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メディアと表現について考えるシンポジウム~わたしが声をあげるとき~に出席

2019年5月18日(土)東京大学福武ホールにて開催された、「わたしが声を上げるとき」を聴講した。


このシンポジウムは 「メディアと表現について考えるシンポジウム」というシリーズで開催されており、2017年に第1回が開催され、今回で5回目となる。

登壇者は以下の方々は以下のとおり。(敬称略)

登壇者
ウ ナリ(株式会社キュカ 代表取締役)
小島慶子(エッセイスト)
武田砂鉄(ライター)
田中東子(大妻女子大学 教授)
山本和奈(Voice Up Japan)
司会
山本恵子(NHK国際放送局 記者)

出典:  https://ihs.c.u-tokyo.ac.jp/ja/schedule/post/s_20190518_5thmed_isymposium_01/ 

イベント概要

イベントの内容は

声を上げにくい社会で
・声を上げる理由
・どうやって声を上げたらいいのか
・声を上げやすい社会に変えていけるのか
・メディアのあり方

を話していくというもの。

イベントの前半で登壇者が最近の気になる出来事等について一人ずつお話し、後半は来場者からの質問に答えるという形式だった。

最初、小島慶子さんから 「メディアと表現について考えるシンポジウム」が始まった2017年からの出来事の振り返りがあり、課題はあるものの少しずつ声を上げやすくはなっているという分析があった後、登壇者一人ひとりからお話があった。

暴行の被害者が謝罪することや、女性タレントの結婚報道と同時に「なお、妊娠していない模様」と報じられるのはおかしい

武田砂鉄さんは、ファンに暴行被害を受けたにもかかわらずステージ上で謝罪させられたアイドルについて「暴行された人が謝らされるなんておかしい」と言及。


他にもアイドルが恋愛スクープの後に丸坊主にさせられたことや、アイドル卒業=恋愛解禁という表現についての違和感を指摘。


アイドルグループを卒業した女性タレントが結婚報道をされる際に「なお、妊娠していない模様」と付け加えられることにも疑問を呈し、「妊娠しないで結婚する方が良い結婚だという価値観なのではないか」と指摘した上で、こういった表現に慣れてはいけないと仰った。


また、芸能人がSNSで政権批判をするのは問題があるのか?という世論調査がとある新聞で行われたことについて、その質問自体にも疑問を抱いたが、政治に触れる発言をしている芸能人は複数いるのに例として若い女性芸能人だけが挙げられていたことに、なぜこの女性芸能人が例として出されたのか?という部分に注目されていた。


武田さんは「こういったことをさらっと流してしまうとおかしなことに気づけなくなってしまう」と。

「ヤレる女子大生」という感覚について、このままだと自分が子どもを産んだ時、自分の子どもが同じような思いをすると思った


山本和奈さんは「ヤレるという言葉が嫌い。ヤレるという考えは被害者を責める感覚と同じ文脈で使われる。」と指摘。


性交渉の多い女性はマイナス評価で見られるのに、性交渉の多い男性はかっこいいと見られることもあることがおかしい。


SPAの「ヤレる女子大生ランキング」において、山本さんの大学はランキングには入っていなかったが、以前から女子大生のブランド化に思うことはあり、周りに女子大生はいるし、私に関係ないこととは思えず、このままでは自分の子どもが同じ思いをすると思ったとのこと。


SPAとの対話の中で、SPA編集部の中でも「ヤレる女子大生」という特集が問題だと思っていた人はいたが、止まらなかったことにも問題を感じていると話した。

「悩みを共有、共感、助け合うコミュニティ」QCCCA(キュカ)


QCCCA(キュカ)はハラスメント・差別・人権といった言いづらい悩みについて、テクノロジーの力で声を上げるという仕組みを作っている。

キュカの代表取締役であるウ ナリさんは以前Yahoo!でエンジニアをしていて、Yahoo!知恵袋の開発にも携わっていた。


Yahoo!知恵袋はユーザー同士で悩みを解決できるシステムであった。

しかし、中にはセクハラに対する回答でセカンドハラスメントとなる回答もあるものの、会社として表現の自由も尊重しなくてはいけないので基本的に辛い回答が返ってきても消せないということがあった。


つまり、傷ついて相談している人がセカンドハラスメントの言葉を受け取ってしまうということだ。

キュカではその点を解消できる相談コミュニティを作った。

キュカの特徴は、
・寄り添う人がいる
・匿名
・バッシングされない
という3つの特徴のあるコミュニティである。

ユーザー同士がコメントを消せるというのもキュカならではの仕組み。


そのことによって、相談者が安心して相談でき、安心して回答を見れる。


象徴的な暴力は人を傷つける

田中東子先生は週刊SPAのヤレる女子大生の記事について、教え子たちが「ヤレる」と言われており、自分は学生ではないけれど傷ついたと話していた。

このことについて、象徴的な暴力が人を傷つけると仰っていた。


学生にICUの学生が抗議してくれたことどう考えますか?と聞いたところ主に3つの意見が聞かれたとのこと。


①あの記事は悔しい
週刊SPAに限らず、女子大の学生だからか飲み会やバイト先など他の場面でもヤレる扱いされることがあり、声を上げるまでは行かなくても、そういう人は周りにはいないと言うことで回避してきたとのこと。


