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君の耳には、僕はなれない 8

ミス 暴走

翌日からの愛美の工場での作業、ミス多発。2日連続で手直し台数10台強。
現場リーダーの青山(20代後半、男性)から「明日から3日間の再研修、再教育」のメモを渡される。
新人教育の再履修から始まり、製造中の機器の作業手順やマニュアル、作業標準の再説明。
タブレットに音声のテキスト変換アプリが入っており、青山の声が文字になる。
それを見ながら、書類のファイルを幾つも並べての研修。
3日目、製造している機器を実際に一から組み立ててみる。
出来上がったのが午後4時。
「よく頑張ったね。来週から組立ラインに戻るよ。」
愛美は椅子から立ち、深々と頭を下げた。
【……また、迷惑かけちゃった。】
青山が何か書かれたメモを愛美の前に置く。
「お疲れ様。メシでもおごる。」
【迷惑かけたのに、、、。ご飯奢って貰うの悪い、、、。】
愛美は少し考えた後、そのメモにこう書いた。
「抱いてください」
青山は驚いた。椅子から落ちそうになる位に。そしてそのメモにこう書いた。
「ぉK」

何故あんな事を書いたのか、自分でも判らなかった。
迷惑かけたから?
将太さんを忘れる為?
自分をどうにかしたいから?
誰かに優しくしてほしいから?
身体が欲してる?
どれも当てはまらない。判らない。
ただ、今はベッドの上で泣いている自分がいる。
初めての事、初めての相手、初めての気持ち。
うめき声の様な、獣の様な鳴き声を上げて。

青山とは週一か2週に一度のペースで誘われ、都度連いて行った。
待ち合わせは送迎バスを降りた駅前から少し歩いた神社の駐車場。
2、3時間後に、青山に送られて駅前に戻りバスで帰宅。家族には残業と伝えた。
信用されてはいないと思う。疑っていると思う。でも構わない。お風呂に入り、部屋に戻り、寝る。それだけ。

12月初め、昼食後に中庭に出ようとしたところ、目の前に女の人が現れた。
何やら怒っている。涙目になりながらマスクをしていない口が慌ただしく動いている。
何も分からないまま怯えていると、左頬に衝撃と同時に、身体が壁にぶつかる。
その場に座り込んだまま見上げると、女の人は両脇を男の人に抱えられながら、それでも口が激しく動いている。
その後ろに困ったような顔の青山が見えた。
【誰?この人、、、。青山さんの彼女?……いたの?……】
【何も考えてなかった、、、言ってくれたら良かったのに、、、誘われるままの私が悪いの?、、、】

一人待たされている研修室に、総務課の課長と手話のできる人が入ってきた。
「何も心配しなくてもいいから。」
「向こうが一方的に暴力を働いたんだから、なにも言い訳は出来ない。」
「二人は即刻、退職願を書いて貰った。」
「君には何も支障は出ないから。」
【原因は私です。】涙目のまま、伝える事も無く頷く。
【私は悪い女、、、?】

その後、食堂で食事をしていると自分の事が話題になっているらしく、周りから”ちらちら”と見られていた。
みんなマスクは外している為、話している内容が口元でなんとなく判る。
(見かけによらないわよねぇ~あの娘)
(寝取っちゃたの?)
(青山さん、結婚する予定だったんだって~)
(騙されたんじゃないの?)
(青山さんに彼女いるの、知らない訳ないじゃん!)
【……知らなかった。他の人の事も何も知らない。同じろうあ者の人と話す事もあるけどそんな話題は出ないし、、、。】

冬の賞与が出た。給与の1,5ヶ月分。
軽自動車をリースで契約した。両親には反対されたが”自立する為”と納得してもらった。
愛美はもう一台、携帯をネットで購入した。親には内緒。
もう一台の携帯を持つ理由。今と違う世界へのドアーを開く為。目的はマッチングサイト用。繋がりが欲しい為。もっと先の世界へ。
サイトに登録。写真は自撮り。聴覚障害あり。19歳。○○県在住。希望の相手タイプは特に指定せず。
サイトから紹介の通知。見ると3名のプロフィール。その内一人は同じ聴覚障害者。7つ年上の26歳。気難しそうなメガネの痩せ体型。
DMを送ってみた。何度かメールのやり取りをし、会う約束をした。

1月の日曜日、県立美術館前で会う。
美術館では、フェルメール展(レプリカ)をしていた。一通り見た後、併設のカフェでお話(手話で)。
「お仕事は何を?」
「□□市で図書館の学芸員をしています。主に蔵書の管理です。バーコードの補修や入荷本の登録とか。」
「趣味は?」
「絵を描きます。水彩画です。分野は違いますが今日は勉強になりました。あなたの趣味は?」
「趣味は特にありません。本を読むぐらいです」
「どんな本を?」
「特に決めていません。ブックオフで目に付いた物を買って、読めばすぐ売ります。」
「著名人の本をお読みください。出来れば新刊本を。」
「はい。すみません。」
「ところで、結婚を前提に付き合えますか?」
「……いえ、結婚はまだ。」
「健常者との結婚は難しいと思います。理解し合えません。」
「はい。そうかもしれませんね。」
「どういった交際が望みですか?」
「……あの、良い事も悪い事も何でも伝えあえる様な。」
「アドバイスとか結論とかですか?」
「そう言う事でも無く」
「良くわかりませんが、判りました。すみません。私は結婚を急いでいます。」
「なぜですか?」
「母を安心させたいのです。」
「……そうですか、、、」
この人とはこれっきりだった。”私では無理です”とメールを送った。

その後、2名の健常者の方と会ってみた。
障害者の力になれます。理解しています。貴方の代わりに対外的な事は何でもしますと言う”スーパーマン”の様な35歳の人。
なんとかなるんじゃないすか。明るく行きましょう、何事も。大丈夫です、周りが助けてくれますよと云う他力本願の24歳の人。

何か違う。
もやもやが前にも増して膨らんだ。自慰行為も増えた。
【……青山さんは優しかった、、、。それに、あの時に言葉はいらないし、、、。】
ヤリモクサイトへ登録した。聴覚障害は伏せた。

通知が頻繁に来るようになった。普段は電源を落とし、音設定はすべて無しとし、夜寝る前に確認することにした。
将太との別れから半年。別の世界へのドアを開けた。

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