見出し画像

【短編小説】 こだま


 「あ、、あの~、、、、いくら?」
 「……2枚。」
 「そ、それで、、、、」

 日本一の歓楽街。その北側のある通りには、若い子から熟年、肌の白黒、瞳の濃淡、話す言葉の多様性などありとあらゆる女性が佇んでいる。
 何人かで談笑する人、誰かと電話している人、ひたすらスマホの画面を見る人。
 その女性たちの傍を、片足を引き摺りながら歩く壮年の男が一人。
 その男が声を掛けた女と共に歩き出す。

 「す、すいません、、、朝まで一緒だと、あといくら、、、」
 「……もう3枚でいいよ。」
 ホテルの一室に入った男、女に尋ねた。
 男は財布から3枚取り出し、女へ渡す。女はそれを鞄へと仕舞う。
 「シャワー浴びましょうか?」
 女は着ていたものを脱ぎ、男も脱ぎ始める。男の手を取り浴室へと向かう女。

 「わしの事、、、話しても良いですか?」
 「どんな話?」
 「わしがどうやって生きてきたか、、、みたいな話。」
 「良いわよ。聞いたげる。朝まで長いし。」
 行為の終わったベッドの上、ヘッドボードへ縋りながら男が問う。それに応える女。

 「わしは生まれが新潟の村上から山奥に入った所でね。親父はきこりじゃった。おふくろは畑。貧乏人のせがれに生まれたんよ。」
 「……村上、、、、、きこり、、、、」
 「ほんと、山んなかで何にもないところで、、、、麓の集落まで1時間も歩かないと行けないところで、、、小学校は麓まで毎日歩いてた。」
 「…………」
 「わしが6年の時、妹が生まれて、、、お袋、一人で産んで取り上げて、後始末して、、、凄い人だと思った。」
 「…………」

 「中学になり、妹が一歳の時に大雨が来て裏山が崩れてね、、、家ごと潰されたんだわ。
 俺は2階にいて父ちゃん母ちゃん妹は一階にいて、、、何とかワシは這い出て見たら2階の外が直ぐ地面で、、、一階が潰れてぺしゃんこでね
 ワシは頭から血が出てて、足も痛くて蹲っとったんじゃが、鳴き声が聞こえてね、、、瓦礫の中から、、、
 妹だ、と思ったら崩れた家の中へ入ってったんだわ。
 すると、、、母ちゃんが蹲っとる胸の中に妹がおったんじゃ、、、母ちゃんの背中には木が刺さっとった、、、、
 ワシは母ちゃんの手から妹を取って、家の外へ出て、、、そこで気が遠くなって、、、気がついたら2週間経っとった。」
 「妹さんは?」
 「ワシが寝てる間に葬式も済んどって、、、妹は里子に出されとった、、、、長野の方の親戚じゃって聞いたけどワシが知らん先だったわ
 それからワシは製材所の社長さんとこに住まわせて貰おて、学校へ行き始めたんじゃが、、頭の怪我で昔の事も思い出せんし、学校行き始めても勉強が全然分らんし、、、
 妹がおった事は忘れとらんかったんじゃが、会いに行きたいとか迎えに行くとか、全然思いつかんかったんよ、、、、一度でも訪ねておけば良かったって、、、今は思うけどな。」
 「……妹さんから連絡は?、、、年賀状とか。」
 「無かった、、、、まだ1歳だったからかな?、、、よう分からん。
 中学出て社長のとこで働いて、、、そのまんま年寄りになった、、、成りたいものとか欲しいものとか何にも無かったし、、、
 ご飯食えて、布団で寝る事が出来たらそれで充分じゃったし、、、」
 「……お子さんとか奥さんとか、、、、」
 「30前に嫁さんが半年だけ来てくれた、、、子供はおらん、、、」
 「お友達とか、彼女さんとか、、、、」
 「友達か、、、いない事も無いけど話は合わないし、、、みんな奥さんや子供がおるし、、、
 彼女と言やぁ、、、社長のお母さん、ばあ様が二十歳くらいから相手してくれたくらいで、、、、
 社長は3年前に無くなって、奥さんは施設へ入って、ワシは一人になってしもうた、、、」
 「そう、、、寂しかったんだね。」

 「……今日はお仕事とかでこっちへ?」
 「いや、明日大きな病院へ行ってこい言われててね、、、心臓が人の2倍くらいあるらしくて、紹介状持って明日行くんだ。そのまま入院になりそうだって、、、」
 「そうなの?、、、今日大丈夫だったの? 女遊びして。」
 「分からない、、、途中でどうにかなったらなったで、仕方ないかって、、、だから一晩中、誰かと一緒に居て欲しかったんだ。」
 「やだ、、、そういう事に巻き込まれたくないし。」
 「あ、すまん、、、どうしても今夜くらいは、、、、人肌に、、、、、傍に誰か居て欲しくて、、、」
 「………ま、何もなくてよかったけど、、、、朝まで居てあげるよ。心配しないで。」
 「ありがとう、、、ほんと、、、ありがとう。」

