時以来、会いました。気づいたら、公園で1時間くらい喋っていました。出身大学の相性もあったみたいですが、その時、「修ちゃんって、昔は、あまり話す方じゃなかったよね」と言われたのが、印象的でした。まぁ、俺も色々あったから、昔話には困らないし(苦笑)、確かによく喋るようにはなった。

私の経緯を整理します。

小学校では、あまりいいポジションにいなかった(というか、ぶっちゃけて言うと、いじめられっ子だった)ので、ただのガリ勉君でした。

中学・高校は、高校募集のない、中高一貫の男子校。とにかく、”気合い”と”根性”が、人一倍、醸成されました。モテるための努力なんて、当然していません。

大学(学部)デビュー後も、内向性の塊みたいなものでした。しかも、入試で二度失敗していたので、当時入っていた学生オーケストラでは、「フレッシュな新入生」キャラは無理でした(何年か後、年下の女性の先輩に「途中で入ってきた3年生だと思った」と言われました)。
ステージデビューを祝ってもらった時、ビールの中ジョッキを2杯飲んで(飲まされて?)しまった私は、趣味の鉄道とラジオの話を、1時間以上ぶっ続けで喋り倒したことがありました。相手が男子だけでよかった(あれから約15年経った今でも、格好のイジりネタです)。

大学院は別の大学に進学したのですが、研究室のゼミ長だった上、専攻内の研究室間での交流が盛んだったところだったので、嫌でも人前で喋る訓練を受けました。あれが、黙々と実験をすれば良いような研究室だったら、就職活動でどこにも決まらなかったと思います。
某大手企業の1weekインターンにも参加しましたが、男女3人づつのチームの中で、裏でバカにされていたようです。知り合いなのに、FB友達申請却下とか、どれだけ人を疎んでいるだよ。意味わからん。


こう見ると、コミュ障街道を驀進していますね。いいんですよ。それも自分の個性だから。アラフォーにもなると、そういうのも達観してくる。人間の個性なんて、そう簡単に変わるもんじゃない。

昨今、ビジネスでもコミュニケーション至上主義ですが、

ビジネスはゲームですから、キャラクターをコスプレしたら良いのです。あとは、環境と慣れの問題。プライベートでは、引っ込み思案でもノープロブレムです。それでも付き合ってくれる人達と繋がっていれば良いのですから。プライベートで無理をしても、ろくなことにならない。

という訳で、私は、”コミュ障を治す”必要は、全くないと考えています。仕事で困るなら、別人格を演じればいい。本来の自分と、仕事上の自分が一致する必要など、ないのですから。そこは、割り切りが必要でしょう。でないと、往々にして仕事にならないから。

では、キャラクターをコスプレする/別人格を演じるとは、どういうことでしょうか。それは、自分の本来の個性を押し殺すことでしょうか。いいえ、そうではありません。

私は、新卒の就活で、某企業のグループ面接を受けた時、「明るくて元気がある」というフィードバックをいただきました。お笑いです。私は、元来、筋金入りのネガテイブ思考のネクラですし、虚弱体質で就活うつも発症していました。つまり場面場面で社交的な自分を前面に出せば良いのです。
人間の人格とは、パッチワークみたいなもので、社交度100%の人も、0%の人もいません。どんな人でも、そのスペクトラムのどこかにいます。そして、それはシチュエーションによって変わるはずです。だから、類似したシチュエーションを仮想して、スペクトラムの位置をその場でチューニングすれば、良い訳です。

もうちょっと、具体的に書きましょう。

例えば、ビールの中ジョッキを飲んで趣味について喋り倒した私のように、ネクラの人でも、自分の好きなこと・興味を持っていることに関しては、眼が輝くでしょう。それを、仕事などの場面に適用すればいいのです。つまり、自分が得意な作業、好きな作業では、人為的にテンションを上げるのです。こうすると、ネクラのイメージはなくなりますから、自分が不得意な作業、嫌いな作業でモチベーションが低くても、「この社員はやる気がない」というラベリングは避けることができます。周りが手を差し出してくれることだって、起こり得るのです。昼休みの雑談の時間なんて、自分の好きなこと・興味を持っていることを認知してもらえる、絶好のチャンスなのです。

ここまで来て、もう、お分かりになったと思います。上っ面のコミュ力なんて、そんなものはいらないのです。男子なら、まぁ、ちょっと女性にモテるかな、ぐらいのものです。”コミュ障”を”治す”必要なんて、ないのです。それも含めて、あなたの個性なのですから。それを押し殺す必要なんて、ありません。仮に押し殺しても、何もいいことはありません。

今や、「一億総コミュ障」だという見方もありますが、嗤うしかありません。コミュニケーションの充足度合いなんて、相対的にしか規定できないのですから。

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山口修司

精神科キャリアカウンセラー。メンタル疾患からの復職を目指す方の、キャリア構築支援をしています。精神保健福祉士、国家資格キャリアコンサルタント・CDA、WLBコンサルタントなどのライセンスを保持。ホームページ→http://s-yam-gucci.jp
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