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人生で初めて、出版社で打ち合わせした日から【クリキャベ編集日記-その2- せやま南天・改稿編】

第2回note創作大賞 朝日新聞出版賞受賞作『クリームイエローの海と春キャベツのある家』の著者せやま南天と担当編集者Kさんの編集日記です。
★ひきつづき改稿について。今回は、著者せやまの目線でお届けします。

改稿の日々、編集者Kさんの視点での日記はこちら。

いざ顔合わせへ 
 ―打ち合わせ①―

note創作大賞受賞のメールが届いて、
ほんの1週間ほどのちに、
朝日新聞出版の方と打ち合わせとなった。

正直なところ、
私は、受賞を知った当初、
そんなにすぐに書籍化できるとは思っていなかった。

前回2022年の創作大賞の実績をみて、
書籍化までには、いくつもの山があり、難しいんじゃないかな……
と思っていたのだ。

それが、
本当に本を出せるのかも。
と思うように変わったのは、noteのSさんから、

「先方は、ぜひ書籍化に向けて前向きなお話をしたいとおっしゃっております」

と言われ、
すごいスピード感で、出版社との顔合わせのセッティングがされ、しかもSさん自身が付き添う、と言ってくださったからだった。

熱量がすごい。
これは、私もブレーキを踏んでいる場合ではない。

顔合わせをした本社ビル。威厳に圧倒される。

いよいよ当日。
授賞式前で実感も湧かない中だったので「何の経歴もない自分が、こんなところにいて良いのか……」と、緊張と不安で目眩めまいがするほどだったけれど、noteのSさんと話すうちに少し和らいだ。

しかし、編集者さんってどんな人なんだろう。

就活の時のイメージでは、
出版社の方は、“針の穴ほどの狭き門を潜り抜けた精鋭達”。超スパルタな人だったら、どうしよう……
と思っていた。

予想に反し、
ご挨拶にきてくださった文芸部門の3人は、柔らかく和やかな方達。中でも、担当のKさんははじける笑顔が印象的だった。

好かれたいと思うばかりに、完全に上がってしまいました。
(若いから、経験がないから、信頼できないと思われないかな……

【クリキャベ編集日記-その1- 編集者K・改稿編】より

とKさんは書かれていたが、
生きてきた中で自然と身についている、時代にそった感性、新しいアイデア、そして読者に近い目線……若さって、めちゃくちゃ武器になるのでは、と私は思っている。
(実際にその後の打ち合わせでも、小説の内容について時代と照らした話を、Kさんと何度もした。Kさんの力を本当に頼りにさせて頂いている)

ベテラン編集者Yさんも見守ってくださっていて、幾重にも心強い。


Kさんの日記にも書いて頂いたとおり、たくさん良いところを伝えてもらったのち、これからどうやって小説の中に手を入れて(改稿して)いくかという話題に移った。

「完成度はすごく高くて、いい作品だから!!
あと、ここと、こういうところだけ、
もう少し知りたい。書いてほしい」

という感じで、言われる。
書き方をこうやって修正してほしい、
という直接的な指示は、
表記に関すること以外、ほとんどない。

褒めてもらった量に対して、
指摘の量は少ない印象
だった。

「締め切りは、いったん2週間後でどうでしょうか」
と聞かれ、
「できると思います」
と答える。

指摘の量は少ないし、
2週間くらいあれば直せるかな。

と思った私は、
浅はかだったなと、今になって振り返る。


書けなかった部分に向き合う
 ―第2稿を書く―


「え、どうしよ……」

家に帰って、
パソコンに向かっても、
まっっっっったく書けなかった。

思えば、
これまで誰かに読んでもらって、それを小説に反映させるという経験をしたことがなかったのだから、当たり前だ。

しかも、
「指摘の量は、褒めてもらった量より少ない印象」
なんて思っていたが、
改めて考えてみると、言われた箇所は書きようによっては、物語の筋から変わってきてしまうような、根幹に関わる大きな指摘だったのだと、パソコンを前にして、はじめて気づいた。

指摘されたのは、
主人公の過去や性格に関すること

私は、創作大賞の応募時、
主人公・津麦自身の物語というよりは、
織野家の物語を完成させることを優先して、
書いていた。

主人公に、私自身を重ねすぎてしまうことが怖い。
独りよがりの物語になってもいけない。

それは、エッセイ書きだった私が、今回、小説を書くにあたって、強く意識したことだった。主人公視点の物語展開にもかかわらず、三人称で書いているのはそのためだ。

そんな風に、
自分から主人公を突き放していたから、
やはり主人公のことを掘り下げ切れてなかったのだと思う。

そこを見事に、編集者Kさんに指摘された。

もうーーーーーー、
ここから主人公を掘り下げていく過程が、本当に苦しかった。怖くて見ないようにしてきた部分に、手を入れるんだから。

紙のノートに、
ああでもない、こうでもないと書きなぐる。
幼少期はどんな子だったか。小学校、中学校、高校、大学、社会人ではどんな風に生きていたか。四六時中悩んでいた。

