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「隣」の芝生じゃなくて「みんな」の芝生にできないのかな

(いや、まぁ隣のものなんですけど…。)

「隣の芝生は青い」という言葉があります。意味は「他人のものは自分のものより良く見える」ということ。

この言葉は人間の本質を突いていると思います。「ないものねだり」もそうですけど、ずっと欲していた何かを得たり何かに達したところで、人はまた不満を持つ生き物。めんどくさい生き物ですね。
身に覚えがない人を探す方が難しいんじゃないでしょうか。

とはいえ。
誰しもが経験すると言っても、程度の差はあります。時期にもよります。この嫉妬にも似た感情に心が支配されてしまうこともあるんですよね。そのときは本当にしんどい。

単に他人を羨むだけでなく、自己否定・相手の失敗を望む・頑張る気がなくなる…etcに繋がってしまいます。負のスパイラルの始まりですね。行く先はどん底です。

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さて。このように他人と比べて落ちてしまう人や、自分に自信がない人がいたら、皆さんはどのようにアドバイスするでしょうか。

「自分を強く持とうよ」とか「良いとこしかみてないからだよ」とか「自分の庭をキレイにするのに集中しなよ」とか。

ありきたりなアドバイスはこの辺りですかね。

どれも正解だと思います。
どれも正解だと思うんですが、どこかしっくりこないんですよね。。「それはそうなんやけど…」といった感想が出てくる感じ。

だって
青いもんは青いんやもん!

いきなり隣を気にしない、見ないようにするはちょっと無理がある…と思ってしまうんですよね。

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とはいえ、この感情に支配され続けるのはしんどすぎます。自分が悩みがちだからこそ、「隣の芝生は青い」に対する、何かしっくりくる考え方や視点の変え方はないかな…と考えていたとき、ふと思いついたのは

「隣って言っているけど、その芝生は本当に他人のものなのか…?」

という訳の分からない屁理屈でした。なぜ思いついたかは分かりませんが…。

つまり。
一人一人の専用の芝生があるのではなく、みんなが共用の芝生を手入れしている、という考え方です。

このように考えられれば、他人の成功を見ても「あの人はあそこをキレイにしてくれたから、俺はここの芝生をキレイにしよう!」と思えるんじゃないでしょうか。

この考え方は、「自分は自分のことに集中する」という内実は変わっていませんが、優劣が介在する余地がなくなったように思えます。

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実はこれと似た議論に、アドラーの提唱する「共同体感覚」があります。
この概念は、ベストセラーの『嫌われる勇気』にも記されています。

もしも他者が仲間だとしたら、仲間に囲まれて生きているとしたら、われわれはそこに自らの「居場所」を見出すことができるでしょう。
(中略)
このように、他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚といいます。
(『嫌われる勇気』岸見一郎、古賀史健)

もちろん賛否両論がある考え方ですが、この考え方が出来れば、各々が各々の頑張り方で頑張れるようになる気がします。

「隣」の芝生なのではなく、「みんな」の芝生。それをみんなでキレイにしている。

綺麗事やけど、視点の変え方の1つとしてはアリなんじゃないかと思いますね。

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