 眠る男性の横でじっと顔を見つめる、アイ子。
 【この人、もしかしてお兄さん、、、、鞄の中見ればわかるかも、、、、でもいいや、確かめたところで何も変わんないし、、、 今の私は身体を売る女、アイ子だもんな】

 愛子は1歳の時、長野に住む遠縁だと言う夫婦に引き取られた。
 その夫婦、男は雀荘お抱えの雀士。一人で来店するフリー客の相手をして、客のレベルに合わせ勝ったり負けたり調整できるプロ。
 女はパチンコ店従業員。愛子がまだ小さい内は近くの託児所へ預け、4歳を過ぎた頃からは部屋に菓子パンを置いて、一人留守番をさせ始めた。
 夫婦とも、夜遅く帰る。酔っ払っている時もあれば、帰らない時もある。愛子が寂しがり抱きつくも、「寄るなっ!、お前は寝ろっ!」と怒る事がしばしばあった。
 甘える事も無く、不貞腐れる事も無く、愛想笑いもしない子供に愛子は育っていった。

 数年して夫婦に子供が出来た。
 愛子、嬉しさがある反面、【私、、、もう要らないのかも、、、追い出されるかも、、、】と思い始める。
 行く宛など無い。生まれた故郷に父母はもう居ない。ひろしと言う名前の兄が居ると聞いた。会った事も無い。一人で会いに行くことなど今は無理。
 「生まれてくる子のお世話させてください、私をここに居させてください。」そう夫婦に頼んだ。
 「良いよ。しっかり面倒見るんだよ。」と女から言われた。
 男の子が生まれた。愛子、オムツ替え、ベビーバスのお風呂、ミルクと世話を始める。
 愛子が小学校へ行っている間は母親が居たが、育児などほとんどしない。自身の乳が張ってくれば母乳を与えるが、気が進まなければ、ほぼ放置。
 学校から帰ってオムツを見ると、溢れている事もしばしば。
 愛子は不平不満も言わず、子供の世話をした。

 数年後、愛子に悲劇が襲う。
 自分が育てた弟が、車に轢かれ死んでしまった。
 愛子中学3年の春、弟が5歳の時だった。
 泣いて泣いて、泣き続けた。運ばれた病院、葬儀屋の控室、火葬場、白い布に包まれて帰ってきたアパート。
 「あんたっ!何してたんだっ!、、、ちゃんと面倒見るって言ってただろっ!、この役立たずっ!」
 母親の暴力が始まった。父親は取り直そうとするも母親は聞く耳を持たない。
 心の中で愛子は【私が居ない時はあんたが見てればよかったじゃんか、、、学校言ってる間はあんたの役目だろ、、、】と呟く。
 父親が優しくしてくれるようになった。母親が仕事に行っている間に外食や買い物に連れて行ってくれ始めた。
 「弟の事、残念だったな、ありがとな、お前が育てた様なものだよな、、、お前のせいじゃないから、、、アイツがもっと母親らしくしてれば良かったんだ。」
 初めて聞く父親らしい言葉に、愛子は悲しい日が続く中にも、嬉しさを見つける事が出来た。
 夫婦間がギクシャクし殺伐としていく中で、父親の手が纏わり始める。
 愛子は拒めなかった。父親に対しても弟を死なせた負い目も感じているし、その後の優しさが傷ついた心に沁み、嬉しかった。
 血の繋がりは無い。それが父娘双方の言い訳になった。
 その内に、母親に二人の関係がバレた。「出て行けっ!二人とも出ていけっ!」
 愛子は父親が仕事をしていた雀荘で暮し始め、中学を卒業した。

 中学を卒業した愛子は、名古屋にある自動車部品メーカーへ就職する。
 そのメーカーで日中勤務した夕方から、夜間高校へ通い始める。地域のメーカー数社が共同で設立した高校があった。
 ひと月かふた月に一度、父親が会いに来てくれる。外食し父が宿泊する宿に外泊する。
 高校を4年かけて卒業し、同じメーカーでフルタイム勤務。
 同じ職場の上司と付き合うようになる。父親の訪問が、鬱陶しくなり始める。
 「結婚しますから、、、、」父親に退場を乞う。「何でもします。」上司に生きる場所を求めた。

