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私が“きろくやさん”をする理由〜はじめまして〜

人が失ったものを補えるのは、きっと"記憶"だけで。
その記憶を確かなものにしてくれるのが"写真"
思い出を残すだけでなく、
時にはその写真が今を生きるための力にもなるんだと。

映画「浅田家!」より

今となってはこの言葉に私自身の遠い記憶を重ね、この言葉に励まされ、奮い立たせられて、
それで写真を撮っているように思います。


はじめまして。自己紹介します。
さんぱち、です。
今は大学4年生で、4月から社会人になります。
都内の女子大に通ってきました。今は春休み、3月には卒業式を控えています。
頻繁に楽曲を聴くアーティストは、サカナクションさん、BUMP OF CHICKENさん。
毎年紅白歌合戦を99年生まれの中で多分1番楽しみにしている、それくらい紅白ヲタク🔴⚪
東京ディズニーリゾートも大好き。1人ディズニーって楽しいんですよ(勧誘)
カメラはCanonさん。古い機械ですが6Dを主に使っています。


私はこれから“きろくやさん”として人のお写真を撮る活動を静かにやっていきたいと思います。

これまでも写真は撮ってきました。
中学3年生頃からカメラを構えはじめて、気づけば数えると7年になります。
でもメインは風景を撮ることで、人物はイベントの時に友達を撮る程度でした。

しかし、これからはちゃんと「人の写真撮りますよ!撮らせてください」と宣伝をして、そして少しずつオファーを頂きながら過ごせたらいいなと考えています。

私のカメラ史、第2章の始まりです。


その前に、私が写真にどんな想いがあるのか、なぜ“きろくやさん”をはじめるのか、誰かに伝えたくて書いています。

よろしければご一読ください。

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カメラが好きですと言うと「写真を始めたキッカケは?」という質問はテッパンかと思います。誰のどんな趣味でも、そのきっかけは私も気になるものです。話を聞くとおもしろいですよね。

私は質問に対して、「記録が自分を助けてくれることがあると思う」ということ、そして「私は記憶だけだとたくさんのことを忘れちゃって悲しいの」と答えています。本当にそうなんです。

私と写真のはじまりは、記憶がポロポロと無くなって覚えていられないことが悲しく感じたこと。悲しい気持ちを辞めたくて変えたくて、写真に残すということを始めました。中学校3年生の時です。多分。(少々うる覚え)

中学生の頃の私は、とにかく記憶することに難しさを感じていました。人よりも話したこと、聞いたこと、見たことを忘れるので、スムーズなコミュニケーションができないのです。

それだけでなく、「人よりも記憶しておくことができない」という事実は、当時の私には悲痛なものでした。学校や部活の、今の楽しい思い出が消えてしまう。楽しい記憶は消えてしまうのに、この胸をザワザワさせる遠い記憶は覚えている。覚えているということはこれからも私の中にいるのか。

きれいな思い出は消えて、嫌な記憶は維持され続けてしまうのか。
という仮説はどんどん現実味を帯びていきました。本当にどんどん記憶がなくなる自分が怖かった。

嫌な記憶とは家族のことです。

我が家は会社員の父、専業主婦の母、私、弟の構成です。感謝はあるけど、それでも私はこの「家族」と呼ばれた集団のまとまりへ小学生の時から違和感を感じ続け、正直良い思い出などないと感じていました。

特に私と母の仲は最悪で、この文章を書いていても胸が詰まるところがあります。いろんな好きではないこと見て、感じてきて、気づけば家族で行ったであろう素敵な記憶は私の中にはなく、ただ嫌な想いだけ残るのです。

そんな家族に対する嫌な記憶と想いでいっぱいになった私は生きること自体を悩むほどに病んでしまうのです。

小さい頃の話を聞かされて、両親なりに苦労し育ててくれたことは理解できるが、いまいち腹落ちしない。苦しい。


そこで見たのが、幼少期の楽しそうな家族旅行の写真でした。父が撮った写真、私と弟、母が3人で笑っている。
笑った弟と、母と、そして私がいる。私がいる!

不思議と安堵しました。
本当に、ちゃんと、そういう楽しい時間が私にあったのだと実感できたことが、嬉しかった。やっと納得できた。今まで夢なんじゃないかと思っていたのに。私が覚えていないだけで、私自身はちゃんと笑う時間を過ごしていた。揺るぎない事実。その事実を教えてくれた1枚の写真。


これが私が写真という“記録“に助けられた話です。

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人間の記憶というのは非常に曖昧で、勝手に、自分が思っていないように書き換えてしまうことがあります。それは時に自分が望んでいたように変わるなど良い影響があるかもしれないし、逆に苦しくなってしまう場合もあります。
記憶は手で掴めない、形のないもので、かつ自分の意に反して変容していく。

でも記録はちゃんと記録を残そうとすれば、それは長い時間形を変えずに残ります。
ファインダーを通して映った景色が、その場所で、その時の、その姿を残します。時間が1日、1年経っても、5年、10年と経っても、見たいと思った時に、またふとしたタイミングで、写真やデータという形に実際に触れることができます。

世の中捉え方は人それぞれですが、世の中のどんなことにも、事実は1つしかありません。
写真は、それら事実を、ありのまま、記録として残すことができます。

私は事実を残すために、写真を撮ります。今あるものを、その姿を残し、人に写真を渡していきたい。
今の楽しい気持ちやワクワクを、写真という手段を使って閉じ込めていきたい。

私たちは「過去は変えられなくても未来は変えられる」という。
時には「揺るぎない過去と不確かな未来」ともいう。

不確実な未来は、皆不安や苦しみがあって、もがいて生きている今がある。
そんな未来に向かうときに、過去の「嬉しい、楽しい、素敵なあの時」の、揺るぎない過去が事実だったよと証明してくれる写真があったら。それを持って立ち向かって時間を乗りこなしていけたら。
苦しい時、もしかしたら写真が心の支えになるかもしれないし、ふと気分が晴れるアイテムになるかもしれない。

写真を残して未来への持ち物にすることには、人を大なり小なりハッピーにできる力があると、強く信じています。

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写真には大きな力がある、
だから、多くの人にとって写真が力になるのであれば、たくさん写真を残せる世界であるといいと思っています。

例えば「写真を撮ってほしい」と思ったときに、撮ってくれる人が、頼める人が、すぐそばにいる、そんな世界だったらいい。そんな世界がいい。

だから、もし「人に写真を撮ってもらいたいな」と思った時、その想いを止めないでほしい。残さないと、消えていってしまうから。

そして。もし撮ってくれる人がいないな、と思ったら、私がいます。私は、あなたの写真を残すための“きろくやさん”です。

人が失ったものがきっと記憶だけで
その記憶を確かなものにしてくれるのが写真
想い出を残すだけでなく
今を生きるための力にもなるんだと
映画「浅田家!」より

この言葉に私の想いを重ねて。

だから私は写真を撮りたい。あなたの写真を撮りたいのです。

あなたの今を残す、私は“きろくやさん”です。


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