Xの下書き。
上は、この編集日記に関するもの。ポストしなかったのに心を読まれたのか、この後にKさんから「改稿の続きもっと書いていいですよ」と言われて小躍りした。

下が、第2稿執筆時に書いたもの。ポストしたらKさんが心配するかなと思って、下書きに入れたままにしていた。相当悩んでいた。


はっと気づいたら、3時間くらいは余裕で過ぎていて、

「もう18時!?お風呂沸かしてない!
 夕飯できてない!どうしよー!!!!」

となったことも、何度もあった。

そんな日々をへて、なんとか自分なりに精いっぱいのものを書き上げ、提出。

締め切りの日の朝。私は、締め切りと言えば、夜になってしまうタイプなので……「朝の提出、尊敬です」と思っておりました。

【クリキャベ編集日記-その1- 編集者K・改稿編】より

Kさんは驚いてらっしゃったが、それは、前職のシステムエンジニアで私が編集者さんのような立場だったからかもしれない。

作ってもらうシステムのスケジュールなどを管理していたから、期限ギリギリの提出は不安。できることなら、前倒しで出したい。

と思いつつ、
やはり書く側としては、めいっぱい時間をかけたい気持ちも湧いてきて、締め切り日での提出となったのだった。


なぜそれを書くのか、について考えた
 ―打ち合わせ②―

2回目の打ち合わせは、
note創作大賞授賞式の数時間前。

四ツ谷のカフェで、原稿を見ながら話し合っている自分たちを俯瞰して、なんか作家っぽい!とテンションがあがる。

カフェで打ち合わせも、人生初体験。

が、調子が良かったのは、はじめだけだった。

第2稿でふんわりと書いた箇所は漏れなく、
「ここはなぜ、この追記をしたんですか」
と聞かれる。

編集者さんは優しいけれど、
指摘は針のように鋭く、
ここしかないという急所を見事に突いてくる。

自分の中で「こういう気持ちで追記した」というゆるいものはあった。けれど、ちゃんと「なぜ書いたか」を言語化できておらず、質問されても全然答えられなかった。
つまり「なんとなく書いていた」のだろうなと、今になって思う。

第1稿は、とにかく勢いも必要だ。
多少ちぐはぐでも目をつぶって、
自分のエネルギーを注ぎ込んで、
物語を完成させる。
それがまずなによりも、大事だと思う。

けれど、第2稿以降は……
明確な、なぜ、が必要なのだと、
この時に思った。

なぜ、このエピソードを書くのか。
なぜ、これをこの部分に配置しないといけないのか。
なぜ、この人がこのセリフを言わなければいけないのか。

そこに自分が納得し切っていないと、
もとの物語からひずみが出てしまったり、
書きたかったものが見えなくなってしまったりするのだと思い知った。


人生初のプロット作成 
 ―第3稿を書く―

私は打ち合わせの後、人生で初めてプロットを書くことにした。

津麦の過去が描かれる場所が前半部分に固まってしまっていた印象を持ちました。

【クリキャベ編集日記-その1- 編集者K・改稿編】より

この課題にこたえるためにも、プロットを書くしかない、と。

システムエンジニア時代を思い出し、
エクセルを駆使して、めちゃくちゃ本気で作った。

日時、場所、家事の内容、出来事、編集者さんの感想などを横軸にして、日時順で並べ替えたり、まとめたりしてみる。

Kさんに、気持ち悪がられるんじゃないか……

と心配になるほどの細かさだったけれど、改稿案と共にプロットを提出すると、「元システムエンジニアの力が輝いております!」と言われ、なんだか昔の自分も含めて肯定してもらったみたいで、嬉しかった。

改稿風景

どこに何を書くべきなのか”で迷子になっていたが、プロットを作ってみたら、かなり頭の中が整理された気がする。

でき上がったプロットを眺めながら、

あぁ、これは前職がなければ作れなかった作品になるのだな。
寄り道ばかりしている人生だと思っていたけれど、
ちゃんとこれまでの経験もこの先に繋がっていくんだな。

と思ったのだった。


しかしこの後、
プロットをもとに改稿していく過程で、
私は新人小説家が必ずぶち当たるという、ある負の感情にズブズブと沈んでいくことになるーー。


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次回は、Kさんによる編集日記です。
せやま南天視点の日記は、次々回その4へとつづきます!

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