 夫となった上司との結婚は、姑との同居になった。
 夫と姑が住む家庭の、まるで家政婦になった愛子。一日10数時間、365日稼働。
 夫の給料の管理は夫、姑の収入は姑。愛子の小遣いは食費からの流用くらいしか無い。それでも愛子は穏やかな暮らしを選んだ。
 1,2年しても子供の出来ない愛子に、姑の嫌味小言暴言が始まる。夫の暴力が始まる。それでも愛子は、自責の念に覆われ、耐えた。
 数年後、夫が子供を抱いた女を連れて帰って来た。
 堕ろすと言われていたが、生まれた子供を引取り金を払う事で産んで貰ったと言う。
 男の子だった。死なせた弟が帰って来たと思えた。愛子は腕の中に迎えた。
 弟の分までと愛子は、一生懸命その子を育てた。
 愛子の愛情たっぷりに育ったその男の子は、、、家政婦として扱い始めた。暴言も暴力も、、、夫と姑と同じだった。

 【私には、、、家族が似合わない、、、、、】

 耐える暮らしの中で、生き別れた兄の事を想像する。
 きっと普通の暮らしをしているに違いない。
 毎日仕事に行き、お嫁さんも貰い、子供に恵まれて、もしかして良い暮らしをしてるんじゃないだろうか、、、
 それに引き換え私は、、、、

 愛子はその家を出た。生活費の中からコツコツ蓄えたお金を握りしめ、DV被害者支援センターのドアを開けた。

 アイ子、大きな音で目が覚めた。直ぐに呻く声に気付く。
 上体を起こしベッドの隣を見ると、男性がいない。
 ベッドヘッドのあちこちを触り、部屋の灯りを点けた。
 トイレのあたりに男性が倒れている。慌ててアイ子は駆け寄った。
 男性がぐったりとして、仰向けになっている。胸に手をあてて見る。僅かに鼓動している気がする。
 【救急車、、呼ばなくっちゃ、、、】
 フロントへ電話をする。直ぐに来ると言う。アイ子、慌てて身支度をした。
 ドアが開き青年が入ってくる。倒れている男性の傍へ行き、首筋へ手をあてた。
 「救急車、直ぐに呼びます。あ、出来れば清算しておいてください」と入口の横にある支払い機を指さした。
 アイ子、男性のジャケットから財布を抜き、清算を済ます。男性の着ていたものを纏め始める。
 アイ子、ベッドに座り救急車の到着を待った。

 救急車を待つ間、男性へ布団を掛けながらアイ子は思った。
 【この人が話した事は、ウソかもしれない、、、少しは本当の事だったとしても盛ってたかもしれない、、、
 普通の暮らし、生き方をしてきたはずなんだ、、、私みたいな、、絵に描いた様な不幸を、、、してきたはず無いじゃんか、、、
 いつもさ、羨ましかったんだよ。いつかはさ、会いに来てくれるんじゃないかって、、、待ってたよ。
 ここじゃあお前が幸せになれないからって、連れて行って貰えるんじゃないかって、、、、、
 私、、、自由な時間なんてなかったし、、、、兄さんの顔なんて覚えてないし、、、、
 でもさ、、、あんたも不幸だったのかな、、、それならそれで会えた時、話を聞いたり話したりしたら、、、一緒に、、、
 一緒にさ、、、、泣いてくれたのかな、、、、
 ねえ、、、、何か言ってよ、、、、、兄さん、、、】

 救急隊が来た。男性の状態を見てすぐに運び出そうとしている。
 「あの、私も行きます。」アイ子、思わず隊員へ頼む。
 「えっ、、貴女は?」
 「え、えっと、、、、つ、妻です。」
 アイ子は男性の服と荷物を抱え、救急車へ同乗した。

 病院の廊下のベンチに座るアイ子。
 男性の鞄の中を見た。
 下着と着替えが数枚と郵便貯金通帳と印鑑、紹介状と書かれた封筒。おそらく明日行く予定だった病院からの大きな封筒。
 宛先は、、、見覚えのある住所が書かれていた。
 「新潟県村上市○○町大字◇◇、、、、根元弘様」
 私が生まれた時の名前が、根元愛子。
 【やっぱり、、、、兄さんだ、あの人、、、】
 その時、処置室から青い服を着た医師らしき人が出てきた
 「根本ひろしさんの御家族の方、いらっしゃますか?」
 「あ、はい、、私です。」
 「残念ですが、先程死亡が確認されました。死亡診断書が出ますから後で窓口へ。」
 「……お世話おかけしました、、、、」
 アイ子、いや愛子は頭を深々と下げた。