②ICUの学生に感謝
傷つけられている人が言っても、バッシングされている自分たちが言っても、「ヤレルる女が何か言っている」という反応で世間に聞いてもらえないだろう。ランキング外の学生が声を上げることでランキングのおかしさが世間に伝わった


③恐怖
自分たちで声を上げたらどれだけ傷つけられるかを考えると身がすくむ、何も対応がとれない

このことから支援者が声をあげることの重要性や声をあげることの恐怖について指摘していた。 


また、今後は声を上げることの成功体験をメディアで広めていき、もしかしたら私にもできるのではという希望へ繋げられるようなシステム作りが必要とお話されていた。

声を上げた人は空気を乱した=悪というような認識


先日、声を上げた人は空気を乱した悪、というような認識が世間に感じるような場面があった。


とあるテレビ番組で性別がわからない人の性別を確かめるというコーナーがあり、確かめられた本人は気にしていなかったものの、コメンテーターがその場で批判した。


コメンテーターへの賛成が多い一方、こんなところで言うなという意見や放送事故などという意見もあった。


怒った人がいるということに注目された一例だ。

武田砂鉄さんはこの件について、番組の女性アナウンサーが曖昧なコメントをしていたことに注目し、立場の辛さが見えた、後に女性アナウンサーが謝罪をしていたが、女性アナウンサーが企画自体に関与しているわけではないので、真っ先に謝るべき立場とは思えないと言及。

企画をした人や企画に対する決定権のある人が見えてこないことを指摘した。

山本和奈さんは、日本は我慢の概念強く、声を上げても声を上げた人のせいで組織の名誉が傷つけられた、我慢すればいいのにという空気が強いと言及した。

田中東子先生も、日本は異を唱えた人に対する対応に慣れておらず、そのあとの処理が独特だと指摘した。


他の人も辛いから我慢では何も変わらない

武田砂鉄さんは、医大入試の女性差別について言及した。


「医大入試の女性差別のニュースはあるときから得点操作という表現に変わった。これは性別関係なく同じ試験を受けている人が不当な扱いを受けているということが問題であるのに、メディアは女性医師にアンケートを取って過半数が得点差別に理解を得たという結論で話が終わってしまった。」


これについては小島慶子さんも「男性の浪人生も差別されていたので女性差別ではない」という反論によって論点がずらされていたことを指摘した。


また、武田さんは「男性も辛いんです」と声が聞こえることについて、議論の切り口としてはよくても「男性も大変」で議論が終わりがちだと言った。


これについて小島さんは「俺も辛い、と言いたい人は辛い気持ちを聞いてもらえていない。しんどい自分や弱い自分・不完全な自分を誰にもを聴いてもらえないため、俺も辛い、で終わってしまいがち。」


一人ひとりできることをしていく

ウ ナリさんは管理職の研修の必要性について話した。


例えば、女性の容姿を褒めるときにキャバクラで働くことを勧める人がいる。

言った側は相手のことを褒めたかっただけなので悪気はないが、言われた側は傷つく。

これは、わからないだけなので教えてあげれば変わると話した。


また、言われている場面で周りが悪気のない発言のおかしさについて言えると良い、と一人ひとりにできることについて言及した。


しかし組織で周りの人が助けることは難しい。

これを小島慶子さんは、「巻き添えになるのを恐れ、周りの人が声を上げることも難しい。しかし、みんな生活があるから声を上げられないのは仕方ないではなく、みんな生活があるから声を上げられない、でも起きていることはおかしい、このままでいいの?という感覚を普通にしたい」と話した。


また小島さんは、メディアの発信が変わるにはオーディエンスからの「こんな内容が見たい」というような具体的な意見が原動力とも話し、良いことも悪いこともネットに書くだけではなくテレビに電話したり新聞社にメールしてみたり励ましていくことが大事と言った。

メディアは話すのが仕事ではなく聴くのが仕事


小島慶子さんはシンポジウムの締めとして、「声を上げたら聴く人が必要。メディアは聴くのが仕事。聴いてそのまま届けるのではなく、他の人に向けて良い世の中を作るために話し合いの場を提供していくことが大事。」と語った。


シンポジウムに出席し、課題はあるものの少しずつ声のあげやすさは変わってきていると実感した。


変わってきた理由は声を上げにくい中でも声を上げてきた人たちの努力が1つの理由だと考えている。


シンポジウムを通して、社会を変えていくには声を上げることが重要だと改めて感じた。


また、声を上げた人が孤立しないような連帯も必要であると思った。


おかしなことにはおかしいという感覚を持ち伝えていく、自分にできることをしていきたい。