 窓口で診断書を貰い、支払いは後日として貰い、葬儀屋の紹介を受ける。
 兄の遺体はそこで預かって貰い、死亡届を出そう、火葬もして貰おう、お骨はそう、、、故郷へ持ち帰ろうと愛子はそう考えた。

 愛子はお骨を抱いて故郷へ向かった。封筒に掛かれた住所を頼りに目指した。
 市役所の支所や郵便局へと向かう。戸籍謄本や原戸籍を貰い、預貯金の引継ぎをする為だ。
 窓口から弘と自分の謄本、除票、原戸籍を受け取る。
 自分の謄本を見た。確かにそこには愛子と言う名前があった。
 愛子の目に涙が浮かぶ。
 確かに私はここで生まれたんだ。
 そう思えた。

 郵便局で手続きを行った。弘が持っていた通帳以外にも定期預金があり、思っていたより高額になった。
 ひろしが住んでいた家へと向かう。
 近所の人が畑に居たので聞いてみた。
 「えっ、あなた妹さんなの?、、、知らなかったわ。弘さんに兄妹がいたなんて、、、
 弘さんはず~っと家に居たわよ。社長が亡くなってから製材所を畳んでもそのままね。ほかに行く宛も無かったみたいだし
 奥さんがすぐにボケちゃってね、施設に入っっちゃたしね、、、
 あまり付き合いって無いのよ、、、ひろしさんて良い人なんだろうけど、、、何考えてるか分かんなくて、、、
 最近は役場の人が来て面倒見てくれてたわ、、、
 そお~、、、弘さん、亡くなったの、、、、
 実家がその山の中に有るって聞いたことあるわよ。お墓もそこに有るって、、、」

 ひろしが住んでいた家から、骨壺の入った大きな袋を下げ山の中へと進んだ。
 1時間くらい歩いただろうか、、、覚えている訳は無いだろうに、いつか見た事がある様な景色に出会う。
 実家があったらしいところは、山が崩れて寄せてきたらしい土や岩が混じる大きな塊に、草や木が生えている。
 【多分ここが生まれた家、、、、】
 ふいに右へ目をやると、数基のお墓が見える。近づくと 根本 の字が見えた。
 謄本で見た父母の名前が書かれた一番新しい墓の前側の石を動かし、ひろしの骨壺を木箱から取り出し収める。
 墓石を元に戻し、手を合わせる。
 ふっと風が吹き、頬を撫でた。
 まるで誰かが『ありがとう』と言いながら優しく撫でる様に。

 【また、、、来ます。】

 愛子は心の中で呟くと、また優しく風が吹き、頬を撫でた。

 生き別れた兄に再会できた喜びなど無い。
 会えた自分はその時、身体を売る街娼だったし。
 きっと兄は、幸せな人生を送っていると思っていた。
 だけど、話を聞けば幸せな生き方、住んでいた所を見れば、、、幸せな暮らしをしていたとは思えない。
 兄への恨み、妬みが自分の人生の一部だったとも言えるのに、、、、今はそれも湧いてこない。
 ネグレクトされたに等しい養親、一時の幸せを自分にもたらした弟も死なせてしまった。
 弟が死んだ後、優しく接してくれた義父は、義母の代替えとして私を消費した。義母は、私が嫌いだっのか、子供が嫌いだったのか今はもう分からない。
 こんな私でも嫁に迎えたいと言った元夫は、姑と結託し家政婦として扱った。
 それでもよかったんだ。寝る所と食べるものがあったし、どんな形でも必要としてくれたし。
 夫が外で子供を作り、私にあてがった時、正直嬉しかったんだ。
 死なせた弟が生まれ変わったと思えたから、、、、
 私は失ったものを取り戻すように、子供を育てた。自身の子への愛情と言うより、贖罪だったのかもしれないけど。
 でもその子は、夫の子、、、姑の孫だった。母とは思わず、家政婦として接し始めた。
 だから私は、その子が高校卒業と同時に、、、、家を出た。

 頬を優しく撫でたあの風の言葉、、、ありがとう は誰が言ったの?、、、、
 ありがとうと言ってくれる人なんて、私には居なかったはずなのに、、、、

 【やっぱり、、、、お兄さん、、って事?】

 兄が遺してくれたもの、、、郵便貯金がいくばくかある。
 少しはこれで、心が軽くなる。
 通りに立たなくても、パートをしても暫くは暮らしていける。
 毎年、墓参りに来よう。
 墓には両親と兄がいる。
 そう、故郷が出来たから。

 軽くなった心で、生き直してみようか、、、、、

 風が吹いた。また頬を優しく撫でた。

 『またおいで、、、』と、優しく撫でられた様な気がした、愛子だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?